どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

役職

若者は、会社で役職につきたくないと言う。なぜなら会社の役職者は、大変そうで、楽しくなさそうだから、と言う。ただ、給料はあげて欲しいと思っている。そんな話を訊いて、なめてるな、と思った。一方、役職が欲しいという声も訊く。矛盾している。あまり責任がない役職が欲しいのだろうか。

 

役職者になりたくないけど、給料をあげて欲しいという若者の声を訊いて、なめてるな、と思ったけど、私も、そう思っているなと思った。自分の思っていたことを客観視できた瞬間だった。

 

役職と給与はあいまっている。役職者と一般職の何が違うかというと、私は、その責任感にあると思う。一般職も責任がないというわけではない。ただ、役職者と一般職を比べた時に、その責任の重さは比ではない。一般職が判断できないことは、役職者に判断を委ねることができる。役職者は、わからないなりに判断を下さないとならない局面に出会う。

 

役職者と一般職の業務の質と量をボクシングで例えることがある。一般職の場合の相手のパンチは、大抵が軽い。軽いパンチを時には大量に喰らう。だから、辛い。役職者はというと、一発、一発のパンチが重い。なぜならば、一般職が解決できなかったパンチが、上司である役職者に回ってくるから。

 

だからというか、つまりというか、役職(役割)と給与は比例しなければならない。

 

ただ、私は、役職は必要最低限で良いのではないか、と思う。世の中には、無駄な役職が多すぎる。役職を訊いても、ぱっと、その役職は、どんな役割?と思う。ただ、年齢相応の給与もあげなければならない。となると、役職をつけないとならないのか、と無限ループのように、答えが出ない。