どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

消えたい

 一日のルーティンのように、条件反射かのように、コメダに来ているな、とコメダのドアノブに手をかけた。

 持参した鞄からiPadを出して電源を入れ、書きかけの日記の続きを書き、鞄から、太田靖久『ののの』を開いた。読んでいると、店内に流れる女性が歌う歌がよくて、なんて歌なんだろう、と聴いていると、忌野清志郎『デイ・ドリーム・ビリーバー』を女性ボーカルが、英語で歌っているものだった。

 

 誰かを雇えば良いのかもしれなかったが、人を使うということが嫌いだった。「人を使う」という言葉も嫌いだったし、それらを言い換えただけの柔らかな表現、「手伝って貰う」とか「パートナーとして頑張ってもらう」などもやっぱり苦手だった。

太田靖久『ののの』p78

 

  会議中に、女性が、なんで人を一枚、二枚と呼ぶの?と語気を強めに言い、一枚、二枚と言った職員は、じゃあ、なんて呼べば良い?と聞き返し、一人、二人でいいでしょ、と言い返した場面を思い出しながら読んだ。

 私は、そんなに気にならなかったが、どんな言葉を選ぶかは重要だと私も思っていて、その表現の仕方、何か気になるな、ということは日常でたまあにある。たまあにあるが、私は、めんどくさいのもあってか、指摘することはなかった。 

 『ののの』を読み進めると、死にたいではなく、消えたいという言葉があり、私は、いつかも聞いた消えたいという言葉を考えていた。死にたいという言葉を使うのではなく、なぜ消えたいという言葉を使うのだろう。存在を消したいということなのか、であるならば、存在を消したいということはどういうことなのか、そんなことをつらつらと考えた。

 

ののの

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出会い

 職場に出勤すると、早めに出勤していた職員がいて、昨日、私たちが参加した懇親会の感想の話になった。その懇親会で、専門性について語るインターン生がおり、私は残念な気持ちになった。

 知識、技術のみが専門性ではない。私は、知識、技術しかない者を偽者の専門職と呼ぶ。知識、技術を活かすために、根底となる考え方や姿勢が必要である。考え方は、仕事の仕方に変わり、姿勢は、立ち居振る舞いとして現れる。知識、技術が必要ではないと言っていない。知識、技術は必要であり、武器である。専門性を突き詰めたところに、専門性の鎧を脱ぐことができる。まるで、剣の達人が、鎧を纏っていない状態で強いように。

 実は、大切なことって、当たり前すぎるほど当たり前のことで、誰にでもできることなのに、実行にうつしている人は少ない。何で、実行にうつすことができないのだろうか、と言う私の話を聞き、職員は、頭でわかっているだけで、体感してないからですからね、と言い、考えないのは、インターネットですぐに検索できちゃうから、わかった気になるんじゃないですかね、と続けた。その職員は20代である。

 そうかも、と聞きながら思った。その職員は、よく読書をする。読書が想像力を養っているのかはわからないが、考えを深めている職員は、よく読書をする。

 懇親会の席で、では、根底にある大切なものは、どう養うかについて話が発展し、私は、心の中で、出会い、と呟く。出会うことが一番、心を突き動かすから。

 出会いは、直接、誰かと会うことかもしれないし、誰かの講演を聞くことかもしれないし、誰かの著書を読むことかもしれない。

 懇親会の席でも、出会いについての話になり、私は質問をした。すでに出会っている場合もあるじゃないですか?だけど、素通りしている場合もある。すると、その質問をした人は、タイミングも必要だ、と応えた。心を突き動かされるための出会いをするためには、その人に溢れる何かがあるとき、という。

 

『何かを想像する時には、その想像の中で自分が想像していないことが起こりうることを想像しておけ』

太田靖久『ののの』p27

 

『つまりお前の想像の中でお前の想像通りのことしか起きないのだとしたら、それは本当の意味での想像ではないのだ』

太田靖久『ののの』p27-28

 

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今までで一番おいしかった食べもの

「今まで一番おいしかった食べものは何?」

「んー、生茶……ですかね」

「え?」

 中学二年生の女の子に好きな食べものを尋ねたときの会話なのだが、生茶は食べものなのか。生茶はコンビニなどで売っているお茶の商品名である。彼女はその後にこう続けた。

自動販売機で生茶をはじめて買ったんですよー。そしたら、うまっ?と思って」

石川直樹『地上に星座をつくる』p216

 

