どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

にもかかわらず

 宮野真生子・磯野真穂『急に具合が悪くなる』は、2026年、読んでよかった一冊にノミネートされた。至る所を引用したくなり、付箋を貼りながら読んでいたら、至る所に付箋を貼りまくっていただろう。付箋を貼りながらは読んでいないが。

 

・・・、私は哲学と出会い、少しだけラクになりました。この矛盾が何なのか、哲学がーとくに九鬼周造がーうまく説明してくれたからです。もちろん、説明できたからといって、うまく生きてゆけるわけではないのですが(それなら「合理性の鬼」になどならないわけで)

宮野真生子・磯野真穂『急に具合が悪くなる』p90

 

 頭で理解しているのと、行動するのとではやはり違うのだろう。この少しだけ楽になるということが大切、とは、以前も違う本で読んで、そんなものなのか、と思ったが、改めて、そうだよな、と思った。ただ、ここに感情も伴うわけで、そう考えると、生きるのは簡単じゃない、ということになる。

 

 自分自身の存在だってそうですよね。父母の出会いや、妊娠中の母の身体状態やその後の栄養管理など、いろんな原因を挙げることができます。けれど、なんで今に至る形でそれらの原因が組み合わさったのか、それはわからない。この最終的な謎のことを九鬼はドイツの哲学者シェリングにならって原始偶然と呼んでいます。

 それでね、この原始偶然から考えてみれば、私たちが生きる現実というのは結局のところ必然なんて言えないんじゃないか、というのが九鬼の考えなんです。

 もちろん、起こったことの原因を追及し、これからやってくる未来に備えるために合理的に考えることは大切です。でも、流れてゆく時間の中でさまざまな変化がある以上、各種の原因が次の瞬間にどんなふうに組み合わされるのか、そこに至る複数の流れがどう収斂することになるのかを完全に決定づけるものはありません。

 私たちの生きる現実とは、この一瞬にたまたまさまざまな原因が重なり合って、「いま」が生まれ、新しい予想もしていなかった未来が展開してゆく、そんなふうに成り立っているのではないでしょうか。わからない未来に向かって「いま」を生み出すもの、それが偶然なんのだ、だから偶然は「現実の生産点」だと九鬼は言っています。

宮野真生子・磯野真穂『急に具合が悪くなる』p93

 

 それで、野球です、と、宮野真生子さんは、九鬼周造の話から野球の話で説明を加える。もうたまらない。私もよくやるので。野球に例えると、理解しやすいから。

 

 さまざまな条件、幾筋もの流れが、その瞬間に「出会い」、偶然に「いま」が産み落とされる。そんなプレーに遭遇するたび、私は現実ってこんなふうに成り立っているんだと驚いてしまいます。と同時に、そこに「美しさ」を感じます。その美しさは、現実が生まれる瞬間の美しさであると同時に、その瞬間を引き受ける選手の強さでもあります。彼らは、最終的に現実は偶然に左右されるものだからといって、努力すること、準備することはやめません。自分の力ではどうしようもないものがあるとわかっていながら、彼らはバットを振り、グラブを出す。必然性を求め、この先の展開を予測し、自分をコントロールしようとしている選手たちは、最後の最後で世界で生じることに身を委ねることしかない。それはどうなるかわからない世界を信じ、手を離してみる強さです。そんな強さをもつ選手たちに私は憧れ、「いま」が産み落とされる瞬間に立ち合って時々泣きそうになります。

宮野真生子・磯野真穂『急に具合が悪くなる』p95-96

 読みながら、野球をやってた者たちは、それを野球の神様と呼びます、と。そんなふうに野球を観ている人がいたんだ、という驚きと、気づいていなかった野球の素晴らしさを教えてくれて、ありがとうございます、と思った。読み返してみると、これは本を作ることもにも通ずることかもしれない、と思った。本というか、出会いというか。最後の最後は読み手に委ねるしかないわけで。どうなんだろう。

 

 宮野さんは書簡の中で、そうでないこともあれた「にもかかわらず」、そうあることの不思議さについて繰り返し語っています。例えば8便で述べた次のように。

  

重要なのは、「あること」も「ないこと」もありえた「にもかかわらず」、けれど、私はがんになってしまった、ということ。つまり、「にもかかわらず」の反転、逆接こそが、私が乳がんになってしまったというときに偶然として感じる事柄の実体です。九鬼はこの「にもかかわらず」を人間がどんなふうに生きているのか、それを問い続け、私もまたその問題を考えてきました。

宮野真生子・磯野真穂『急に具合が悪くなる』p207-208

 

