どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

なりたい自分とか、自己実現とか、言い過ぎじゃないだろうか?

 来週、新車が納車される。現在、乗っている車の保険の解約や定期点検の解約の手続きをするためにディーラを訪れた。この手続きが終われば、この営業の方ともお別れだ。諸々の書類の記載が終わり、席を立った。営業の方は、あまりにもあっさりとした挨拶だった。今後、つきあいがなくなるからなのだろう。今後のために、今、どう立ち振る舞うかを考えないのだろうか、と店を後にした。最初の印象は悪くなかったのだが、いつからか関係が悪くなった。直接的に、何かがあったわけではないが、お互い、合わないな、と思っていただろう。私は、その人の笑い方が嫌いだった。

 ディーラーを出て、妻から頼まれた猫の仏壇に飾る花を買うために、蔦屋書店内にあるFlower Space Gravelに向かった。蔦茶書店の店内に入り、見るとはなしに棚を眺めながら、歩いていると、『みすず書房フェア』の棚があり、足を止めた。ここまでみすず書房の本が並んでいるのを、これまで見たことがなく、タイトルを眺めていると、読んでみたくなって、手に取った。本の値段を確認し、高いな、とは思ったが、欲しいと思った書店で本を買うほうが良いとも思って、3冊、レジに持っていった。1万円を超えた。

 Flower Space Gravelで、ラナンキュラスとガーベラを一輪ずつ購入して、蔦屋書店を後にした。みすず書房の本を読むのが楽しみだった。

 遅めの昼食になるな、と時計を見ながら、space1-15へ。二度目のトロイカで、ボロネーゼを注文し、買ったばかりのジョン・グレイ『猫に学ぶ』を開いた。

 

 猫は哲学を必要としない。本性(自然)に従い、その本性が自分たちに与えてくれた生活に満足している。一方、人間のほうは、自分の本性に満足しないことが当たり前になっているようだ。人間という動物は、自分ではない何かになろうとすることをやめようとせず、そのせいで、当然ながら、非喜劇的な結末を招く。猫はそんな努力をしない。人間生活の大半は幸福の追求だが、猫の世界では、幸福とは、彼らの幸福を現実に脅かすものが取り除かれたときに、自動的に戻る状態のことだ。それが、多くの人間が猫を愛する最大の理由かもしれない。人間がなかなか手に入れられない幸福が、猫には生まれつき与えられているのだ。

 ジョン・グレイ『猫に学ぶ』p6

 

 こんなに大真面目に、猫について考察し、書かれているのもうけるな、と思った。ウケるという表現が適切ではない感じもするが。手を止め、ボロネーゼを食べた。茹で加減がちょうど良い。

 『猫に学ぶ』を読みながら、仕事に、なりたい自分、自己実現を求めすぎているのが、現代の若者を苦しめているのではないか、と頭を掠めた。しかも、就職して数年で、なりたい自分になんて、到底、なれない。なりたい自分を持つことが悪いというわけではない。バランス。仕事だ。給料が支払われているのが、どこかに行っている。なりたい自分もいいけれど、やらなければならないというか、使命みたいなのを感じながら働くのも悪くない。自分のためばかりだとモチベーションの維持が難しくなるけど、使命を感じると、モチベーションで仕事をしなくなる。

 遅めの昼食を食べ、Anorakcity Storeに寄って、インスタで紹介していたブルーグレーのパンツを購入した。

 

感性の鋭さをどう活かすか?

 長沼陸雄『子どもの敏感さに困ったら読む本:児童精神科医が教えるHSCとの関わり方』を読み終わった後、もしかしたら、あの人も、HSPだったのではないだろうか、と考えていた。

 

 HSP(Highly Sensitive Person ハイリー・センシティブ・パーソン)というのは、今から約20年前に、アメリカの心理学者、エレイン・N・アーロン博士が発表された概念です。その名のとおり、生まれつきとても敏感な感覚、感受性を持った人たちのことをいいます。

  長沼陸雄『子どもの敏感さに困ったら読む本:児童精神科医が教えるHSCとの関わり方』p4

 

