どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

楽しむということ

 妻を職場に送り、コメダ。ここまでコメダに来るのなら、前売り回数券を購入した方がお得なのではないかとか考えながら、阿久津隆『読書の日記 In Design/入籍/山口くん』を開く。メジャー1年目を終えた大谷は、楽しく投げられるイメージが湧かなかったから手術することに決めた、という阿久津さんが『Number』を読んで出会った言葉の記述があり、もしかしたら、私は楽しくという言葉に蓋を閉めているだけなのかもしれないなあ、と思った。仕事に楽しさを求めるものではない、仕事に自己実現を求めるものではない、与えられた責任を全うするというのが、私の仕事観であり、ただ、自分が楽しまなれば、相手を楽しませることができないという仕事観の部下もいて、そのこと自体を否定するものではない。決してない。ただ、私は、仕事に楽しさを求めていないというだけ。楽しさを求めると、何か、もっと大切にしないとならないものからズレるのではないかと思っている。ただ、既に楽しく仕事をしているではないか、という側面もあり、今、現在、満たされているから、仕事に楽しさを求めていないと言っている節もあるな、とも思う。

 コメダを出て、札幌駅に向かい、札幌駅で、昼時になったので、よし乃で正油ラーメンを食べ、エスカレーターで7階まで行き、映画館へ。12:10上演の『憧れを超えた侍たち世界一への記録2023WORLD BASEBALL CLASSIC』のチケットを購入する。ポップコーンとコカ・コーラを買い、上演時間まで待つ。リトル・マーメイドの予告編を観ながら、観たいと思った。劇団四季の『リトル・マーメイド』も近々、観に行く。場内で開演のアナウンスがあり、列を作っている人たちの顔ぶれを見ると、意外に年配の女性の方が多いことに驚く。

 WBC関連の新聞、雑誌、テレビは、余すところなく、読み、観てきたが、ドキュメンタリー映画ならではの温度が、私の心に何度となく揺さぶりをかける。栗山監督が、日本代表メンバーを発表する記者会見の映像が流れ、サンディエゴ・パドレスダルビッシュ有、と発する、栗山監督の言葉だけで、既に泣きそうになる。何でもないような場面で、何度となく、寄せては返す波のように、涙が溢れては、ひく。いつしか頬を伝い、どこからか涙が止まらなくなる。まつ毛が入っているのではないかと思うほど、目を擦り、擦り、画面を観る。かっこいい、かっこいい、と何度となく呟き、何度となく笑いの声が漏れる。感情が忙しない。こう書いてて思ったのだが、笑いが込み上げる場面を散りばめているのは、このチームを表現する上で、楽しいキーワードが必須のものだからなのではないか。ダルビッシュ有が、選手たちに楽しもう、と声をかけていた。記者会見で、岡本が、こんなに野球が面白いんだなと思ったという言葉。あの一流の選手たちが、それでも楽しもうとしていたところに、何かがあるのではないか、と思った。自分自身に言い聞かせるのが良いのかはわからないが、楽しいという気持ちを打ち消すことは必要ないなと思った。打ち消しているわけではないか。自分も楽しんで仕事をしていると言えばしているのかもしれない。ただ、楽しいという感情だけではないだけで。

 

www.japan-baseball.jp