どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

野球短歌

 蕎麦屋で、注文した蕎麦ができるまでの間、シーソーブックスで購入した池松舞『野球短歌』を開いた。私は、笑いを堪えながら、ページをめくっていった。あとがきで知るのだが、著者の池松さんは、阪神戦を毎試合観て、最終戦まで短歌をすることを決めた。試合後、すぐに短歌を読むこと、うそをつかないこと、SNSハッシュタグをつけないことを自分に課していた。どうりで、その五七五七七から、球場の情景が、ファンの感情が伝わり、ここまで好きなものがあるのは幸せなことだよな、と思った。名前からして、女性だよな、とネットで検索すると、女性だった。そういえば、私にも、阪神ファンの女性がいた。私の前で、六甲おろしを楽しそうに何度も歌っていた。今も、その女性は、阪神ファンなのだろうか。

 

がんばれ

 季節感を大切にするようになったのは、いつからだったか。年を重ねたからなのか、出会った人からの影響か。何日か経ち、職場の元部下の影響だったということに気づいた。その元部下は、夏になると、決まってウォーターボーイズをレンタルして観るとのことだった。その頃からか、私も、ウニ祭りと称し、一年に、一度、ウニ丼を食べに行くようになった。ずっと積丹町に行っていたが、今年は、余市町のウニを食べに行ってきた。

 そして、夏といえば甲子園である。甲子園が終われば、私のなかでは夏が終わる。四季のなかで唯一、この日から秋とはっきりしているのが、夏である。

 私が、円山球場に到着した頃には、第一試合、函館大有斗対札幌新川の試合が始まっていた。バックネット裏は、いつものように満席で、私は、三塁側の応援席を横切り、人があまりいない三塁側の外野席側に座った。スコアボードを見ると、初回に函館大有斗が3点を取り、リードしていた。北北海道大会は、スタルヒン球場で、南北海道大会は、ここ円山球場で、毎年行われる。

 イニングの合間、合間に、持参した鈴木忠平『虚空の人』を読んでいた。『清原和博への告白 甲子園13本塁打の真実』の続編のような本だった。

 早めの昼食にしようと食堂に向かった。まだ、11時半杉だというのに、すでに食堂は行列ができていて、食堂で食べるのは断念し、2階の売店で、円山球場カレーを買うことにした。柱に、大会のトーナメント表が貼られていて、見るとはなしに見ていると、準決勝からはエスコンフィールドで、試合をすることになっていた。北北海道大会も、南北海道大会も。どうなんだろう。高校球児は嬉しいのだろうか。第一試合は、函館大有斗が勝利した。

 続く、第二試合は、札幌南対北海道栄だった。第一試合が終盤に差しかかる頃、札幌南が全校応援だとアナウンスが流れた。日曜日に全校応援という場合は、学校から指示があり、平日に代休になるのだろうか、それとも、参加したい人の希望をとるのだろうか。後者の場合だと、スタンドには、それほど野球に興味がなさそうな生徒もいたような気がするから、前者だろうか。札幌南の応援席からは、がんばれと叫ぶ生徒の声が聞こえた。がんばれって、誰からか応援されたことってあるだろうか、誰からか、応援される機会って、そうそうないのではないだろうか、と思った。

 第三試合の札幌第一対札幌北の試合も見たかったのだが、妻を迎えいに行く時間になったこともあり、球場を後にした。どことなく雨の匂いがして、雨が降るのかな、と空を眺めた。

 

佐藤yuupopic『シの本』

 職場の同僚が、監獄ベースボールって知ってますか。今、その本は絶版になっているようで、と私に言いました。私は、話を被せるように、興奮気味に、その本、持っていた、もしかしたら、今も、自宅の本棚にある、と言いました。仕事を終え、自宅で探しましたが、ありませんでした。確かに持っていた時期はあるのですが、読まずに、売ってしまいました。私は、欲しいと思った本は考えなしに買うようにしています。だから、本棚から溢れるので、定期的に、もう読まないであろう本を売っています。で、今回のように、読みたいと思った時に、手元にはないということがたまあにあります。残念です。

