どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

佐藤yuupopic『シの本』

 職場の同僚が、監獄ベースボールって知ってますか。今、その本は絶版になっているようで、と私に言いました。私は、話を被せるように、興奮気味に、その本、持っていた、もしかしたら、今も、自宅の本棚にある、と言いました。仕事を終え、自宅で探しましたが、ありませんでした。確かに持っていた時期はあるのですが、読まずに、売ってしまいました。私は、欲しいと思った本は考えなしに買うようにしています。だから、本棚から溢れるので、定期的に、もう読まないであろう本を売っています。で、今回のように、読みたいと思った時に、手元にはないということがたまあにあります。残念です。

 夏が始まったばかりだというのに、もう、夏が終わった気がします。祖母が、夏に冬の心配をしていて、おばあちゃん、早いよ、と笑っていた場面を時々、思い出しますが、今、私が、そんな気持ちになっています。夏を感じようと、今年は、高校野球を観にいこうと思っています。インターネットで予定を確認すると、南北海道大会は、まだ開幕していませんでした。

 特に予定もない休日。妻を職場に送り、妻が車から降りるところで、今日は、オールスターだね、と言いました。今日が、MLBのオールスターだとは知りませんでした。オールスターに大谷が出場するのは知っていましたし、大谷がテレビに出るたびに、食い入るように観ていますが、オールスターにあまり興味がないというか、そもそもMLBに興味がありません。選手がわからないからでしょうか。だけど、大谷がいるうちに、アメリカでMLBを観てみたとは思っています。野球好きとして、ベースボールが誕生したアメリカで観てみたとは思っています。

 自宅に帰ってきて、テレビをつけ、番組表を見ると、地上波でMLBのオールスターを放送予定でした。MLBオールスターを地上波で放送するなんて、すごいな、と思いながら、私は、BSでオールスターを観ることにしました。特に意味はありません。オールスターには、大谷と千賀が出場していました。オールスターをつけながら、プロ野球スピリッツエースをしたり、本を開いたりしていたら、気づけば、外は雨が降っていて、今は7回です。祝宴という雰囲気は、ところどころにありますが、プレー自体に祝宴という雰囲気はなく、本気です。日本だと、ストレート勝負をしたりするので、MLBのこういうところは良いなと思います。

 野球のことばかり書いていると、ふと、この前、読んだ詩集を思い出しました。佐藤yuupopic『シの本』という詩集です。どこかで、この詩集のことを書きたいと思っていましが、今日が、もってこいの日だと思いました。『シの本』の最後には、三輪舎の中岡祐介さんが解題というタイトルで文章をしたためていて、この文章も素敵だったので、引用します。

ぼくは佐藤さんの野球を主題にした詩がとても好きだ。つい先ごろまで詩に対して苦手意識があったのが、この数年、ほうぼうから影響を受けて詩に親しみを感じている。その影響のひとつは間違いなく、佐藤さんの詩である。野球の実況中継、とくにラジオを通した中継に郷愁を覚えるひとは少なくないだろう。野球が多くの人々にとって生活そのものであった時代がある。夕ご飯前の、家族で車に乗って移動していたときの、商店で買い物をするときの、記憶。野球中継は、私たちが生活していた確かな記憶を呼び起こす装置である。それは、もっといえば、詩である。コロナ禍のことを「プロ野球が開催されなかった/この春(を思う)」と表現する。佐藤さんが書く詩は、野球中継のように、野球をめぐる生活、生活そのものを活写する詩だと思う。佐藤yuupopic『シの本』p62-63

 松坂が、まだ高校球児だった頃、私は、初めて甲子園球場に行った。王と長嶋が監督で相対した日本シリーズは、友達と福岡に観に行った。何度となく思い出す記憶は、野球とセットになっているものが多い。