 HSPの子どもをHSC(Higly Sensitive Child ハイリー・センシティブ・チャイルド)と呼ぶそうで、5人に1人と言われている。5人に1人といえば、40人クラスの場合、8人いるということになる。そう考えると、私が気づいていなかっただけで、出会っていたのだろう。今もなお、職場には、そんな人たちがいるからもしれない。言葉を変えれば、繊細だったり、神経質だったり、という表現をされているかもしれない。であるならば、私は、その人たちが、力を発揮できる環境をどう用意することができるのだろうか、と考えている。

 

 HSCというのは、この不安の回路がとても強い子たちだと私は考えています。不安の回路がつねに強く働いているため、マイナス思考が強くなりやすいということが言えると思います。(中略)

 大事なのはバランスです。不安の回路が回りっぱなしになっている子には、やる気の回路が必要です。

 長沼陸雄『子どもの敏感さに困ったら読む本:児童精神科医が教えるHSCとの関わり方』p49−50

 

 感覚統合療法的視点は、神経発達症の子どもの理解のためにはとても優れています。ただし、それ以外の感覚の問題もあることを考えることが大事なのです。

 HSCのように、感覚の統合がうまくいかないのではなく、過剰な感覚刺激に圧倒されたり、疲れきったりしている子にとっては、入ってくる情報を減らし、一人で静かに過ごせる空間や時間をつくってあげることこそが大事なのです。

  長沼陸雄『子どもの敏感さに困ったら読む本:児童精神科医が教えるHSCとの関わり方』p61

 

 敏感さを考えるときには、色々な要素を考える必要があります。持って生まれた気質もある。家族関係の影響もあります。愛着障がいやトラウマ、心の傷が絡んでいることも多いのです。また、神経発達症が関係していることもあります。ですから、何が敏感さを生んでいるのか、精神的な問題として多面的に見なければなりません。

 長沼陸雄『子どもの敏感さに困ったら読む本:児童精神科医が教えるHSCとの関わり方』p78

 

 敏感さは、愛着障害やトラウマも関係するというのは耳にしたことがあり、もっと理解する必要があると思っていた。

 

 外では、他人からいろいろなことを言われたり、されたりします。相手にはその気がなくても、受け止め方によってどんなことでもストレスになり得ます。そのとき、「イヤだ」とは「違う」とか「やめてほしい」と感じても、その感情を相手にストレートに返せないのが、内弁慶タイプです。(中略)

 この三角形には「自分が自分に対して」という矢印があります。ここが重要です。お母さんにぶちまける前に、もうひとステップあるのです。表の自分(体)がやられたことを裏の自分(心)に対してしてしまう。(中略)

 内弁慶というのは、外で感情を出せていないということですから、見逃してはならないサインだと思います。

 それでも、どこにも出せないよりは、そんなかたちでも吐き出せているだけまだいいのです。これが、家庭にも吐き出せる場がないとなると、ひたすら自分の中に溜め込んでしまうしかなくなってしまいます。これでは心が行き場を失ってしまいます。

 人間関係のトラブルの原因について、この三角形でいろいろ考えることができます。

 学校でいじめられているとか、家で親から虐待を受けている子どは、自分がやられるつらさを味わっているのだから、人にはひどいことをしないかというと、そうではないのです。自分で自分にダメ出しをし、堪えきれなくなると、ストレスの矛先が自分より弱い人に向かっていってしまいます。被害を受けている子が加害者になっていく。そういう連鎖が起きてしまうこともあるのです。

 では、この三角形の負のサイクルを断ち切るには、どうしたらいいのでしょうか。

 まず、「自分が自分に対して」攻撃してしまうのを止めることです。自分で自分を責めないようにすることです。(中略)

 自分で自分を責める回路に入ってしまわないようにするわけです。

 それには、普段から自分の本音を大切にする習慣を持ち、自分が「こんなことをしたい」「あんなことをしたい」という本音を出しやすい環境にいることです。

  長沼陸雄『子どもの敏感さに困ったら読む本:児童精神科医が教えるHSCとの関わり方』p163-167

 

