どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

がっかりさせたくない

 行きつけのコメダは3軒目となった。3軒目のコメダが一番お客さんもいない店舗で、駐車場代もかからなく、気兼ねなく、過ごせる。モーニングのトーストをあっという間に食べ、アイスコーヒーを少しずつ飲みながら、阿久津隆『読書の日記 In Design/入籍/山口くん』を開いた。

 ・・・この人に嫌われない人というか、この人に「ダサっ」と思われない人であるといいなというか、彼から見たら、僕は大人だった、顔向けするのが恥ずかしくない大人でありたいなというか、そうじゃないとな、と思った、これだもんなあ大人はずるいよなあと思われない人でありたいなというか、そうじゃないとな、と思った、ちょっと怖かった。阿久津隆『読書の日記 In Design/入籍/山口くん』p81

 ここを読んでいる時に、先日、私も、同じような感情を抱いたことを思い出した。

 仕事を終えて、帰るのがちょうど同じ時間だったので、送る?と訊くと、良いですか?と言うので、自宅付近まで送った。車の中で、先日、テレビで観たゴッホの話をすると、その人は知っていたようで、画家の人生を知るのは面白いですという話から絵を鑑賞する上でのおすすめの方法を教えてくれ、どこからかおすすめの本の話になった。その人は哲学書や専門書を読無ことが多いと言っていて、仕事をしていて、この人は、考えを深められる人だなという印象を受けていた理由が、話をしながら理解した。私が、昨年、定期的に書いていた『週刊わたしの考え』を読んでいて、なぜ、そんな考えに至ったかを訊きたいと思ったと言っていて、嬉しくなった。と、同時に、こういう若者に、がっかりさせたくないというか、期待通りの大人でありたい、と思った。人の評価を気にしないようにしているし、そこまで、若者の評価を気にしているわけではないけれど、自然と、今回だけでなく、この若者は、なかなかおもしろいと思う若者に出会うとそんな感情が湧き上がる。

 行きつけの服屋さんは13時開店で、一旦、自宅に戻ろうと思って、自宅に戻り、『読書の日記』を閉じて、iPadをおもむろに開き、NETFLIXで、『ドライブ・マイ・カー』を再生した。飽きたら、途中で観るのをやめようと思っていたのに、最後まで観た。

 監督である濱口竜介を知ったのは、『読書の日記』からであり、それなりに前、テレビで何かの映画祭で賞を取ったか何かで、『ドライブ・マイ・カー』が特集されていたのをたまたま見て、いつか観たいと思っていた。NETFLIXで、『ドライブ・マイ・カー』を検索したら、観れたので観た。ところどこに挿入されるチェーホフの戯曲のセリフが、その場面の登場人物の心情なんかと重なるような気がして、こんな手法というか方法というかがあるんだ、と思った。