 冒頭の会話でぼくが絶句したのは、はじめて生茶を飲んだ時のことなんて忘れてしまっていたからだ。そんな記憶に残っていない、新しい何かとの遭遇を繰り返して人はおとなになっていく。歳をとればとるほど、新しい何かは少しずつ減っていき、知っているつもりのことが多くなる。彼ら彼女らの会話や反応を間近で見ていると、自分が未知の世界と出会った瞬間の新鮮な感覚がわさわさと思い起こされた。

石川直樹『地上に星座をつくる』p218-219

 

 石川直樹が醸し出している雰囲気によるところなのか、中学生の返答が自然体で良いな、と思った。私だったら、他所行きの言葉を話してしまうかもしれない。自分をよく見せようと無意識に言葉を発しているような気がする。

 それにしても生茶という回答が良い。私がはじめて食べて、うまっ、と思った、山頭火のしおラーメンを思い出した。

 こうして日記を公開していると、私がこの文章はよく書けた、力作だと思う文章と読者の方の反応が一致しない。案外、自然体の、何気ない日常が良かったりするのかもしれない。

 石川直樹『地上に星座をつくる』も終わりにさしかかった。コメダの隣の席に座る女性3名は、何気ない日常の、夫婦のやり取りを話していた。

 私が居間で寝ているところに夫が帰宅して、夫は、私が死んでいると思ったのか、必死で起こしたと笑っていた。

 私は、聞くとは何にそんな話を聞きながら、気づいたら、コメダで眠っていた。

 

 

 

阪神タイガースの謎の老人監督

 妻が、ニュースを観ながら、「大谷のニュースばっかりで、日本のプロ野球はやらないね」と呟いているのを聞いてからというものの、今日も、大谷の情報だけだ、と思うようになった。私たちは、大谷ファンではあるが、ここまで日本のプロ野球をニュースで流さないのも、いかがなものなのか、と思ってしまう。

 3月6日、7日には、京セラドーム大阪で、侍ジャパンが欧州代表との強化試合があり、3月18日には、センバツ高校野球が開幕する。まもなく球春が到来する。

 球春が到来するまでの間、書籍で野球を楽しむのも、また良い。

 村瀬秀信さんの新刊『虎の血 阪神タイガース、謎の老人監督』を読んでいる。伊野尾書店で購入したサイン本である。

 村瀬秀信さんといえば、『4522敗の記憶 ホエールズベイスターズ涙の球団史』、『止めたバットでツーベース 村瀬秀信 野球短編自選集』、『ドラフト最下位』と、どれもがおもしろく、『虎の血 阪神タイガース、謎の老人監督』を読むのを楽しみにしていた。

 プロ野球経験なしの老人が、阪神タイガースの監督になる、という物語。

 私は、ストッパー毒島に登場する老人監督を思い出し、本棚に並ぶ、ストッパー毒島を引っ張り出して老人監督を探した。ストッパー毒島3巻に、老人監督である三木源三郎が初めて登場する。そこには、こう書かれている。三木源三郎。二軍監督・・・。のびのび野球を提唱する昭和一ケタ生まれ。しばしば試合中に居眠りをする。彼のことを“恍惚の人“と二軍選手たちは呼ぶ。三木源三郎のモデルが、岸一郎ではないかとも思ったが、『虎の血 阪神タイガース、謎の老人監督』に登場する老人監督である岸一郎とは、背格好も違い、どうも三木源三郎とは違う。

 岸一郎が、大阪タイガース(現阪神タイガース)の監督になったのが1955年。巨人の川上哲治が、吉田義男が現役の時代である。本著で、たびたび登場する藤村富美男を知ったのは最近のことで、プロスピAというゲームがきっかけだったが、藤村富美男が、当時、大阪タイガースの顔だったというのも本著で知った。阪神ファンだと当たり前の知識なのだろうか。巨人がV9を達成するのが、1965年から1973年までであり、王、長嶋以前のプロ野球については、全くもって、知る機会もなかった。

 で、岸一郎である。岸一郎が、代走だと言っているのに、選手が代走を拒否し、やっぱり代走なしで、と采配を取り下げてしまう場面がある。これは辛い、と思いながら、ふと、自分の高校時代のことを思い出した。高校3年の時に、野球をあまり知らない監督が野球部に就任するのだが、私は、試合の後に、「なぜ、あの場面で4番の私にバントなのですか」と喰ってかかったことがある。監督は、ただ黙って、私の主張を聞いていた。

