どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

新年の挨拶

 バンドをしていた夢を見た。誰とどんなバンドをしていたか一切、覚えていないが、バンドはしていたという記憶だけが残った。布団から出て、テレビをつけ、昨日の地震の状況を確認した。津波は来ていたようだが、東日本大震災のような津波ではなかったようで、一安心はしたが、ビルは倒壊し、死者も出ていた。妻も起きてきて、NHKのアナウンサーは、昨日から、ずっと同じ人だ、と言った。この人は、ある程度の役職者で、職員を休ませようとしたのかもしれないね、と私は返した。令和6年度能登半島地震という名前になったらしい、と妻が続けたので、昨日は何時まで、テレビを観ていたのかを訊いた。

 出発の準備をして、車に乗った。カーステレオからは、箱根駅伝が音声で流れていた。昨日、自宅に帰ってくる時にテレビかラジオにしたんだっけ、と思った。あれだけの地震があったけれど、箱根駅伝はするよな、と思った。最後の箱根の人もいるしな、と。2日だけど、コメダは、7時からやっているのだろうか、とハンドルを握り、コメダに着いた頃には、何台か車もあったので、やっているな、と思って、車から降り、コメダのドアを開けようとしたら、ドアが閉まっていた。8時からだった。いつもは7時だけど、今日は、8時から19時までとのことだった。車に戻り、箱根駅伝をつけて、職場の携帯電話でスラックを確認した。間も無くして、コメダが開き、店内に入ると、思いのほか、お客さんがいて、私が店内に入った後も、次から次にお客さんが入ってきた。お客さんがたくさんいたからなのか、スラックを見たからなのか気持ちが落ち着かなかった。

 コメダに1時間ばかりいて、車に乗り、職場に向かう頃には、箱根駅伝の1区が終わりを迎えようとしていて、1位は前評判通り、駒沢大学だった。

 職場に着き、しばらくすると、管理者の2人が来て、次年度の人事の話なんかをして、話をしているうちに、コメダで感じた気持ちが落ち着かないという気持ちはおさまっていた。会う部下、会う部下が、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします、と挨拶をしてくれて、当たり前だけど、挨拶って、嬉しいな、と思った。私はなぜか新年の挨拶が嫌いだったけれど、こうして、挨拶をされて嬉しいな、と思うのであれば、私から、新年の挨拶をしていこうと思った。

 職場と職場を移動する合間に、カーステレオからは、箱根駅伝が流れていて、青山学院大学が、1位とのことだった。今大会で100回大会ということで、私だったら、この区切りの大会は優勝したいと思うだろう、と思った。北海道なのに、1月なのに、雨が降っていた。

 仕事を終え、自宅に着き、妻に、地震の状況や、箱根駅伝の結果を確認した。飛行機が炎上したのは知ってる?と訊かれ、知らないと言うと、飛行機事故について妻が教えてくれた。1日は地震で、2日は飛行機事故。なんか嫌だなあ、と呟きながら、私はトイレに向かった。

 阿久津隆『読書の日記 予言/箱根/お味噌汁』を読みながら、プルースト庄野潤三吉田健一が読みなくなった。あっという間に562ページ。眠る前に読もう。