どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

切迫感がある

 ゴールデンウィークに妻と桜を観に行く計画を立てていたのだが、仕事の都合で、予定していた日に行くことができなくなり、妻にそのことを告げると、機嫌が悪くなった。新しい車を買っても、私には、恩恵がない、と妻が言った。恩恵がないって、あまり聞く機会がない言葉のせいか、私は、その後も何度か、恩恵がないという言葉を思い出した。

 妻を職場に送った後、桜が咲いていることに気づいた。満開に近いから、私が気づいていないだけで、何日前からか、桜は咲いていたのだろう。何の予定もない3連休初日だった。

 昼食を食べに、ラーメンと書かれている赤い暖簾をくぐる。

 店内には、女性客2名が、ちょうど食べ終わったとことで、厨房の短髪のパーマをかけたおばあちゃんに会計を済ませているところだった。

 私は薄い赤のカウンターの席の端に座り、醤油ラーメンと半チャーハンを注文した。

 店内には、私と男性客2名だけだった。先に注文していた男性客は、カレーライスを注文したようで、カレーライスを食べ、おばあちゃんに、美味しいと伝えた。ここ最近で食べたカレーライスで一番美味しいと言っていた。おしゃれな店が多くて、こういうカレーライスを食べたかった、と。

 おばあちゃんは、おしゃれと言う言葉に一瞬、間があったが、喜んでいるようで、ラーメンも昔ながらの味だとそのお客さんに伝えていた。自分が提供するものに胸を張るのは、素敵だな、とその話を聞いた。

 私も醤油ラーメンを食べた。おばあちゃんが、どう?と訊いたので、懐かしい味がする、と伝えた。

 おばあちゃんは、何度も、うちはシンプルだから、と話の節々に話していた。40年、続く町中華の店だった。

 その町中華からほど近いところに喫茶小鳥があり、私は、葛西由香『小鳥の散策』を観に行くために、喫茶小鳥に向かった。喫茶小鳥は、シャッターが半開きで、見るからに閉まっていて、携帯電話でInstagramで喫茶小鳥のページを開くと、第2火曜日は閉店していた。

 中央図書館にでも、行こうと思って、久しぶりに図書館に行った。先日、蔦屋書店のみすず書房フェアで見かけた長田弘の詩集だったりを借りたかった。長田弘の詩集2冊、中原中也の詩集を1冊、山之口漠の詩集2冊、アラン・ケレハー『コンパッション都市 公衆衛生と終末期ケアの融合』を借りた。

 美容室の時間までは、まだ時間があったので、いつものコメダに寄り、秋峰善『夏葉社日記』を読んだ。

 秋峰善さんが、夏葉社の島田潤一郎さんに電話をかけ、手紙を書くところから、この本は始まる。

 この切迫感、懐かしいな、と、私は、社会人になりたての20代前半の頃を思い出した。

 私は、大学を卒業してすぐに就職ができず、ちょうど今と同じような季節に、初めて社会人となった。期待に胸を膨らませ、理想を高々と掲げて。そんな日々は長くは続かず、なんで、皆、当たり前のように社会人をやれるんだろう、と思った。皆ができるのであれば、私もできるだろう、と自分に言い聞かせていた。秋頃になり、仕事を辞めたい、辞めてもやりたいこともないし、お金もない、だけど、辞めたいと毎日のように思って仕事に行っていた。3年が過ぎ、何か表現手段があると良いのではないかと思って、こうして日記をインターネット上で、書くようになった。他の人の言葉も、インターネット上で読んでいた。その一人、木藤瑞穂さんという人の文章が、私は更新されるたびに楽しみにしていて、記憶が定かではないのだが、木藤瑞穂さんから、いつか会おうというようなことを言われ、東京に行く機会がある時に、ダメもとで、メールを送った。

 秋峰善さんは、それから毎週木曜日に夏葉社でアルバイトをすることになる。その日々が、この『夏葉社日記』に綴られる。この本を読んでいると、ここで紹介されている本や、夏葉社の本、島田潤一郎さんの本を読みなくなってくる。私は、近々、その本のいくつかを読むだろう。