 許す、許さないと言っているから泥沼にはまってしまうのです。そういうものなんだと受け入れるだけでいい。それだけで人間関係は変わっていきます。

 多くの人が価値観に縛られて、言うには言えない姿があります。弱さを出せない。でも、弱さを出していいんだと言うようにするには、「これでいいんだ」という気持ちが、どうしても必要なのです。

 でも、「これでいい」という気持ちは、どうやったらできるのでしょう。安心・安全な場で自分を出すことはたしかにできます。でも、世の中は安心・安全な場だけではありません。そういう場で、どうやったら自分を出せるようになるのでしょうか。

 「これでいい」というのが根本にないと自分を出せません。「もういい」と思えるようになることで、自分の縛りを解くことができるのです。

 マイナス思考になりがちな人は、なかなか「これでいい」と思えないのです。真面目に考えすぎるからです。自分を責めて、責めて、「こんな自分、ダメだ」としょげているのです。だからこそ、「それでいいんだよ」という発想の転換が大事なのです。

 誰もがみな、自分の中にある特性を引き受けて生きていかなければなりません。否定したり、消したりすることはできないのです。

 本来のものを「消す」のではなくて、「それはそれでしょうがない」「もう、いいよね」と、自分のそういう性質と付き合っていく心が前を持つ方がいいと思います。無理やり消さなくていい、そのままでいいのです。(中略)

 そういう人たちを助けるには、理解して手を差し伸べて支えてあげる人、場所、時間、空間、そういうものが必要です。

 長沼陸雄『子どもの敏感さに困ったら読む本:児童精神科医が教えるHSCとの関わり方』p187

 

 癖には、思考回路にもある。癖を治すためには、意識的になること。訓練といってもいい。

 佐藤優が言っていた内在的論理も思い出した。相手の行動原理を理解しないと、軋轢を深めてしまうだけ。

 弱さを公開できる組織を作るために心理的安全性が必要だとわかっていたけれど、それをどう実現すれば良いかがわからなかったが、個々人が、自分自身をこれで良いと思えることが大切だということなのか。そう思えるために、私は、まずは、そのままで良いというメッセージを発信する必要があるということなのか。

 

 

 

すべては、生き抜くために。

 休日の朝、コメダに行ったあとは、作品展を観に行こうか、妻が朝、話していた喫茶店に行こうか、考えていたのだが、コメダを出る頃には、自宅に帰りたい気持ちになっていた。

 インスタントラーメンを茹でながら、iPadAmazon primeで『市子』を流した。映画を観るのは、久々だった。2分が経過し、『市子』を観ながら、インスタントラーメンを啜り、いつしか持ってきた『市子』のフライヤーを手に取り眺めた。

 

 市子(杉咲花)は、恋人の長谷川義則(若葉竜也)から、プロポーズを受けた翌日に、突然失踪。長谷川が行方を追い、これまで彼女と関わりがあった人々から証言を得ていくと、切なくも衝撃的な事実が次々と浮かび上がる・・・。市子の人生を狂わせた悲しき宿命。名前を変え、人を欺き、社会から逃れるように生きてきた。なぜ、彼女はこのような人生を歩まなければならなかったのか。

 

 憂鬱で仕方なかった。今日は、自宅でゴロゴロすることにした。野村克也野村克也全語録』を読んだり、凪良ゆう『汝、星のごとく』を読んだり、昼寝をした。

 寒さで目が覚め、起きてからも憂鬱で、こんな日は鍋焼きうどんが食べたい、と思った。妻を職場に迎えに行き、夕食は、どうするかという話になり、鍋焼きうどんを食べたいと伝えた。大きいスーパーに行くのがめんどくさくて、そんなに大きくないスーパーで鍋焼きうどんの材料を買った。

 鍋焼きうどんを食べながら、日ハム対楽天戦を観た。日ハムは、エスコンフィールドで、投手は、オリックスから移籍した山崎福也だった。楽天リードのまま野球中継が終わり、チャンネルを変え、巨人対中日戦をつけながら、凪良ゆう『汝、星のごとく』の続きを読んだ。高校の時に、つきあっていた彼女が自宅に来たのを思い出した。巨人対中日は、延長戦に入り、12回に、中日がホームランを打って、中日が買った。  

 

 

人間のいちばん美しい姿はなんだ?