 夏が始まったばかりだというのに、もう、夏が終わった気がします。祖母が、夏に冬の心配をしていて、おばあちゃん、早いよ、と笑っていた場面を時々、思い出しますが、今、私が、そんな気持ちになっています。夏を感じようと、今年は、高校野球を観にいこうと思っています。インターネットで予定を確認すると、南北海道大会は、まだ開幕していませんでした。

 特に予定もない休日。妻を職場に送り、妻が車から降りるところで、今日は、オールスターだね、と言いました。今日が、MLBのオールスターだとは知りませんでした。オールスターに大谷が出場するのは知っていましたし、大谷がテレビに出るたびに、食い入るように観ていますが、オールスターにあまり興味がないというか、そもそもMLBに興味がありません。選手がわからないからでしょうか。だけど、大谷がいるうちに、アメリカでMLBを観てみたとは思っています。野球好きとして、ベースボールが誕生したアメリカで観てみたとは思っています。

 自宅に帰ってきて、テレビをつけ、番組表を見ると、地上波でMLBのオールスターを放送予定でした。MLBオールスターを地上波で放送するなんて、すごいな、と思いながら、私は、BSでオールスターを観ることにしました。特に意味はありません。オールスターには、大谷と千賀が出場していました。オールスターをつけながら、プロ野球スピリッツエースをしたり、本を開いたりしていたら、気づけば、外は雨が降っていて、今は7回です。祝宴という雰囲気は、ところどころにありますが、プレー自体に祝宴という雰囲気はなく、本気です。日本だと、ストレート勝負をしたりするので、MLBのこういうところは良いなと思います。

 野球のことばかり書いていると、ふと、この前、読んだ詩集を思い出しました。佐藤yuupopic『シの本』という詩集です。どこかで、この詩集のことを書きたいと思っていましが、今日が、もってこいの日だと思いました。『シの本』の最後には、三輪舎の中岡祐介さんが解題というタイトルで文章をしたためていて、この文章も素敵だったので、引用します。

ぼくは佐藤さんの野球を主題にした詩がとても好きだ。つい先ごろまで詩に対して苦手意識があったのが、この数年、ほうぼうから影響を受けて詩に親しみを感じている。その影響のひとつは間違いなく、佐藤さんの詩である。野球の実況中継、とくにラジオを通した中継に郷愁を覚えるひとは少なくないだろう。野球が多くの人々にとって生活そのものであった時代がある。夕ご飯前の、家族で車に乗って移動していたときの、商店で買い物をするときの、記憶。野球中継は、私たちが生活していた確かな記憶を呼び起こす装置である。それは、もっといえば、詩である。コロナ禍のことを「プロ野球が開催されなかった/この春(を思う)」と表現する。佐藤さんが書く詩は、野球中継のように、野球をめぐる生活、生活そのものを活写する詩だと思う。佐藤yuupopic『シの本』p62-63

 松坂が、まだ高校球児だった頃、私は、初めて甲子園球場に行った。王と長嶋が監督で相対した日本シリーズは、友達と福岡に観に行った。何度となく思い出す記憶は、野球とセットになっているものが多い。

楽しむということ

 妻を職場に送り、コメダ。ここまでコメダに来るのなら、前売り回数券を購入した方がお得なのではないかとか考えながら、阿久津隆『読書の日記 In Design/入籍/山口くん』を開く。メジャー1年目を終えた大谷は、楽しく投げられるイメージが湧かなかったから手術することに決めた、という阿久津さんが『Number』を読んで出会った言葉の記述があり、もしかしたら、私は楽しくという言葉に蓋を閉めているだけなのかもしれないなあ、と思った。仕事に楽しさを求めるものではない、仕事に自己実現を求めるものではない、与えられた責任を全うするというのが、私の仕事観であり、ただ、自分が楽しまなれば、相手を楽しませることができないという仕事観の部下もいて、そのこと自体を否定するものではない。決してない。ただ、私は、仕事に楽しさを求めていないというだけ。楽しさを求めると、何か、もっと大切にしないとならないものからズレるのではないかと思っている。ただ、既に楽しく仕事をしているではないか、という側面もあり、今、現在、満たされているから、仕事に楽しさを求めていないと言っている節もあるな、とも思う。

