どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

人間のいちばん美しい姿はなんだ?

 夫婦共々、資格試験に無事、合格し、使っていた教科書、参考書の類を売りにいこうと、久々にブックオフに向かった。会計を待つ間、店内を眺めていると、野村克也野村克也全語録 語れ継がれる人生哲学』が目に止まった。以前、目にした時に欲しかった本である。売ったお金より、買うお金の方が高くつくのも、ブックオフあるあるだなと思いながら、帰路に着いた。

 組織、チームを運営するにあたり、野球から学ぶことが多く、ノムさんの言葉は、参考になることが多い。

 『野村克也全語録』を読みながら、弱者の武器は、謙虚であること、素直であること、不器用であること、とあり、まさしく思い当たる節がある。思い当たる職員がいる。

 

 真の個性とは、いうなれば、世のため人のために役立ってこそ祝福される個人の「特性」のことを指すのである。そこははき違えてはいけない。

 野村克也野村克也全語録 語れるがれる人生哲学』p20

 

 職員がやりたいことのために、自己実現するために会社があるのか、と思うことがある。金銭が発生しているのである。であるならば、優先されるべきは、そのサービスを利用してくれている人、顧客にあるのではないか、そこが一番である。利用してくれる人がいるから会社が存在し、会社が存在するから、職員がいるのである。だから、そのいち、職員がやりたいことが利用してくれている人に喜ばれるものであるかは問い続けなければならず、自己満足に陥っていないかをチェックする必要がある。結果的に、職員がやりたいこと、自己実現につながれば、なおのこと良い。職員がやりたいこと、自己実現は、一番、最後にある。

 

 儒教の始祖であり、春秋時代の中国の思想家・哲学者である孔子は、才智や能力が極端にいき過ぎている者も才知が劣っている者も、いずれもバランスが崩れていてよくないと考えていた。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」である。自分らしく生きることは大切だが、ときに「自分らしさ」は「わがままな自己満足」に過ぎず、虚飾によって内面の稚拙さや幼さを覆い隠していることがある。

 野村克也野村克也全語録 語れるがれる人生哲学』p21

 

 「人間のいちばん美しい姿はなんだ?」という問いに、私ならこう答える。「一生懸命な姿に勝る美しさはない。人はその姿に感動する」と。

 野村克也野村克也全語録 語れるがれる人生哲学』p22

 

 先日、入社式で、職員の前で話をする機会があり、私は、こう言った。「ここ何年かで、アルバイトの学生の姿勢が一番、良いと感じています。それは、若い職員の働いている姿勢をみているからだと思っています。これから新卒の職員が新たに加わりますが、新卒の職員に恥じない働き方をここにいる職員は見せてくれると思っています」と。

 私は、普段、職員を意識的に褒めることはない。褒めるにしても、少しだけ工夫がいると思っていて、その一つが、今回のような機会の時に話すことだと思っている。

 

 技術を習得する段階を3つに分類すると、「基礎」「基本」「応用」となる。基礎は理論や理屈ではなく、例えば打者なら、バットを振って、振って、振りまくって体に覚え込ませる段階。そういう地道な努力で身につくのが基礎である。ただ残念なことに、素振りのような基礎練習はすぐに効果が表れない。しかも、ひたすらバットを振るという単純で苦しい反復練習だ。ようやく成果が表れはじめるのは、2〜3年後ということもある。

 野村克也野村克也全語録 語れるがれる人生哲学』p27

 

 私は、職員に自分の担っている仕事が、どれほど意義あるものか、価値があるものかを知り、誇りを持って欲しいと思っている。そう思って、言葉で伝え、そのような経験ができるよう考えてきたが、まだ足りていない。身を持って知るためには、体感する必要がある。

 

 気づけば、11時。コメダを後にし、自宅で昼食にしよう。北海道にもまもなく春が訪れる。道路の雪は一気に溶け、道路はアスファルトが顔をだしたが、凸凹して修理が必要です。 

 

野村克也全語録

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光と影

 辞令交付式は15時からだったので、コメダに寄り、宮島未奈『成瀬は信じた道をいく』の続きを読んだ。あっという間に読み終わった。読み終わってしまったという表現のほうが近い。成瀬が、フィクション上の人物だとは思えない。成瀬の幸せを願わずにはいられない。成瀬、最高。

 辞令交付式、懇親会、2次会に参加して、帰宅し、シャワーを浴び、0時を跨いでいたか定かではないが、あっという間に眠くなって寝た。

 カーテン越しから漏れる光で目が覚めて、高校野球を観るために、テレビをつけ、番組表を表示し、今日が、決勝の日だと気づいた。早坂大輔『いつも本ばかり読んでいるわけではないけれど。』の続きを読んだ。

 