 「にもかかわらず」が大切なような気がするのだが、よくわからない。反転と、逆接ということがよくわからない。わかりたい。

 磯野さんは、宮野さんと出会って九ヶ月、リアルに会ったのは五回しかない、と書いている。私も、そんな出会いをしている。私が自主制作した『UNDERGROUND GALLERY N7』に書いている。その時は、気づいていなかった、というか、気づくわけがなかったけど、何十年と経過し、振り返ると気づける。なんだろう、この「たまたま」は、と。私は、その偶然が、偶然のようには感じず、何か必然だったような感覚になる。それを縁だったり、運命という言葉に置き換える。九鬼周造の言っていることがわかるようで、もっとわかりたい。もう一度、急に具合が悪くなるを読めば、もっとわかるのだろうか。もう一度、時間を空けて読んでみたい気もする。ちゃんとわかっているわけではないのに、おもしろいと思えることもすごい。

 

 

麺がない世界

 オーストラリア旅行に行った際に、友人に大変お世話になったので、お礼をせねばならぬ、と思ったけれど、7月に新しい本が完成するし、どうせなら一緒に送ろうと思って、早5ヶ月が経過した。

 送るものは、3月の時点で、決めていた。オーストラリアには圧倒的に麺が不足している。麺がない世界は耐えられない。そんなわけで、考えられるあらゆる乾麺を送ることにした。気になるのは、麺つゆを送っても良いかどうか、ということ。液体は、チェックが厳しそう。国際小包で送ることができない品目を、くまなく確認していくと、麺つゆは該当していないようだった。麺つゆは、紙パックに入っているタイプなので、移動中、何かの拍子に破損する可能性も十分考えられ、麺つゆにも、本にもそれぞれ包装し、郵便局に持っていった。

 住所を入力したり、品目と値段を入力したり、空路か、船路かを選択した。ちなみに船路だと、2ヶ月後になるという。今から2ヶ月後というと、10月下旬か。まあ、乾麺だし、乾麺のほかは、海苔とお菓子だから、2ヶ月後でも構わない、と思って、船路を選び、郵便局員が入力中に、あれ?という感じになって、先輩職員に確認を行なっていた。私も麺つゆ?と思った。色々調べた結果、郵便局員に言われたのは、「麺が送れません」だった。乾麺なのに?と私が言葉を発したかどうかは、もう記憶にない。3月から麺を送ると決めていたのに。私は、肩を落とし、そのままダンボールを持って、自宅に帰ってきた。

 仕事を終えた妻に、麺類が送れなかった、と伝えた。このままいくと、海苔とお菓子しかなく、なんで海苔?という感じになってしまう。妻は、米が良いんじゃない?という。確かに、海苔もあれば、おにぎりが作れるしね、と私は、友人に、私の好きなおにぎりの具のランキングをしたため、同封することにした。

急に具合が悪くなる

 たまたまテレビで『急に具合が悪くなる』が、カンヌ国際映画祭で、主演のヴィルジニー・エフィラさんと岡本多緒さんが最優秀女優賞を獲得したのを知り、濱口竜介監督だということもあり、映画を観てみたいなあ、と思った。映画を観た人が、観てほしい、と言っているを聞き、なおのこと映画を観たくなっている。

 原作が宮野真生子・磯野真穂『急に具合が悪くなる』だと知り、まずは書籍で読むことにした。ページを捲ると、宮野真生子さんと磯野真穂さんの自己紹介があり、宮野真生子さんは、哲学者で、偶然性を扱った九鬼周造が専門で、と書かれている箇所を読み、九鬼周造『偶然性の問題』を読み、難しくて、挫折したので、宮野真生子さんの『なぜ、私たちは恋をして生きるのか』、『出逢いのあわい』を読んでみたい、と思ったのだった。お二人とも野球が好きで、磯野真穂さんは、西武ライオンズファンで、小さい時はスクラップブックを作っていたけれど、家が読売新聞だったため、スクラップブックはほとんどできなかった、と書かれており、好き、と思った。読売新聞は巨人の記事ばっかりだもんね。

 この本は、お二人の往復書簡の形で進む。哲学者と医療人類学者。職業だけでも、おもしろいだろうな、と容易に想像できる。

 往復書簡は、これまでもいくつか読んでいたけど、なぜか、往復書簡ってスタイル良いかもなあ、と朧げにあったアイデアが薄らと色づいたけれど、新潟から帰ってきて、一回、クールダウンをしようと思っているので、一旦、このアイデアは温めておこう、とさらにページを捲ると、磯野真穂さんの飼っている猫の名前が「にゃあ」で、野球好きで、猫の名前がにゃあ・・・、なんだ、この偶然は、と思いながら、これは今、読むべき本なのかもしれない、と予感している。