 選手たちから馬鹿にされることも辛いが、輪をかけて、プロ野球の場合、ここにファンもいて、マスコミもいて、フロントもいることになる。プロ野球選手としてある程度の成績を残して監督になった者でさえも、結果が伴わなければ、外野は容赦がない。結果が全てのプロの世界といえば、プロの世界かもしれないが、どんな精神状態になるのだろう。岸一郎が監督になり、33試合、二ヶ月弱で、監督を辞任する。

 本著も半分過ぎた頃、ここからおもしろい展開になるような雰囲気を感じないと思いながら読み進めると、阪神の監督は、いかに難しいかを知ることになる。確かに、思い起こせば、ノムさんも、矢野も、大変そうだった記憶が薄らと蘇る。いかに、昨シーズンの阪神の日本一が凄かったかがわかる。強い阪神が続くのだろうか。本著を読み終わった今、俄然、今後の阪神の動向に目が離せない。

 なぜ、阪神ファンは、あれほど熱狂的になれるのか、思いを馳せる。阪神ファンだけではなく、選手も、監督も、なぜ、そこまで阪神を愛せるのだろうか。そんな大変な想いをしているのに。

 

つぶらな瞳

 コメダにて、鞄に詰め込んできたいくつかの本から、『ODD  ZINE vol.2』を取り出した。

 

 どんな犬でもいいんですけど、トイプードルがいい。人の悲しみに寄り添う速度が一番速い犬種なので。『ODD ZINE vol.2』p10

 

 そうなんだ、と、あるお宅で飼っているトイプードルを思い出した。いや、トイプードルなのか、と不安になったので携帯電話で検索して画像で確認すると、ぬいぐるみのような犬の写真が出てきて、やっぱりトイプードルなんだ、と思った。

 人の悲しみに寄り添う速度が一番速いのか。

 私が仕事で訪問する何軒かのお宅では、犬を飼っていて、私は、猫派なので、その犬たちをかわいいとか、好意的な感情を抱くことはないのだが、そのトイプードルだけは、かわいいと思っているし、かわいがっている。

 なぜ、かわいいのかと思い始めたというと、私が、そのお宅を訪問し始めた頃に遡る。

 信頼関係もままならず、不安を抱きながら、そのお宅に訪問していた頃、そのトイプードルは、毎回、私のところに来て、撫でてくれ、撫でてくれ、と私の足、膝の辺りに自分の顔を擦り付ける。かまってくれないと嫉妬をして、お粗相をしちゃったりする。私が帰る頃には、クッションで寝ていたはずなのに、玄関まで見送りに来てくれる。あのつぶらな瞳で。記憶が定かではないが、初めからそうしてくれていたのだろうか。

 私は、いつしか、この犬は、私を歓迎してくれているのか、応援してくれているのか、と思うようになり、心の中で、ありがとね、ありがとね、と、会うのを楽しみにし、私たち夫婦の会話に登場するようになった、唯一の犬である。

 

 『ODD ZINE』を手に取ったのは、私が好きな作家の一人である滝口悠生が参加しているからでもあり、ODD ZINE vol.2に『近所のハッケン伝』という短編小説が掲載されていた。

 ある夫婦が、近所で出会う犬たちとの物語で、その短編小説を読みながら、読後感を言葉にするのは難しいのだが、滝口悠生は、変わらず滝口悠生だな、と思った。ODD ZINEを手にしなけらば、この短編小説は、読めなかったであろう。読みながら、私は、一人の職員のことを思い出していた。時代が変わっても、誰と接しても、その職員は、変わらない。流されないというか。まだ20代なのだが、その職員と、この前、久しぶりに話をしたのだが、私はパワーをもらった。

 北海道も、この前まで春まっしぐらだな、と思うほど暖かく、雪が一気に溶け、道路が顔を出したというのに、今日は、雪が一気に降りそそぎ、冬に逆戻り。

同窓会には参加しない

 携帯電話に登録していない電話番号から着信があり、いつもなら、電話に出ないのだが、着信のあった電話番号が、携帯電話からということもあり電話に出た。

 電話越しの相手は、かしこまった言葉遣いで名を名乗り、私は、すぐに高校時代の同級生だとわかり、「はっせか?」と伝えると、電話越しの同級生も、緊張が解けていくのが伝わった。ただ、仕事中だから、その旨を伝えると、また夜に電話をするということになり、電話を切った。