 生きること、生活することを「芸術」だなんて考えたこともなかったが、彼の家に行く前に読んでいた宮沢賢治の『農民芸術概論』の一節をふと思い出して、おそらく賢治はこういうことを言いたかったのではないかと、彼の暮らしぶりを眺めながら思った。土を耕し作物を生み出すことも、何もないところからギターを爪弾き音楽を作るのも、彼に取っては同じ芸術なのであって、その毎日の集積、流れている時間、過去と未来、生活が組み合わさって四次元となり、一つの巨きな芸術になる。

 早坂大輔『いつも本ばかり読んでいるわけではないけれど。』p47

 

 宮沢賢治『農民芸術概論』を読んでみたい、と思って、読書メーターに登録しようと思って、アプリを開いたら、宮沢賢治全集が目にはいって、全集でも良いかも、と思った。奥山淳志『動物たちの家』も読んでみたい。水木しげる河童の三平』も。光と影のエッセイの最後に書かれていた文章も良かった。

 

 犬が眠っている窓の外では立派なトマトの葉が茂っている。午後になると少し日が陰り、うっすらとベランダに影ができ、大きな葉が陰影を作る。その傍で老犬は深く深く眠る。私たちはいつまでも光の側でばかり生き続けることはできないのだ、という大きな矛盾のなかで生きている。光ばかりだとわれわれは困憊してしまうからだ。やがて光を影が覆い、その光と影が生命の循環なのだとわたしたちはいつか理解し、前に進む。ぼくはいずれ老犬を大きな影が覆ってしまうことを知っている。だがいっぽうで、どうしてもその事実を認められない自分がいる。永遠などありはしないのに。

 早坂大輔『いつも本ばかり読んでいるわけではないけれど。』p51

 

 センバツ高校野球決勝は、健大高崎報徳学園だった。気づいたら、寝ていて、起きたら、9回表、報徳学園の攻撃だった。1点差を追う二死から盗塁を決めた。WBCで鳥谷が盗塁したのと同じだった。勝ちたい、という気持ちが、その盗塁からも、試合が終わった後も、画面上から伝わってきた。夏の報徳学園に注目したい。

 

 

成瀬は信じた道を行く

 午後は有給休暇を取り、銀行や郵便局で用事を済ませ、自宅の駐車場に戻って来たところで、そういえば『成瀬は天下を取りに行く』の続編を買いに行こうと思っていたんだ、とダイヤ書房に向かった。途中、スターバックスで、アフォガードフラペチーノを買った。

 ダイヤ書房の店内に入ると、気になるZINEを見かけた。早坂大輔『いつも本ばかり読んでいるわけではないけれど。』。パラパラめくって、値段を確認して、ちょっと高いな、と思ったけど、あと2冊しかないし、ここで買わないと、もう出会わない可能性も感じて、買うことにした。

 店内の棚を見るとはなしに見ていると、高校におすすめのコーナーというような棚があって、『成瀬は天下を取りに行く』が置いてあった。確かに、高校生に読んでもらいたいかも、と思った。宮島未奈『成瀬は信じた道をいく』を見つけて、レジに向かった。

 自宅に帰ってきて、早坂大輔『いつも本ばかり読んでいるわけではないけれど。』の巻末を開いて見ると、岩手県盛岡市とあり、妻に、盛岡だってと伝え、二人でそれぞれ携帯で、BOOK NERDを調べた。 NERDはオタクって意味だって、と妻が言った。私が開いた記事では、『ウンベルト・サバ詩集』のことをBOOKNERDの店主、早坂さんが紹介していて、『ウンベルト・サバ詩集』を読んでみたいな、と思いながら、Amazonだったり、メルカリだったりで調べてみた。

 『成瀬は信じた道を行く』を開いた。前作のときめき夏祭りの場面から始まる。もっと時間が経過したところから始まるものだと勝手に思っていた。

 成瀬は、膳所高校出身で、膳所高校ってどこかで聞いたこと覚えがあり、おそらく甲子園だ、とネットで調べると、やはり、「滋賀・膳所高校、59年ぶり春の甲子園へ」と書かれたびわ湖大津経済新聞を見つける。2018年の記事。 

 最初の章である「ときめきっ子タイム」も最高だった。成瀬は、誰に頼まれてもいないのに、ときめき地区をパトロールしていた。

 次の章は、どうもお父さんが登場している。どんなご両親に育てられたのだろうか、前作を読みながら、少しばかり気になっていたところだった。

 

 インフルエンザが流行り出した。新年度早々、感染症に悩まされたくないなあ、と思っていたけれど、ダメっぽい。

 

