北の凡

いろいろあるけれど、それでいい

ジャイアン

休みたいなあとは思うけれど、朝、そんなに行きたくないとは思わない。職場に行くと、そう思っていたことも忘れ、あっという間に1日が終わる。それは、幸せなことだと思う。

 

自宅に帰ってきて、ニュースをみると、新型コロナウィルスの新規感染者数は300人を超えたという。過去2番目の多さ。すぐそこまで来ていると、職場の人が言っていたけれど、これまでになく、そこまで来ている感じがする。胸がざわざわしたので、部下たちに警鐘をならした。

 

3連休のあと、1日、仕事をして、また、明日、休み。休みといっても、病院に行き、車の点検のためにディーラーに行って、美容室にいく。ほぼ予定が埋まっている。もはや休みであって、休みの感じがしない。

 

札幌芸術の森美術館で催されている『ドラえもん展』を観にいきたい。国内外28組のアーティストのドラえもん。私だったら、どんな作品を作るだろうと、ここ何日か考えていた。ジャイアンについて表現しようというところまで決まっていたけれど、さっき、ブログを書くのに、『ドラえもん展』のホームページを見ると、ドラえもん縛りのような気もしないでもなく、ジャイアンはだめなのか、と思った。ドラえもん展は、どんな作品があるのだろう。

 

ジャイアンに思いを馳せると、いろいろ疑問がわく。そもそもジャイアンは、剛田武という名前があるのに、ジャイアンというあだ名になったのかということ。ウィキペディアで調べると、もともとはジャイアンという名前だけだったが、読者から、なぜ名前がないのかと問い合わせが相次ぎ、剛田武という名前をつけたらしい。それはそれとして、なぜ、ジャイアンなのか。巨人であるジャイアントからつけられたのか。それなら、ジャイアンではなく、ジャンボとか、ジャイアントでも良かったのではないか。とても気になる。ジャイアンについて調べていたら、藤子不二雄の漫画を読みたくなった。

 

先日、手塚治虫の『アドルフに告ぐ』を読んだあと、手塚治虫藤子不二雄水木しげるなど一時代を築いた漫画家の漫画を読んでおいたほうが良いのではないか、と思った。そこには、何かがあるような気がする。

日日是好日

今、読むべき本かもしれないと手に取ったのは、森下典子日日是好日』。なぜ、今、読むべき本かもしれないと思ったかというと、私が、最近、気になっているキーワードである『余白』と茶道がどこかで繋がっているのではないかと思ったからである。

 

(もしかすると、先生は、思っていても、言わないだけなのかもしれない・・・)・・・言えばきっと、言葉の空振りになるのがわかる。思いや感情に言葉が追いつかないのだ。だから無言のまま、わが身と同じ大きさのたぎる思いを、ぐっと飲み込んで、座っているしかなかった。そして、出口のない内なる思いに、少し目頭が暑くなった。森下典子日日是好日』p224

 

言いたいことを言わずに表現したいな、と私は思った。ふと、森下典子日日是好日』のまえがきに映画のことが書かれていたことに気づいてページを捲った。

 

『道』という映画の話。

 

フィリー二の『道』は、見るたびに「別もの」になった。見るたびに深くなっていった。・・・。世の中には、「すぐわかるもの」と、「すぐにはわからないもの」の二種類がある。すぐわかるものは、一度通り過ぎればそれでいい。けれど、すぐにわからないものは、フェリーニの『道』のように、何度か行ったり来たりするうちに、後になって少しずつじわじわとわかりだし、「別もの」に変わっていく。そして、わかるたびに、自分が見ていたのは、全体の中のほんの断片にすぎなかったことに気づく。「お茶」って、そういうものなのだ。森下典子日日是好日』p5

 

 

なにもないがすべてがある。

新型コロナウィルス感染拡大が気になり、できるかぎりのステイホーム。本を読み、昼寝して、だらだらと、だらだらと過ごしている。この過ごし方は、いつかやりたいと思っていた1年間、本だけを読んで過ごしたいと思っていた過ごし方ではないか、と思ったが、飽きるかもしれないな、とGWの夜に思う。2日目にしてすでに少し飽きているから。

 

そんな休みの今日は、原研哉『デザインのデザイン』を読んでいた。

 

