どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

北海道の石割桜

 石割桜といえば、岩手県にある石割桜を思い出すけど、北海道にも石割桜があることを知った私たちは、北海道の石割桜を観にでかけた。

 有珠善光寺自然公園にある石割桜

 有珠善光寺は、有珠湾の近くにあって、車を降り、海を眺めたのだが、海の匂いはしなかった。

 平日にも関わらず、人が多いね、と私が言うと、妻が、祝日だからね、と言った。そうか、祝日か、ゴールデンウィークの前半か。仕事柄、祝日と関係のない勤務をしていると、曜日感覚が狂う。

 有珠善光寺自然公園は、北海道らしからぬ雰囲気があり、そう思えないのは、善光寺茅葺き屋根で、北海道で茅葺き屋根を見たのは初めてだった。公園内には、ソメイヨシノ蝦夷山桜があり、立派な桜が多くあった。ホーホケキョッ、と名前を知らない鳥が、陽気に鳴いていた。妻は、先日、テレビで、姿を現さない鳥らしい、と私に教えてくれる。石割桜を指し示す案内板をたどり、石割桜に辿り着くと、石割桜は、咲いていなかった。確かに石と同化していた。この公園には、有珠山の噴火によるものなのか、大きな岩がゴロゴロと散在し、こんな大きな岩が空から降ってきたら、と思うと、死ぬな、と思った。

 昼食は、蕎麦を食べた。ゴールデンウィークだからなのか、並ぶほどお客さんがいて、私は、本日のおすすめである、ごぼうの天ぷらそばを注文した。ごぼうの天ぷらは、お椀に入りきらないほど、大きな円を描いていて、そばというよりも、ごぼうでお腹がいっぱいになった感があった。おいしかった。

 車内で、妻が仕事の話をしているのを聞きながら、人は、自分の経験からしか想像することができないのかもな、と思った。相手の話を聞き、自分の経験のフィルターを通して、相手の話を理解しようとする。だから、自分が、相手と同じような経験をしていないと相手の言わんとすることが理解できない。だけど、経験することなんて限られているから、コミュニケーションがすれ違う。

 登別経由で自宅に帰る道すがら、昭和の雰囲気漂う鬼を見つけ、写真を撮りたい、と私は車を止めた。なぜ、私は、平成ではなく、昭和を感じるものに惹かれるのだろうか。