 高校の同窓会をするという話は、別の友達から聞き、その友達には参加しない、と伝えていた。何人かの同級生に会いたくないというのがその理由だった。

 私たちの高校は、幾つもの中学の出身者が集まる高校で、8クラスあった。田舎の高校なのだが、その中でも大きい中学出身者が、幅を利かせるというか、一言で言えば、偉そうで、私は、偉そうな奴が嫌いだった。偉そうな奴が嫌いというのは、今も変わらないのだが、何故にそこまで偉そうな奴が嫌いからと考えてみると、そういう部分が自分にもなくはない。いや、そうなのだろう、ということが、高校を卒業してから気づいた。

 高校の同級生の何人かとは、卒業した後も会っていたのだが、偉そうな態度を見せられると、もう、こいつと付き合わなくて良いや、と距離をとることにした。

 社会人になって生きやすくなったのは、気が合わない奴とは、会う必要がなくなったこと。職場では、気が合わなくても、一緒に仕事をしていかなければならないが、学生の頃に比べると、断然、気が楽だ。仕事は仕事と割り切れるから。

 今、思えば、それほど、大したこともなく、同じ場所で、同じ時間を共有していれば、仲直りをした可能性が高いが、一度、距離をとると、それぞれの生活の場があるから、会わなくなり、何年も、何十年も時が経つと、もはや修復が不可能になる。

 仕事中も、電話をかけてきた同級生は、私に同窓会に参加して欲しい旨を電話してきたのだろうか、私、一人、参加しなくても、何ら影響がないだろう、と伝えているのを想像し、いや、参加してよ、と粘られ、私は、同窓会に参加して、友達と会い、今の仕事の話や、これまでの話をしている姿が頭の中で勝手に再生され、同窓会に参加しても良いかな、という気持ちにすらなっていた。

 夜、再び、同級生から電話がかかってきた。用件は、野球部の一人と連絡がつかないので、私が、連絡先を知っているかと思って、とのことだった。私が、妄想気味に想像していた、同窓会に参加して欲しいということではなく、ああ、そういうこと、と思った。話の流れから、私が参加しない理由を告げると、そういうこともあるよね、参加は、強要するものではないから、とあっさりとしたものだった。その同級生が今、住んでいる住所は、私いつものよく行くコメダと同じ住所だった。

 次の日、私は、いつものように、コメダに行き、届いた『ODD  ZINE』を読んだ。その一冊に、「好きなこと、嫌いなこと」で記事を書くという特集を組んでいるものがあり、私も、嫌いなことで書いてみようと、iPadで言葉を綴った。

 

会社にはわかってもらえない

 会社にはわかってもらえないと思ったほうよいよ、という言葉が周り回って私と管理者の耳に入り、お互い、自分のあの良かれと思ってかけた言葉だ、と思った。もちろん、その職員は傷ついているのだろうが、管理者も傷を負う。それは、管理者の仕事として、当然のことかもしれないが、管理者が、どれほど、職員のことを考え、想っているのかは、伝わりづらい。どの会社の上司も同じだと思わないが、少なくとも私の会社の管理者は、職員のことを大切にしようと思っているし、私も思っている。

 管理者だけではない。先輩、後輩との関係においても、起こり得る。後輩は、先輩に相談できない、という声を訊く。先輩は、先輩で、なぜ、後輩から相談が来ないだろうと悩んでいる。

 私は、考えても、わかならなくなり、時代のせいにしたくなる。

 そういえば、と、私は、以前、読んだ尹雄大『聞くこと、話すこと』を開き、携帯に当時、メしていたページを拾い読みしていった。 

 

 互いが「あなたを知りたい」という思い、だからこそ相手に何かを率直に尋ねるとき、そこに信頼が生まれるのではないか。尹雄大『聞くこと、話すこと』p26-27

 

 「あなたを知りたい」というあまりの素直さに触れたとき、身にまとった鎧を脱いでもいいのではないかと思い始める。私が私であることを許される、認められる。そこに「私自身であってもいいのだ」という安心を覚える。尹雄大『聞くこと、話すこと』p26-27

 

 言葉を知的に理解しようとする前に「完全に聞く」ことが重要だと思っている。・・・「『完全に聞く』とは『ただ聞く』だと思うのですが、おそらくは余計な聞き方をしないことが大事だと思うんです。ただ聞けていないときに排除されているものがどういう要素なのか。何が余計な聞き方を生じさえせているのかということになりますね」尹雄大『聞くこと、話すこと』p28