 夫婦共々、資格試験に無事、合格し、使っていた教科書、参考書の類を売りにいこうと、久々にブックオフに向かった。会計を待つ間、店内を眺めていると、野村克也野村克也全語録 語れ継がれる人生哲学』が目に止まった。以前、目にした時に欲しかった本である。売ったお金より、買うお金の方が高くつくのも、ブックオフあるあるだなと思いながら、帰路に着いた。

 組織、チームを運営するにあたり、野球から学ぶことが多く、ノムさんの言葉は、参考になることが多い。

 『野村克也全語録』を読みながら、弱者の武器は、謙虚であること、素直であること、不器用であること、とあり、まさしく思い当たる節がある。思い当たる職員がいる。

 

 真の個性とは、いうなれば、世のため人のために役立ってこそ祝福される個人の「特性」のことを指すのである。そこははき違えてはいけない。

 野村克也野村克也全語録 語れるがれる人生哲学』p20

 

 職員がやりたいことのために、自己実現するために会社があるのか、と思うことがある。金銭が発生しているのである。であるならば、優先されるべきは、そのサービスを利用してくれている人、顧客にあるのではないか、そこが一番である。利用してくれる人がいるから会社が存在し、会社が存在するから、職員がいるのである。だから、そのいち、職員がやりたいことが利用してくれている人に喜ばれるものであるかは問い続けなければならず、自己満足に陥っていないかをチェックする必要がある。結果的に、職員がやりたいこと、自己実現につながれば、なおのこと良い。職員がやりたいこと、自己実現は、一番、最後にある。

 

 儒教の始祖であり、春秋時代の中国の思想家・哲学者である孔子は、才智や能力が極端にいき過ぎている者も才知が劣っている者も、いずれもバランスが崩れていてよくないと考えていた。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」である。自分らしく生きることは大切だが、ときに「自分らしさ」は「わがままな自己満足」に過ぎず、虚飾によって内面の稚拙さや幼さを覆い隠していることがある。

 野村克也野村克也全語録 語れるがれる人生哲学』p21

 

 「人間のいちばん美しい姿はなんだ?」という問いに、私ならこう答える。「一生懸命な姿に勝る美しさはない。人はその姿に感動する」と。

 野村克也野村克也全語録 語れるがれる人生哲学』p22

 

 先日、入社式で、職員の前で話をする機会があり、私は、こう言った。「ここ何年かで、アルバイトの学生の姿勢が一番、良いと感じています。それは、若い職員の働いている姿勢をみているからだと思っています。これから新卒の職員が新たに加わりますが、新卒の職員に恥じない働き方をここにいる職員は見せてくれると思っています」と。

 私は、普段、職員を意識的に褒めることはない。褒めるにしても、少しだけ工夫がいると思っていて、その一つが、今回のような機会の時に話すことだと思っている。

 

 技術を習得する段階を3つに分類すると、「基礎」「基本」「応用」となる。基礎は理論や理屈ではなく、例えば打者なら、バットを振って、振って、振りまくって体に覚え込ませる段階。そういう地道な努力で身につくのが基礎である。ただ残念なことに、素振りのような基礎練習はすぐに効果が表れない。しかも、ひたすらバットを振るという単純で苦しい反復練習だ。ようやく成果が表れはじめるのは、2〜3年後ということもある。

 野村克也野村克也全語録 語れるがれる人生哲学』p27

 

 私は、職員に自分の担っている仕事が、どれほど意義あるものか、価値があるものかを知り、誇りを持って欲しいと思っている。そう思って、言葉で伝え、そのような経験ができるよう考えてきたが、まだ足りていない。身を持って知るためには、体感する必要がある。

 

 気づけば、11時。コメダを後にし、自宅で昼食にしよう。北海道にもまもなく春が訪れる。道路の雪は一気に溶け、道路はアスファルトが顔をだしたが、凸凹して修理が必要です。 