西武大津店に捧げる

 仕事を終え、自宅のドアを開き、居間に入ると、エアロビのような体操をしている妻と目が合い、頬を緩めながら居間の隣の自室に直行し、上着を脱ぎ、美しさに対して貪欲だな、と独り言のように妻に話しかけた。妻は、これから薄着の季節になるから、ということだった。数日後、エアロビのような体操を始めて筋肉痛になっているから効果がある、と言っていた。

 

 宮島未奈『成瀬は天下を取りに行く』を読み終わった。一年ほど前、Xで、「めちゃめちゃ面白いです。滋賀県大津市が舞台の青春小説」と伊野尾書店の店主が投稿しているのを読んで、いつか読んでみたいと思っていた。

 2024年本屋大賞でノミネートされて、再び、目にする機会があり購入した。私の中では、2024年本屋大賞は、川上未映子『黄色い家』だな、と思っていたのだが、宮島未奈『成瀬は天下を取りに行く』を読み終わった今、甲乙つけ難く、比較できるものでもなく、もはや好みの問題ではないか、と思っている。どちらが大賞を取っても頷ける。(ちなみに、エントリーされている本を全て読んでいるわけではない)

 成瀬あかりという女の子が主人公で、最初の物語が、西武大津店が閉店すると知った成瀬が「この夏休みを西武大津店に捧げる」と宣言して、西武ライオンズのユニフォームを着て、毎日のように地元のテレビ番組が中継する映像の片隅に映るというものだった。

 最初のこの物語で、私の心は鷲掴みされた。めちゃめちゃ面白い。成瀬好き。私は忘れていた。他人から見たら、どうでも良いようなことに熱中する若かり頃を。あれを青春と呼ぶのか、と青春の意味を改めて考える。その青さって、今もなお大切にしなければいけないのではなだろうか。

 西武大津店って、本当に閉店したのだろうか、とこの文章を書きながらネットで調べると、確かに閉店していて、どこまでが本当のことなのだろうかということに意識が向けられ、成瀬あかりをモデルにした人は、果たしていたではないだろうか、と思ってしまう。著者が、成瀬あかりの友人である島崎なのもしれない。どうなんだろうか。

 仮に、成瀬のような女性がいたら、私は、好きになってしまうかもしれない。自分の価値観を持っている女性。いや、私は、そんな女性に会って来たし、恋をしてきた。

 そういえば、私が小学生の頃、周りから変わっているとか、独特だよね、と言われることが褒め言葉だったというのを思い出した。

 また、成瀬あかりの物語の続きを読みたいので、近々、『成瀬は信じた道を行く』を読むだろう。

 

 

 

目標設定の極意

 若い職員に、目標を教えてくださいと訊かれたことがあり、「現状維持」と応えたことがある。今も、その答えは変わらない。現状維持をするためには、変化を起こし続ける必要があると思っているけれど、そのことを付け加えたかどうかは定かではない。職員に、変化が激しすぎると言われたこともあり、それも私にとっては、現状を維持するために必要なことで、その時は、職員にも伝えた。

 そんなわけで、私は目標設定とかに今は興味がないのだけど、Numberの表紙がイチローだということで、Numberを購入し読んでいる。

 イチローは、「目標」という言葉について、「自らを高めていくために不可欠なものと捉えています。基本的には遠くに設定するものと、近くに設定するものの2つがあり、日々意識するのは近くにある目標で、それをクリアしていくことで遠くにある目標に近づいていく、そんなイメージです。これってよく耳にする話ですよね。でもやってみると結構難しいんですよ。ひとつ言えるのは、遠くの目標だけを見ているといずれは挫折します。難しいけど頑張ればできる距離感を大事に、僕は形にしてきました。」と答えている。

 私の場合は、目標を設定しているわけではないけれど、その時の自分の状態に応じて、自分自身にかける言葉を変えてはいる。私は、それを遠目と近目と呼んでいて、遠くを見ていて楽になることもあれば、足元の近くを見ているほうが楽な時もある。と、書いていて、基本は、自分に甘いのではないだろうかという気もしてきた。いや、甘いのは自覚している。甘くて良いのではないか、とも。

 ここ最近、ある職員のことを考えていて、その職員が、何度となく心が折るのは、目標設定が遠いからなのではないか、とイチローの言葉を何度か読んでいるうちに思うに至る。今度、提案してみよう。

 イチローへのインタビューは続く。今の高校生はどんな目標設定を提示すれば前へ進めると思いますかという問いに、「.(中略)。年々、厳しい指導ができなくなっているということ。実際、監督に話を聞くと以前にも増してその傾向は強く、萎縮してしまっているというんです。...多くの人が『時代だから』と枕詞のように表現する昨今ですが、果たしてその時は穏やかに見える時間を過ごしたところで、社会に出てからの耐性は育めるのでしょうか。(中略)。今の環境では甘えが出てしまうから、厳しさが必要だということは多くの子どもが理解しているんです。(中略)。高校生たちには『もっと厳しくしてほしい』という想いが潜在的に眠っているように感じます。それをくすぐるのも僕の役目。眠っているんものが目覚めるきっかけになればいいですね」