 

 それから島田さんに、そして夏葉社にハマりました。ご存知かもしれませんが、これまでトークイベントにも四回参加しました。そこで話される内容は何度聴いてもいいものです。いつも誠実である(誠実であろうとする)ことの重みを感じます。

 秋峰善『夏葉社日記』p14

 

 私は、部下に真摯であれ、誠実であれ、と伝えている。私自身も、部下に対して、本気を大切にしてきた。『夏葉社日記』を読みながら、その本気は、時として、暴力のようになっていなかったか、と頭を掠めた。

 

 何者かになる(就職する、出世する、表彰される、信念を確立する、有名になる、歴史に名を残す)ためではなく、何者にもならない(権力や暗示、習慣、常識、独断、市場、評判に屈しない)ために考え、動き続けるということ。「学問」とは本来そういうことなのではないかと思う。ー森田真生(Twitter@orionis23)2017年1月17日

 秋峰善『夏葉社日記』p23

 

 「いい仕事というのは、のちのちわかる」

 島田さんはいう。

 「需要があって、モノが生まれるんじゃないんです。モノができて、需要が生まれるんです。だから、いいモノをつくって待つ。本がすぐに売れなくても、ジタバタしない。夏葉社の本は初版は二五〇〇部ですけど、それも無理な数じゃない。一〇年、二○年、三○年かけて、必要な読者に届けばいいんです」

 秋峰善『夏葉社日記』p65

 

 やっぱり、需要が先ではなくてもいいんだ、と思った。先日、職員に研修をしていて、同じような話をしていた。ニーズと提案の綱引きが大事だって。職員が、そうでしょうか、と呟いたのを訊いて、再度、私自身も考えていた内容だった。

 

 要するに、島田さんは修行のように本を読んできたのだ。見せてくれた読書ノートは、その証である。あえて長編を選んでいるということだろう。読み続けることで、本を読むための筋肉のようなものが自然とつくらしい。島田さんは昼休み後の30分、寝る前の30分、計1時間を読書の時間に充てている。

 秋峰善『夏葉社日記』p148

 

 島田潤一郎さんが、秋峰善さんを雇用するにあたり、昼休憩の30分間、読書をして欲しいこと、ふだん読まない難しい本を選んでほしい、と伝えたことの理由がわかった。私も、何度となく、すぐに読めなくなった、読むのをやめた本を最後まで読んでみようか、と思った。

 『夏葉社日記』も終盤に差しかかったところで、島田潤一郎さんが、秋峰善さんを雇用した理由が、「年下の人たちの存在に希望を感じる」ようになったからです、と書かれていて、希望か、と思った。

 私が、今、若い職員と働いているのにも、希望を感じているのだろうか、だから、本気で関わろうと思ったのだろうか、私が20代の頃、木藤瑞穂さんと出会い、こんな30代になりたいと思ったように、自分もそんな大人になりたいと思って生きてきたことをつらつらと思い出していた。

 

 夏葉社の経営を知れば知るほど、不思議であった。これといって、再現性のある戦略があるわけではない。だれがやっても上手くいくものでもないだろう。だからといって特別に難しいことをやっているわけではない。ある意味では、だれにだってできることだ。島田さんの人柄や能力、夏葉社の本の力ということもあろうが、決め手は島田さんの姿勢だろう。ありていにいえば、謙虚さである。でもそれは自分を低く、相手を高く見積もるということではない。ひとりの人間として、自分も相手もバカにしないということである。

 秋峰善『夏葉社日記』p167-168

 

 最近、コミュニケーションのことをよく考える。コミュニケーションを考える上で、信頼関係のことも考える。コミュニケーションを考える前に、信頼できる人は、どういう人かを考える必要があるのではないか、と思うに至る。

 

▼秋峰善さんnote

https://note.com/natsuhasha1