グラディックデザイナーの原研哉氏は「エンプティネス」という概念を提唱する。エンプティネスは、空っぽのなかになにかが宿り満たされる可能性のことを指す。原氏の手がけるデザインはミニマムの極北と言え、一切の装飾を排除し色もスミのみという特徴がある。それは一見シンプルとは異なるという。なぜならシンプルとは装飾との対比、複雑さとの対比であるからだ。・・・一方でエンプティネスは簡潔さ自体を重んじる日本ならではの概念だという。プリミティブな円には自在な意味が宿る。・・・その意味づけは、個人にとってだけでなく、おそらく歴史的・地域的にも変化に富むだろう。原氏のエンプティネスには茶室にも通じる受け手の想像の働きへの呼びかけがある。渡邊康太郎『コンテクストデザイン』p44-45

 

以前、原研哉『デザインのめざめ』を読んだことがあるが、渡邊康太郎『コンテクストデザイン』のエンプティネスの考え方をもっと知りたくて、『デザインのデザイン』を手に取った。

 

あった。

 

コミュニケーションというのは、一方的に情報発信をすることだけではない。一般的には、分かってもらうべきことを明確にし、それを理解しやすいメッセージに仕立て、相応しいメディアを選んで流通させていくのが広告コミュニケーションだと考えられている。しかし全てが一様にその方法に準じる必要はない。メッセージではなく空っぽの器を差し出し、むしろ受け手の側がそこに意味を盛りつけることでコミュニケーションが成立するという場合もある。原研哉『デザインのデザイン』p112

 

なにもないがすべてがある。 

 

どこか日本的で、なぜか、かっこいいと思う。無印良品について書かれたページを読み、無印良品に行きたくなった。

 

もう一つ、行きたい場所を見つけた。べにや無可有。

 

「無可有の郷」とは荘子の言葉で、何もないこと、無為であることを言う。しかしそこには価値観の転倒があり、一見無駄で役に立たないようなものほど実は豊かであるというものの見方を含んでいる。器は空っぽであるからこそものを蔵する可能性を持つわけで、未然の可能性を持つことにおいて豊かなのである。可能性の潜在を「力」と見立てそれを運用しようとする思想は古来より中国にも日本にも共通してある。原研哉『デザインのデザイン』p169 

 

mukayu.com

 

デザインのデザイン

デザインのデザイン

  • 作者:原 研哉
  • 発売日: 2003/10/22
  • メディア: 単行本
 

 

 

イヤミス

そういえば、自宅に湊かなえの本があったな、と本棚を眺めた。

 

『ポイズンドーター・ホーリーマザー』を手に取った。

 

湊かなえイヤミスの女王と呼ばれているというのを、Switchインタビューで知った。イヤミスという言葉も初めて訊いた。後味が悪い、嫌な気持ちになるミステリー。

 

後味が悪いというか、人間の嫌な部分、人に見せない部分に光が当てられる。そして、最後の最後にちゃぶ台をひっくり返されるように物語が終わる。半分くらいまで読んだのだが、私は、『罪深い女』が特におもしろかった。

 

こんな母親いるかもしれないな、とか、親だけど、どうしても嫌いな親もいて、だけど、子どもの頃は、逃げることができなくて、とか考えると、どこかで同じような気持ちをしている人がいるのだろうな、と思った。家の中はなかなか見えない。大筋の物語にも引き込まれたが、最後の最後の数ページで、ちゃぶ台をひっくり返されたような物語になる。えっ、なんだったの?という感じに。そこが余白なのか。確かに、私が描いている物語と、私の物語に登場する人物は、人物の物語があって、同じ出来事でも、別な内容に変わる。

 

湊かなえファンは、このちゃぶ台返しのような終わりかたが好きなのだろうか。

 

 

本を読んでは、気付いたら昼寝をして、という休日を繰り返す。

 

手塚治虫アドルフに告ぐ』を読み終わった。

 

3人のアドルフの物語。1人のアドルフとは、アドルフ・ヒットラーである。1人の人間が、ここまで世界を巻き込むというのは、持って生まれた星というか、なんというか。一人を崇拝し、盲信することは、怖いこと。道を踏み外していることすら気づかない場合は、どのように気づけば良いのだろう。人は、見たいものしか見ないというか、見たいようにしかものごとを見ない。

 

