どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

天才とは、こういう人のことを言うと思う

 今年度一年間を通して、職員との定期的な面談を実施してきたのだが、その面談があって良かったと職員、何人からか聞いた。これまでも新人職員に1ヶ月に一回の面談というのはしてきたけれど、何が、今年度の面談と違うのだろうかと考えると、今年度の面談で意識したのは、私が、職員に対して、役割や課題を伝えるということ。その擦り合わせを行うこと。中には、私の期待する役割や指示が、うまく伝わっていない職員もいたにはいたが、それは面談という形式が悪いのではなく、また別の方法も合わせて行うのが良いということになっている。基本、役割の明確化だったり、課題の共有だったりするのだが、それは、管理職と一般職の視座の違いにより、当該職員が気づかないが、管理職が気づいていることは必ずあるはずで、それを伝えるべきだと思うのである。役割は、当該職員の現在地から少し難易度があるものが良さそう。難易度があるほうが達成感を感じることができるから。これまでも、私の中では、それぞれの職員への期待する役割というのは、何となく持ってはいたが、それは、言わなくても共有されている気持ちになっていて、言葉に出していなかった。ちなみに、期待する役割よりも、日々の消化不良を解消することが先決だと思っているのが、一年目の新人職員である。新人職員は、1ヶ月に一回では足りなくて、それこそ日々の振り返りが大切なので、業務日誌という形で、振り返りをおこなってもらい、気になれば、声をかける。

 先日、一年目の職員が面談で、心の中に溜まっていたもの涙を流しながら、伝えよう、伝えようと私にしてくれた。面談をした後、自分なりにいろいろ考えたところによると、その職員には、人より秀でたある能力を持っていて、ただ、その秀でた能力というものは、研ぎ澄まされれば研ぎ澄まされるほど、自分も、他人も傷つけるものになり得る能力だった。私は、その能力を活かしたほうが良いと思った。活かせるようにする方法を考えることが良いのではないか、と。たぶん、天才と呼ばれた人たちは、こういう人たちのことを言うのではないか、と思っている。そういう人は、場所や人を選ぶ。いる場所や人によって、活かされもするし、殺されもする。そういう職員が、私たちのチームには、何人かいて、これまでの生きてきた過程で、生きづらさを感じた経験もしているから、水を得た魚のように、活きいきと働き、周囲の人への感謝の意を持ち、働いている。その人たちによって、私のチームは雰囲気が良い。