どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

私の好きな詩人

 コメダでアイスコーヒーを飲みながら、伊藤茂次詩集『静かな場所の留守番』を読んだ。

 伊藤茂次を初めて知ったのは、藤井基ニ『頁をめくる音で息をする』だった。ちなみに『頁をめくる音で息をする』を読んでからと言うものの、私は詩集を好んで読んでいる。詩集をよく買うのが、龜鳴屋で出版される詩集で、伊藤茂次詩集『静かな場所の留守番』も龜鳴屋で出版されたものだった。

 『頁をめくる音で息をする』を読んで伊藤茂次を知り、インターネットで検索すると、龜鳴屋に辿り着き、伊藤茂二詩集『ないしょ』の存在を知った。詩集のタイトルでもある『ないしょ』という詩を読んで、詩集が欲しくなり探したが、手に入らなかった。だからということもあり、『静かな場所の留守番』の出版を楽しみに待っていたところがある。

 『静かな場所の留守番』の後半は、妻が登場する詩があり、私が個人的に好きなのも、ここの部分で、ここの部分に、『ないしょ』という詩も収められている。妻はガンになり亡くなってしまうのだが、伊藤茂次が何歳の時だったのだろうか。アル中になったのも、妻が亡くなっった後の話なのだろうか。

 詩集のあとがきのような場所に、編集した藤井基ニの文章があり、この文章もまた良い。

 

 良い詩とは何か。と時折考える。表現の巧みさや斬新さなど、立場によってそれぞれあろうが、僕は「切実さと誠実さ」のバランスと考える。伊藤茂次の詩は切実さが突き抜けている。そうとは言え、自分の虚しさを詩作の題材にする俯瞰の目も忘れていない。詩作品の全てが佳作、傑作という訳ではない。彼の人生そのままに不器用さが立つ詩も多い。そのなかに一筋の光を見る。薄暗い路地で見る空のように。伊藤茂次詩集『静かな場所の留守番』p157-158