 コメダを出て、札幌駅に向かい、札幌駅で、昼時になったので、よし乃で正油ラーメンを食べ、エスカレーターで7階まで行き、映画館へ。12:10上演の『憧れを超えた侍たち世界一への記録2023WORLD BASEBALL CLASSIC』のチケットを購入する。ポップコーンとコカ・コーラを買い、上演時間まで待つ。リトル・マーメイドの予告編を観ながら、観たいと思った。劇団四季の『リトル・マーメイド』も近々、観に行く。場内で開演のアナウンスがあり、列を作っている人たちの顔ぶれを見ると、意外に年配の女性の方が多いことに驚く。

 WBC関連の新聞、雑誌、テレビは、余すところなく、読み、観てきたが、ドキュメンタリー映画ならではの温度が、私の心に何度となく揺さぶりをかける。栗山監督が、日本代表メンバーを発表する記者会見の映像が流れ、サンディエゴ・パドレスダルビッシュ有、と発する、栗山監督の言葉だけで、既に泣きそうになる。何でもないような場面で、何度となく、寄せては返す波のように、涙が溢れては、ひく。いつしか頬を伝い、どこからか涙が止まらなくなる。まつ毛が入っているのではないかと思うほど、目を擦り、擦り、画面を観る。かっこいい、かっこいい、と何度となく呟き、何度となく笑いの声が漏れる。感情が忙しない。こう書いてて思ったのだが、笑いが込み上げる場面を散りばめているのは、このチームを表現する上で、楽しいキーワードが必須のものだからなのではないか。ダルビッシュ有が、選手たちに楽しもう、と声をかけていた。記者会見で、岡本が、こんなに野球が面白いんだなと思ったという言葉。あの一流の選手たちが、それでも楽しもうとしていたところに、何かがあるのではないか、と思った。自分自身に言い聞かせるのが良いのかはわからないが、楽しいという気持ちを打ち消すことは必要ないなと思った。打ち消しているわけではないか。自分も楽しんで仕事をしていると言えばしているのかもしれない。ただ、楽しいという感情だけではないだけで。

 

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厳しさ

 採用面接の面接官をしていた私は、こんな人になりたいという人はいますか?と質問した。結構、ありきたりな質問内容。その後、間髪入れずに、家族以外でお答えください、と続けた。家族以外と付け加えたのは、この質問をすると、大体の人が両親のどちらかを答え、何の参考にもならないからだった。少し考えた後、高校の時の部活動の顧問です、と学生は応えた。具体的に、どういったところでしょうか、と私はさらに質問した。華があります。華があるって、素敵な表現ですね、と感想を述べ、もう少し、具体的に教えていただけないでしょうか、とさらに質問。厳しさもあるけど、優しさもあるというか、すみません、うまく伝えることができません、学生はそう応えた。厳しさというキーワードに、嬉しさを感じた。

 そんなことを思い出しながら、私は、コメダで、Numberをめくった。イチローのインタビュー記事。現役のイチローよりも、現在のイチローのほうがカッコよく見える。なぜ、カッコよく映るのかを考えた結果、イチローは本気だからだった。イチローほど、本気で高校球児に指導している元プロ野球選手を知らない。ただ、メディアに出ていないだけかもしれないけれど、私には、そのイチローの本気が新鮮に映り、かっこいいと思った。つまり、本気の姿というのは、誰でも、かっこいいということになるのではないかだろうか。