 

 

 

何かを極めた者たちの共通している考え方

 宮本武蔵『五輪書』、柳生宗矩『兵法家伝書』、沢庵宗彭『不動智神妙録』。三大兵法書と呼ばれているらしい。三大フルーツがあると知ってから、私は、三大〇〇を調べていたのだが、三大兵法書があるなんて。三大〇〇を味わいたい私は、その一冊、宮本武蔵『五輪書』を読むことにした。

 

兵法の道においては、心のもち方は平常の心とかわってはならない。平常も、戦いの際も、少しも変わることなく、心をひろく、まっすぐにし、緊張しすぎることなく少しもたるむことなく、心が偏らないように心をまん中に置き、心を流動自在な状態にたもち、その流れが、一瞬も止まらぬように、よくよく注意しなければならない。

鎌田茂雄『五輪書』p93

 

 三大兵法書のもう一冊である沢庵宗彭『不動智神妙録』でも同じようなことが書かれていた。

 諸仏の不動智ということがあります。不動とは文字通り動かぬと言うこと、智は智慧の智です。動かぬといっても、石や木のように、全く動かぬという意味ではありません。前後左右、四方八方へ心は自由に動きながら、いささかもとらわれるのが不動智です。

沢庵宗彭『不動智神妙録』p64

 

 生きるか死ぬかの場面において平常心を保つことは可能なのか?平常心を保つために、宮本武蔵がいう朝鍛夕錬が必要なのだろう。朝鍛夕錬で、何をすれば平常心を養えるのだろうか。野球でメンタルトレーニングをしたことがないけど、どんなことをしているのだろうか。

 状況を変える前に状態を整えるということを、ここのところ考えていて、平常心で望むためにはルーティンがあると良いのかもしれない、と思った。そこで思い出したのがイチローだった。他にどんなことがあれば、平常心を保てるのだろうか。

 「囚われてはいけない」と言うキーワードを何度となく考えながら過ごしていたら、いろんなことがしっくりくる。金ではないけど、金でもある。なりたい自分を持つのも大事だけど、なりたくない自分を考えるのも大事。データも大事だけど、勘も大事、と言うように。

 何かを極めていった人たちの過程を読んでいると何気に共通していることがある。

 新潟から帰ってきて、すぐに心をニュートラルに持っていこうと心がけて過ごしていた。そう思ったのは、何冊かの剣術の書によるところが大きい。耳の調子が悪いというのはあるのだが、良い感じのような気がする。

 

 私の書籍を取り扱っていただける三店舗目が決まりました!『にゃあ』の取扱いをしていただきます。『草叢BOOKS新守山店』さんです。愛知県では初です。東海地方でも初です。

 

草叢BOOKS新守山店 
住所:名古屋市守山区新守山2830アピタパワー新守山店2階

 

 

そのお金には色がついていて、

 コメダで夏森書店で購入した夏森かぶと『本のある日常〜書店員が考えた本のあれこれ〜』を読んだ。あとがきを読むと、『本のある日常〜書店員が考えた本のあれこれ〜』が初めての作品だということを知った。

 特に目を惹いたのは、「ZINEと小商い」というエッセイだった。ZINEを制作している作者自らが書店に営業することが書かれているエッセイである。

 私も、新潟にあるレコードショップ『shabby sic ポエトリー』で、『にゃあ』と『UNDERGROUND GALLERY N7』の取り扱いをしていただいているのだが、他では営業をしていない。書店で取り扱いをしていただけたら、嬉しいに決まってはいるが、認知度がない状態で取り扱いをしていただいても、ご迷惑をおかけしちゃうという気持ちが大きい。なので、まずは、アナログ的に、自らがイベントに参加して、一人、また一人、と読みたいと思ってもらえる人に出会いたい、と思っている。書店で取り扱いをしていただくのは手段であって、目的ではない。

 話は戻り、『本のある日常〜書店員が考えた本のあれこれ〜』に覚えておきたい一節があった。 

 

 ZINEの作者は自分で文章を書き、自分で編集し、自分で製本して、自分で営業をする。営業の際は、「世の中のことなんて大抵は責任をとれないけれど、この一冊だけは自分で責任をとれます」というような生き生きとした表情で話してくれる。

 そして私はその本を、自らの責任で仕入れるか仕入れないかを決め、仕入れる場合は、その場で現金を渡して買い取る。この資本主義社会のなかで、その数分だけはお金を超えたやりとりが生まれる。

 そもそも仕事というのは元来こういうものであったと思う。平川克美や坂口恭平が言うように。

 それがこの100年ぽっちの間に雇用される働き方が一般的になり、それに呼応するように資本主義が加速し、その結果として物質的には豊かだが精神的には貧しい社会が誕生してしまった。