 

 たとえ表情や身振りを感覚で把握しているつもりでも、意識的に聞こうとして聞いている限りは「感覚的理解」という概念的な行為でしかない。食事を味わおうとして味わっていては、味がわからなくなるのと同じだ。それでは「感じている」というリアルタイムの出来事から遅れてしまっている。・・・だから口にした言葉に意味だけを見出そうとする限り、決して相手が話に託した思いや感覚に近づけないだろう。尹雄大『聞くこと、話すこと』p20

 

 ケアする人たちが認知症患者と接する際、彼らを人間として、尊厳ある存在として扱うときに、実はケアする人たちも初めて自らの尊厳を保つことができるわけだ。尹雄大『聞くこと、話すこと』p120

 

 「あなたは決して相手を変えようとしていない。ただその人がその人であることを認めている」私がそういうと、彼はこう返した。「変えるとか以前の状態に戻すではなく、今ここの瞬間のあなたに注目する。それが大事だ。尹雄大『聞くこと、話すこと』p125

 

 できないことで傷ついてきた人は、ある意味で「できないこと」にこだわる。身体の使い方とは、できないことをできるようにする訓練に励むように言っているのではない。できるとできないのあいだには、ただ行為がある。つまり、できるとかできないではなく、ただやればいい。身体を使うとは、ただ行うということだ。尹雄大『聞くこと、話すこと』p188

 

 私たちは苦痛に対する大きな誤解をしているのかもしれない。楽しいことは楽なわけではない。苦を通じてしか至れない楽しさもあるのだが、提供された娯楽や快楽に時間を費やすことを当たり前にした体感からは、苦しさは避けるべきものとしか見えない。それは自身の身体に起きている現象を拙い言葉に置き換えているだけで、身体の声を、訴えを聞いていないのではないか。尹雄大『聞くこと、話すこと』p188

 

 「いかに客観的になれるか」ではなく主観の徹底に手がかりがある。そのためには自分の主観を徹底して観なくてはならない。主観で観るのではなくして。・・・問題は、見たものが世界のすべてだと思い込んでしまうことだ。その錯覚に気づくには、カメラをどの位置と高さと角度で構えているからその景色が見えてくるのか、を知るかにかかっている。自分にとってあまりにも当たり前すぎることを改めて捉え直すのは難しい。だからこそ、自分の行っているジャッジのあり方を知らなくてはいけない。いわば撮った写真から「何をどのようにどこから撮っているか」の観点を探るわけだ。尹雄大『聞くこと、話すこと』p232

 

 やってしまったことを迂闊に反省しないことは結構重要ではないか。といっても反省が悪いのではなく、また反省しなければいいわけでもない。親しんでいる反省の仕方そのものが従来の自分を生き残らせる巧みな方法になっている場合も大いにあるということを言いたい。尹雄大『聞くこと、話すこと』p254

 

 当時、読みながら、私は、「伝えようと思う気持ちが強いと聞こえなくなることがある」とメモを書いていた。そのメモを読み直した時、この時に気づいていたのにな、と思う。

 ある職員が、「教えてもらいたいのではない。対話をしたいんです」と言った。

 私は、人の話を聞きながら、話をしたいスイッチが押されることがあり、聞きながら、次の話たいことが頭の中に浮かび、ついつい、話しすぎるという悪いところがある。その職員に言われて、まずは、相手の話を聞こうと、自分に言い聞かせる。

 最近、コミュニケーションについて考える機会が多く、何度となく、私が若かりし頃に抱いていた感情を思い出す作業を繰り返す。

 わかってもらえると思えるから、伝えようと思う。それは当然のことであり、それは時代のせいではない。もちろん、生きてきた時代があるし、世代による溝があるとしても、わかってもらえないと思えないのなら、話すること自体を諦めるだろう。

 では、わかってもらえると思うのは、どうすれば良いのだろう?私は、若かりし頃に、話したいと思った先輩の顔を思い浮かべる。その人は、自分の考えを発信してくれていた。その発信を聞きながら、この人なら、相談したいかも、と思った。で、相談というか、自分の考えを伝えた時に、最後まで聞いてくれた。聞いてくれただけではなく、そっと一言、添えてくれた。その一言に納得はできない時でも、ずっと、その一言は余韻として残っていて、ある時、その先輩が言ってくれた言葉は、こういうことだったのか、と理解できた。