 ・・・挫折のない人の話なんて全然面白くないし、魅力的でもない。だからいろいろなことに挑戦して、経験し、自分の言葉を持てる大人になってほしい。情報過多となって久しい昨今ですが、経験の伴わない知識だけが蓄積していいくのは怖いものです『Number1072』 p13

 面接の質問で、私は、その人のマイナス面もよく訊く。挫折だったり、短所だったり。長所はあまり興味がない。挫折だったり、短所は誤魔化せないというか、よく見せようとはできるんだけど、よく見せようとする回答はつまらない。どちらかというと、よく、そこまで正直に答えるなという内容の方に惹かれる。イチローのインタビュー記事は、高校の野球指導から、マリナーズに移った。

 無理に自分の意見を押し付けることはしない。つまり、聞かれなければ言わない。その代わり、相手が興味を示したなら時間をかけて丁寧に説明する『Number1072』p16

 イチローがそうするのは、相手が、メジャーリーガーだからのような気がする。私の最近のもっぱらの考えていることは、部下とのコミュニケーション。この記事を読み、このイチローのやり方が合うかも、と思って、先日、部下との面談の際に伝えた。無理に意見を押し付けたくないから、聞かれるまで言わない、と。部下は、困ったような顔をしていた。

 ページをめくっていくと、ダルビッシュ有の記事。まだ記憶に新しいのはWBCダルビッシュ有のリーダーシップ。私には、ダルビッシュが宇田川会という食事会を開くなどしている様子から、現代的というか、仲良しこよしというか、そんなふうに写っていたんだけど、Numberを読み、少し誤解をしていたかもしれないと思った。

 若手と話す時、もちろん自分のためになればと思っていたし、若い選手たちのためになればとも思っていたけれど、それ以上に、お互いが早く近づかなくてはいけなかったですからね。そこで自分たちをつなぐ唯一のものは野球だったし、ピッチングだったから、それをコミュニケーションのツールとして使った、という感じですね『Number1072』p28

「ある程度研究している人じゃないと答えられないような質問をあえて僕がするから、向こうもそういうふうになってくるんじゃないかな。質問で、相手を変えることができるんですよ」『Number1072』p28

「自分は『他人が見えている世界』を尊重するようにはしています。例えば、自分が見ている世界とニック・マルティネス(パドレスの同僚投手、元日ハム、ソフトバンク)が見ている世界は一緒に見えるけど、生きてきた過程が全く違う。それなら、ものの捉え方が全く違ってくるじゃないですか。自分が『これが好きだ』と言っても他の人にとってはそうじゃないし、同じものが見えているかどうかも分からない」『Number1072』p28

 イチローダルビッシュ有の共通点は、相手を尊重しているということ。伝えよう、教えようという気持ちが強くなりすぎていたかもしれない、と自分を振り返った。

 先日、管理者になりたての部下から、〇〇さん(別の部署の先輩)と話ができて良かったです。お願いしていただきありがとうございました、と業務日誌に書かれていた。その言葉を読みながら、まずは他者のために動くということを忘れていたな、と思った。忘れてはいないけれど、結果的に、自分本位になっていたというか、どう伝えるのが良いのだろういうことばかり意識が向いていたな、と。

 野球を入口として、私は、自分の仕事を考えることがたまあにある。で、結構、参考になったりする。それはさておき、Numberには、阪神の岡田監督の記事も載っていた。今シーズン、私が注目している監督は、阪神の岡田監督である。なぜなら、球辞苑のコンバートという特集で、中野選手をショートからセカンドにコンバートした理由を話していて、岡田監督、すごいなあと思ったから。

 「目線は下げないよ。一軍はこのレベルだという目線を下げたら、チームは強くならない。でも(選手との距離感は)ちょっとは妥協する部分はあるわな」『Number1072』p28