 

野村克也全語録

野村克也全語録

Amazon

 

光と影

 辞令交付式は15時からだったので、コメダに寄り、宮島未奈『成瀬は信じた道をいく』の続きを読んだ。あっという間に読み終わった。読み終わってしまったという表現のほうが近い。成瀬が、フィクション上の人物だとは思えない。成瀬の幸せを願わずにはいられない。成瀬、最高。

 辞令交付式、懇親会、2次会に参加して、帰宅し、シャワーを浴び、0時を跨いでいたか定かではないが、あっという間に眠くなって寝た。

 カーテン越しから漏れる光で目が覚めて、高校野球を観るために、テレビをつけ、番組表を表示し、今日が、決勝の日だと気づいた。早坂大輔『いつも本ばかり読んでいるわけではないけれど。』の続きを読んだ。

 

 生きること、生活することを「芸術」だなんて考えたこともなかったが、彼の家に行く前に読んでいた宮沢賢治の『農民芸術概論』の一節をふと思い出して、おそらく賢治はこういうことを言いたかったのではないかと、彼の暮らしぶりを眺めながら思った。土を耕し作物を生み出すことも、何もないところからギターを爪弾き音楽を作るのも、彼に取っては同じ芸術なのであって、その毎日の集積、流れている時間、過去と未来、生活が組み合わさって四次元となり、一つの巨きな芸術になる。

 早坂大輔『いつも本ばかり読んでいるわけではないけれど。』p47

 

 宮沢賢治『農民芸術概論』を読んでみたい、と思って、読書メーターに登録しようと思って、アプリを開いたら、宮沢賢治全集が目にはいって、全集でも良いかも、と思った。奥山淳志『動物たちの家』も読んでみたい。水木しげる河童の三平』も。光と影のエッセイの最後に書かれていた文章も良かった。

 

 犬が眠っている窓の外では立派なトマトの葉が茂っている。午後になると少し日が陰り、うっすらとベランダに影ができ、大きな葉が陰影を作る。その傍で老犬は深く深く眠る。私たちはいつまでも光の側でばかり生き続けることはできないのだ、という大きな矛盾のなかで生きている。光ばかりだとわれわれは困憊してしまうからだ。やがて光を影が覆い、その光と影が生命の循環なのだとわたしたちはいつか理解し、前に進む。ぼくはいずれ老犬を大きな影が覆ってしまうことを知っている。だがいっぽうで、どうしてもその事実を認められない自分がいる。永遠などありはしないのに。

 早坂大輔『いつも本ばかり読んでいるわけではないけれど。』p51

 

 センバツ高校野球決勝は、健大高崎報徳学園だった。気づいたら、寝ていて、起きたら、9回表、報徳学園の攻撃だった。1点差を追う二死から盗塁を決めた。WBCで鳥谷が盗塁したのと同じだった。勝ちたい、という気持ちが、その盗塁からも、試合が終わった後も、画面上から伝わってきた。夏の報徳学園に注目したい。

 

 

成瀬は信じた道を行く

 午後は有給休暇を取り、銀行や郵便局で用事を済ませ、自宅の駐車場に戻って来たところで、そういえば『成瀬は天下を取りに行く』の続編を買いに行こうと思っていたんだ、とダイヤ書房に向かった。途中、スターバックスで、アフォガードフラペチーノを買った。

 ダイヤ書房の店内に入ると、気になるZINEを見かけた。早坂大輔『いつも本ばかり読んでいるわけではないけれど。』。パラパラめくって、値段を確認して、ちょっと高いな、と思ったけど、あと2冊しかないし、ここで買わないと、もう出会わない可能性も感じて、買うことにした。

 店内の棚を見るとはなしに見ていると、高校におすすめのコーナーというような棚があって、『成瀬は天下を取りに行く』が置いてあった。確かに、高校生に読んでもらいたいかも、と思った。宮島未奈『成瀬は信じた道をいく』を見つけて、レジに向かった。

