どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

どんな年だっただろうか

 今年ほど、コメダに行った年もなく、今年、最後の日もコメダから始めた。珍しく、妻と二人で。いつもは、アイスコーヒーたっぷり、トースト、小倉あん、バターであったが、今日は、アイスコーヒーたっぷり、トースト、たまごペースト、バターにした。珍しく。私がトーストに塩をふりかけているのを見て、妻が、かけすぎじゃない、と言った。かけすぎじゃないよ、と言いながら齧ったトーストは、しょっぱかった。

 ここ最近、考えていた20代のことがわからないという話しを妻とした。前日、だったか、たまたま大学生と話をする機会があり、今の20代は、優秀だけど、精神的に弱いよね、というようなことを私が言ったら、えっ、やっぱりそうですかというような感じで、他のところでも、同じようなことを言われたようで、どういうところで感じますか、と訊かれた。

 妻は、最近、読んでいる齋藤孝『プロフェッショナル宣言』の話なんかをし、私は聞きながら、新たなスイッチが押され、規律が大事だと思うんだよ。自律も含めて、と言った。田中真知『風をとおすレッスン』で紹介されていた強制収容所を舞台にした話を、今年、何度か思い出すことがあった。強制収容所で生きる意思を失わなかった人たちは、自律していた人たちだった、と記憶していて、久々にその一節を読みたくて、本を開くと、規律や自律ではなく、想像力が大切だということが書かれていた。えっ、想像力・・・。

 

 つい、わかるよその感じわかるよとか寄り添う方向で接しちゃうというかわかるような気になっちゃうんだけどこんな年上にわかるとか言われてもわかられた顔されても腹立たしいだけかも知れないよね、いっそ説教とかのほうがしっくりくる接し方だったりすらするかもしれないよね、だってわかられてもなあ、っていうね、欺瞞かもしれないよね、怖い、怖い。阿久津隆『読書の日記 予言/箱根/お味噌汁』p99

 

 コメダに持参した阿久津隆『読書の日記 予言/箱根/お味噌汁』を妻に見せ、これ、東京に行った時に行った喫茶店の店主が書いている本、と言ったところで、この話は、何度かしていると思った。この巻に、俺がお店に行った日の日記が書かれているの、とにやけながら、妻に言った。 

 コメダを後にした私たちは、スーパーで食材を買い、明日、祖母宅に行く際に持参するおみやげをデパ地下で買い、自宅で、阿久津隆『読書の日記 予言/箱根/お味噌汁』を読んだ。私がfuzkueを訪れたのが、2019年3月24日だった。3月17日からカウントダウンをするかのように読んだ。阿久津さんの物語と、私の物語が交差する。3月24日のfuzkueは忙しいようだった。 

 15時を過ぎ、早めに入浴をする。『WBC2023ザ・ファイナル』をテレビでゆっくり観るためだった。再び、『読書の日記 予言/箱根/お味噌汁』を開く。3月21日(木)だった。私がその当時、何をしていたか日記を読み返すと、この年の3月は、イチローが引退した年だった。

 17時から『WBC2023ザ・ファイナル』を観た。私の今年一年が良い年だった、と確定したのが、3月のことだった。WBCは、何度観てもよく、すでに記憶が曖昧になっているところもあった。19時には、すきやきを妻と食べた。22時半をすぎた頃に、WBC準決勝のメキシコ戦。川崎宗則が野球を観て初めて泣いたと言っていたが、私も、WBC準決勝のメキシコ戦は、咆哮と共に涙した。

 『WBC2023ザ・ファイナル』のあとは、ゆく年くる年にチャンネルを代え、ネットでRIZINの試合結果を眺めていたら、2024年になっていた。

 眠くなるまで、『読書の日記 予言/箱根/お味噌汁』を読みことにしよう。