 手取り足取り教えることは、もう終わっている段階だった。近年は指導者と選手が和気あいあいとしたチームも目立つが、岡田は流行に見向きもしない。『Number1072』p28

  「コミュニケーションて、はっきり言うたら、取らないといけないけど、取りすぎてもあかんと思うな。必要な時に必要なことを言う。適度なんが大事やな」『Number1072』p36−37

 岡田監督の、時代に迎合しない、選手に迎合しない姿勢。この姿勢は姿勢で素敵。

 

 

答えは与えずに、ヒントを与える

 次年度、新任の管理者を私は指名した。その信任の管理者に、細かく口出しせず見守ることを大切にしよう、と自分自身に言い聞かせている。だからなのか、長谷川昌一『名将前夜』の一文が、心に響く。

 答えは与えずに、ヒントを与える。いきなり与えられた「答え」は本人のためにならない。さまざまな試行錯誤、そして失敗の末に自らつかんだものが、本当の答えとなる。すでに正解を知っている「大人」としては、手っ取り早く「答え」を教えたくなる。しかし、指導者には忍耐が必要なのだ。本人が「答え」を見つけ出すまで、温かく、そして忍耐強く見守ることが重要なのだ。・・・後に野村は、こんな言葉を残している。監督とは、気づかせ屋である。長谷川昌一『名将前夜』p49

 WBCで日本が世界一となった二日後もテレビでは、侍ジャパンについての話題が流れていて、ダルビッシュが、宮崎キャンプ初日から参加し、若手投手と意見交換をしたという話題が特集されていた。ダルビッシュは、意図的に意見交換という言葉を使ったという。意見交換とすることで、ダルビッシュの言葉は、押しつけがましいものではなくなる。侍ジャパンのインタビューを聞いていると、多くの選手が、チームワークの良さを口にしていた。マスコミで取り上げられているように、私もダルビッシュの力が大きいと思っている。ダルビッシュが、宇田川をかわいがったのが、チームワークの良さにつながったきっかけだったと思う。チーム内に、一人でも、疎外感を感じている人を作ってしまうと、そのチームは良くならない、というのが私の持論。

 仕事は、だいたい野球で例えられると私は思っていて、野球から学ぶことは、社会人となった、今もいまだにある。

 

 

野球が好きでよかった

 WBC決勝。日本対アメリカ。回の途中、大谷が、試合前の声出しをしている映像が流れた。憧れるのをやめましょう。トラウトがいて、ベッツがいて、野球をやっていれば、聞いたことがある選手がいるが、憧れていたら超えられない。僕らはトップになるために来た。今日一日だけは彼らへの憧れを捨てて、勝つことだけ考えていきましょう。さあ、行こう。大谷の言葉で、私も胸が熱くなり、涙が滲み出す。とは言っても、勝てるかもしれないと言う自信がなければ、向かっていく姿勢というのは持てないのではないだろうか。どんな心持ちだったのだろうか。

 子どもの頃、母が野球中継を観ながら、ここでホームランを打ったら、逆転だね、と言っていたのを思い出した。アメリカ代表は、まさしくそんな感じのチームで、日本が3−1とリードしながら、いつ、ホームランを打たれるのではないか、とリードしている感じがしなかった。6回あたりで、8回ダルビッシュ、9回大谷が投げることがわかって、なんとか8回までリードして繋いでくれと思った。大谷が9回のマウンドに立っている時は、ここで逆転されたとしても、大谷だから仕方ないと思えると見守った。ダルビッシュ、大谷のリレーを考えもしなかった。あんなに喜ぶ大谷の姿を見られたことが嬉しい。ヌートバーのお父さんが、死んでも良いというのも頷ける。嬉しいという言葉だけでは伝えられない喜びが、死んでしまっても良い。私の中の生涯ベストゲーム、ベスト5の中に、今大会の準決勝は入るだろう。今度、生涯ベストゲームを考えてみようかな。

 侍ジャパン。世界一おめでとうございます。野球が好きでよかった。