ナチス崩壊後にパレスチナ問題が続くということを手塚治虫アドルフに告ぐ』を読んで知って、えっ?そうだったの?と自宅にあった山井教雄『まんがパレスチナ問題』を読むことにした。

 

アドルフに告ぐ 1

アドルフに告ぐ 1

 

 

余白

濱口秀司『イノベーションの作法』を読んだ。イノベーションを起こしたいとか、起こそうとか思っているわけではないが、どうも、ここ最近、読んでいる本には、イノベーションという言葉が頻回に登場することに気づく。そもそもイノベーションとはどのような意味なのか。あいもかわらず、わかるようで、説明を求められるとわからないカタカナ。ここ最近、カタカナが多すぎる。

 

ネットでその意味を調べる。私はイノベーションを起こしたいのではなく、そもそもデザインを使い問題解決をする方法だったり、どのようにアイディアを思いつくかということを知りたくて、このような本を読んでいたことを再認識する。イノベーションを起こしたいというわけではないけれど、私がしようとしていることはイノベーションを起こそうとしていることなのか。よくわからない。

 

SHIFT:イノベーションの作法

SHIFT:イノベーションの作法

 

 

北海道のコロナ感染者は200人を超えた。2日連続で。というのもあり、私は、自宅から一歩も出ず、録画していたテレビを見ることにした。

 

Switchインタビューの湊かなえ佐野正幸の回だった。湊かなえが、物語の終わりかたは余白を残すというようなことを言っていて、余白の分だけみんなが心の中にとどめてくれると言っていた。余白。最近、気になるキーワード。余白を残すことで、それぞれの読者が物語の続きを考える。昔は、どうなったのか気になって、そういう物語の終わり方を好まなかったが、最近、余白が大事なのかもしれない、と思うようになってきた。

 

濱口秀司『イノベーションの作法』の中にも、人が、何かを買う基準は、機能、デザイン、物語の順に変わってきたというようなことが書かれていて、私は、この余白と物語について深めていきたいな、と思っている。

 

 

北の国から

みたいみたいと思っていた『北の国から’95秘密』を観た。

 

たぶん、今回で3度目のはずなのに、記憶の中にある物語と実際の物語が違うので、少し驚いたというか、嬉しかった。

 

宮沢りえ演じる小沼シュウという女性が幸せになれば良いな、と思って観ていたけれど、'95秘密のみに登場するヒロインだと思っていたのが、'98時代にも登場するし、'02遺言にも登場していたのを、今回、初めて知って、私は立て続けに観た。一番好きなのは、小沼シュウが登場する'95秘密なのだけど、一番泣いたのは'98時代だった。

 

私が好きな登場人物は、小沼シュウと黒板五郎で、五郎さんが、こんなに優しい人だとは思わなかった。この年だからなのか、五郎さんのすごさを知るというか、北の国からは、たぶん、ある年齢を超えなければわからないおもしろさがあるのではないかと思っている。

 

発熱

もしかしたら熱が上がるかもしれない、と思った夜に、38度を超えた。一日で回復するような体調ではないと観念し、職場に連絡した。こんな時代だから、具合が悪いのに、謝罪しなければならない。電話越しに、迷惑さが滲みでていた。真面目な奴がいい奴だとは限らない。夜間ではあるが、できることなら、病院にかかりたいと思い、相談センターのようなところに電話をした。病院にかかるなら、救急車もしくは、こちらに電話してくださいと言われた。救急車を呼ぶほどでもないからと思い、電話をした先の職員は、これまた迷惑そうに、こちらでは病院を紹介していないんですよね、と言われたので、言い返す気力もなく、なら、早く切りたいと思って、投げやりになった。

 

1時間おきだったのか、2時間おきだったのかに目が覚めて、そのたびに体温を測った。38度代だった。救われたのは、次の日の病院の対応だった。看護師、医師ともに、丁寧で、コロナではないという診断だったが、希望していたPCR検査も実施してくれた。PCR検査は、思いのほか痛くて、オリンピック選手だったか、毎日のようにPCR検査を受けるというのをテレビで訊いて時は、それだけで、士気が下がるのではないかと思った。できることならば、もうしたくない。というか、もっと痛くないPCR検査をしてもらえないだろか。唾液とか。椅子に座るのも辛かった。腰が痛かった。

 

ともあれ、PCR検査は陰性でほっとした。久しぶりに仕事は4日間休むことになった。