 高校生はどうすれば自分に厳しくなれるのでしょう。イチロー曰く、「だから、日々、自分の限界を迎えることが大事なんです。人と比較して『アイツよりも頑張った、頑張っていない』じゃ、基準がバラバラでわかりにくい。そもそも人の頑張りは秤にならない。秤にするのはその日の自分がいいんです。『あと一本走らなきゃいけないけど、もう今日はつらいし明日にしよう』ってこと、きっと多いです。そこでもうひと踏ん張りできたかどうかは、人にはわからないけど、自分にだけははっきりとわかる。人の力を借りず、自分でそこを超えていくのが大事なのはわかっているのに、行動するのは実はとても厳しいんです」

 再び、ある職員のことを考える。イチローのいう秤が、他者にあるから苦しくなるというのは、私から見ると、わかるのだが、果たして、本人が自分でその答えを導き出していくために、私は、どんな言葉をかけるのが良いのだろう、と考えている。

 

 

 

 

ホワイトデーに海産物を贈る

 「飛ばされたのが確定したときから、店は即座に追い込む側よ。だからホステスも飛ぶか、その根性がなかったら、なんとかべつの店に移ってアドバンスを立て替えてもらうとか?まあどっちにしても、借金漬けよね」

 「そういうことって、よくあるんですか」

 「まあね」

 「ホステスさんが飛ぶって、どうするんですか」

 「そうねえ」

 琴美さんは、わたしの顔を見た。

 「消えるの」

 「消える?」

 「そう、消えるの。誰も追いかけてこられないところに」

 川上未映子『黄色い家』p103

 

 川上未映子『黄色い家』をコメダで読みながら、消えるだ、と思った。死にたいと消えたいの違いについて考えていて、『黄色い家』でいう消えるとは違いがあるのだろうか?と考えていた。その場所から、存在を消したい。逃げたいという言葉に近いのだろうか。ただ、逃げたいという言葉ではないのだから、また、微妙にニュアンスが違うのだろう。

 『黄色い家』は、2024年本屋大賞にノミネートされている作品であり、そのことを知って、また読みかけの『黄色い家』の続きを読むことにした。この作品は、映画化されるのではないだろうか。

 『黄色い家』を読んだり、携帯電話を操作したりしていると、携帯電話のXで、江頭2:50が、入学式か何かでスピーチしている動画を目にした。いつかも見た動画なのだが、もしかしたら、いつかも見た動画じゃないかもしれないと思ったのもあって、再び、見た。

 江頭2:50は、「悩んだら、俺を見ろ。悩んでいるのが馬鹿馬鹿しくなるから」と魂の叫びというような口調で叫んでいて、私は、うるっと来た。うるっと来たところで、コメダを出て、人間は、そもそも弱い存在である、というようなことが頭をよぎった。

 

 そこから、ホワイトデーの贈り物を買いに札幌駅周辺に向かった。ネットで買おうかとも思って、あれこれ見ていたのだが、ピンと来るものがないというか、何を買っていいかわからなくなり、私が食べたいものを贈ろうと思って、佐藤水産で買う事にした。ホワイトデーで海産物というのも何とも合わない感じはするけれど、海産物は北海道って感じもするし、と思って、佐藤水産を訪れた。思いのほか高いな、と思ったけれど、感謝の気持ちが伝われば良いな、と思って、14日の19時以降に届くように日時指定をして、佐藤水産をあとにした。

 

 

137番

 ディーラーから依頼のあった印鑑証明を区役所に取りに行った。発券機から整理券を取り、椅子に座り、私は、太田靖久『ののの』を読んだ。3月だからなのか、いつものことなのか、区役所は混んでいて、私は太田靖久『ののの』を読みながら、椅子で眠りこけていて、気づけば、待つこと2時間を過ぎていた。整理券番号は、必ずしも、数字の順番で呼ばれているわけではなかったので、私は、これから何人待てば良いのか、見通しが持てなかったが、どうも、私の番号である130番台が呼ばれる気配はなかった。機械の音声が、大変お待たせしました。176番でお待ちのお客様、6番窓口にお越しください、と呼ぶ。機械に謝られてもな、とその音声を聞く。待ちきれなくなって、総合窓口のところに行き、私は整理券を出し、いつ呼ばれるのでしょうか、と訊いた。総合窓口の職員が慌てている様子を見て、私の番号は、とうの昔に呼ばれていることがわかった。ディズニーランドのファストパスかのように、窓口に行き、印鑑証明はあっという間に発行された。

 

ののの

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