 そんな息苦しさの中で、一種のカウンターカルチャーとして生まれたのがZINEなのではないか。自分が書きたいこと、書くべきことを、自分のお金と時間を使って本にする。お金のためじゃなく、よりよく生きるために。

 私はZINEを応援していきたい。書店員として売っていきたいし、お客さんとして買っていきたい。そして、自分でもZINEを作りたい。

 自分の文章が小冊子といえども本になって販売される。そして、誰かが買って読んでくれる。そうしてもらったお金は色がついていて、文章を書き続けるための、ひいては人生を続けていくためのエネルギーになる。

夏森かぶと『本のある日常〜書店員が考えた本のあれこれ〜』p35-36 

 

 本を制作してから一年が経過した。今は、営業をする時ではないと思っていた私の元に、嬉しいメッセージが届いたのでした。『UNDERGROUND GALLERY N7』を取扱いしていただける二店舗目が、決まりました。その書店の名前は、『こんこん堂』さんです。

 

 

本と印刷編集室 こんこん堂
住所:新潟市西区内野町1053-1たねむ1階

kibuneshaoar.wixsite.com

 

カツカレー

 カツカレーの食べ比べにハマっている友人がいる。その話を訊きながら、カレーライスは、自宅で食べられるから、私は外食では選ばない、味が想像を超えないものを食べたいと思えない、と伝えた。

 外食で、カレーライスを選ぶのは、スキー場に行った時くらいのもので、今となってはスキーすらしなくなったので、カレーライスを外食で選ぶことはない。

 友人は、自宅でカレーライスを食べることはあっても、カツカレーは食べないでしょ、と言う。確かに、わざわざカツはのせないよね、と私は言った。カレーにも、食堂で食べるカレーと、蕎麦屋で食べるカレー、スパイスが効いてるカレー、と味が色々なんだよ、と訊いてるところで、食べてもいない私が、カツカレーを否定するような発言は、おかしいのではないか、と思ったのである。

 よって、私もカツカレーを食べ比べすることにした。一軒目に行く店は、すでに決まってる。友人が言うには⭐︎4.5。

Soy Sauce for Hayashi Rice

 師匠って料理しますか?と、私を「師匠」とあだ名で呼ぶ友人からLINEが来た。

 料理するといえばするけど、と思ったところで、料理してるとは言えないよね?と呟く妻の顔が浮かんだ。なので、ほぼしないに等しいね、と返信した。なんで、こんなことを訊いてくるのだろう?

 ハヤシライス作る時に醤油を入れるとめっちゃ美味しいということをお伝えしようと思いまして。

 それだけ?と思った。と、同時に、それだけで連絡してくるのがおかしくて、こういう連絡を待っているんだよ。ただ、醤油の量が書かれていないから、俺が作ったら失敗するよね。だまされないよ。と返信した、朝9時。

 私は、その日一日、ハヤシライスに醤油を入れると美味いのかあ、と思いながら過ごし、冷蔵庫に玉ねぎと豚肉があることを確認して、完熟トマトのハヤシライスのルーのみをスーパーに買いに行った。

 夕方になっても、その友人からの返信はなく、私から、そういうわけで、本日の夕食はハヤシライスになりました。つきましては、私が調理中に醤油の分量を送ってください。5皿分になります、と送った。

 醤油を入れない状態でハヤシライスを作り、作り終わった後で美容室に向かい、美容師さんに、友人からハヤシライスに醤油を入れると美味しい、と連絡が来たけど、醤油の分量がわからなくて困ってる、と伝えると、少しずつ、醤油を入れて味見をすれば良いんじゃないですか?と教えてもらう。

 美容室が終わり、自宅に帰ってくると、仕事を終えた妻も返ってきており、夕食の準備をしていた。私は、ハヤシライスに醤油を入れると美味しいっていうんだけど、分量がわからないんだよ、と伝えると、私が食べるハヤシライスには醤油を入れなくて良いというニュアンスのことを言うので、私は、皿に盛ったハヤシライスの上から醤油をかけることにした。妻は、塩味が強くなるんだよね、と味を想像できているようだった。

 ハヤシライスの上に醤油をかけ、スプーンで混ぜて、一口食べると、確かに味が濃くなった感じがして美味しかった。 

 食べ終わった後、友人からLINEが来た。

 笑。完全に目分量ですね。笑。大さじで入れていって都度味見してく感じですね。醤油の濃厚さ、結構わかりやすいので、味見して行ったらわかると思います!ワンランク上がる感じですよ。

 私は、ダイレクトでかけた。確かにうまく感じる、と返した。