 自宅に帰ってきて、早坂大輔『いつも本ばかり読んでいるわけではないけれど。』の巻末を開いて見ると、岩手県盛岡市とあり、妻に、盛岡だってと伝え、二人でそれぞれ携帯で、BOOK NERDを調べた。 NERDはオタクって意味だって、と妻が言った。私が開いた記事では、『ウンベルト・サバ詩集』のことをBOOKNERDの店主、早坂さんが紹介していて、『ウンベルト・サバ詩集』を読んでみたいな、と思いながら、Amazonだったり、メルカリだったりで調べてみた。

 『成瀬は信じた道を行く』を開いた。前作のときめき夏祭りの場面から始まる。もっと時間が経過したところから始まるものだと勝手に思っていた。

 成瀬は、膳所高校出身で、膳所高校ってどこかで聞いたこと覚えがあり、おそらく甲子園だ、とネットで調べると、やはり、「滋賀・膳所高校、59年ぶり春の甲子園へ」と書かれたびわ湖大津経済新聞を見つける。2018年の記事。 

 最初の章である「ときめきっ子タイム」も最高だった。成瀬は、誰に頼まれてもいないのに、ときめき地区をパトロールしていた。

 次の章は、どうもお父さんが登場している。どんなご両親に育てられたのだろうか、前作を読みながら、少しばかり気になっていたところだった。

 

 インフルエンザが流行り出した。新年度早々、感染症に悩まされたくないなあ、と思っていたけれど、ダメっぽい。

 

西武大津店に捧げる

 仕事を終え、自宅のドアを開き、居間に入ると、エアロビのような体操をしている妻と目が合い、頬を緩めながら居間の隣の自室に直行し、上着を脱ぎ、美しさに対して貪欲だな、と独り言のように妻に話しかけた。妻は、これから薄着の季節になるから、ということだった。数日後、エアロビのような体操を始めて筋肉痛になっているから効果がある、と言っていた。

 

 宮島未奈『成瀬は天下を取りに行く』を読み終わった。一年ほど前、Xで、「めちゃめちゃ面白いです。滋賀県大津市が舞台の青春小説」と伊野尾書店の店主が投稿しているのを読んで、いつか読んでみたいと思っていた。

 2024年本屋大賞でノミネートされて、再び、目にする機会があり購入した。私の中では、2024年本屋大賞は、川上未映子『黄色い家』だな、と思っていたのだが、宮島未奈『成瀬は天下を取りに行く』を読み終わった今、甲乙つけ難く、比較できるものでもなく、もはや好みの問題ではないか、と思っている。どちらが大賞を取っても頷ける。(ちなみに、エントリーされている本を全て読んでいるわけではない)

 成瀬あかりという女の子が主人公で、最初の物語が、西武大津店が閉店すると知った成瀬が「この夏休みを西武大津店に捧げる」と宣言して、西武ライオンズのユニフォームを着て、毎日のように地元のテレビ番組が中継する映像の片隅に映るというものだった。

 最初のこの物語で、私の心は鷲掴みされた。めちゃめちゃ面白い。成瀬好き。私は忘れていた。他人から見たら、どうでも良いようなことに熱中する若かり頃を。あれを青春と呼ぶのか、と青春の意味を改めて考える。その青さって、今もなお大切にしなければいけないのではなだろうか。

 西武大津店って、本当に閉店したのだろうか、とこの文章を書きながらネットで調べると、確かに閉店していて、どこまでが本当のことなのだろうかということに意識が向けられ、成瀬あかりをモデルにした人は、果たしていたではないだろうか、と思ってしまう。著者が、成瀬あかりの友人である島崎なのもしれない。どうなんだろうか。

 仮に、成瀬のような女性がいたら、私は、好きになってしまうかもしれない。自分の価値観を持っている女性。いや、私は、そんな女性に会って来たし、恋をしてきた。

 そういえば、私が小学生の頃、周りから変わっているとか、独特だよね、と言われることが褒め言葉だったというのを思い出した。

 また、成瀬あかりの物語の続きを読みたいので、近々、『成瀬は信じた道を行く』を読むだろう。