どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

出会い

 職場に出勤すると、早めに出勤していた職員がいて、昨日、私たちが参加した懇親会の感想の話になった。その懇親会で、専門性について語るインターン生がおり、私は残念な気持ちになった。

 知識、技術のみが専門性ではない。私は、知識、技術しかない者を偽者の専門職と呼ぶ。知識、技術を活かすために、根底となる考え方や姿勢が必要である。考え方は、仕事の仕方に変わり、姿勢は、立ち居振る舞いとして現れる。知識、技術が必要ではないと言っていない。知識、技術は必要であり、武器である。専門性を突き詰めたところに、専門性の鎧を脱ぐことができる。まるで、剣の達人が、鎧を纏っていない状態で強いように。

 実は、大切なことって、当たり前すぎるほど当たり前のことで、誰にでもできることなのに、実行にうつしている人は少ない。何で、実行にうつすことができないのだろうか、と言う私の話を聞き、職員は、頭でわかっているだけで、体感してないからですからね、と言い、考えないのは、インターネットですぐに検索できちゃうから、わかった気になるんじゃないですかね、と続けた。その職員は20代である。

 そうかも、と聞きながら思った。その職員は、よく読書をする。読書が想像力を養っているのかはわからないが、考えを深めている職員は、よく読書をする。

 懇親会の席で、では、根底にある大切なものは、どう養うかについて話が発展し、私は、心の中で、出会い、と呟く。出会うことが一番、心を突き動かすから。

 出会いは、直接、誰かと会うことかもしれないし、誰かの講演を聞くことかもしれないし、誰かの著書を読むことかもしれない。

 懇親会の席でも、出会いについての話になり、私は質問をした。すでに出会っている場合もあるじゃないですか?だけど、素通りしている場合もある。すると、その質問をした人は、タイミングも必要だ、と応えた。心を突き動かされるための出会いをするためには、その人に溢れる何かがあるとき、という。

 

『何かを想像する時には、その想像の中で自分が想像していないことが起こりうることを想像しておけ』

太田靖久『ののの』p27

 

『つまりお前の想像の中でお前の想像通りのことしか起きないのだとしたら、それは本当の意味での想像ではないのだ』

太田靖久『ののの』p27-28

 

ののの

ののの

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今までで一番おいしかった食べもの

「今まで一番おいしかった食べものは何?」

「んー、生茶……ですかね」

「え?」

 中学二年生の女の子に好きな食べものを尋ねたときの会話なのだが、生茶は食べものなのか。生茶はコンビニなどで売っているお茶の商品名である。彼女はその後にこう続けた。

自動販売機で生茶をはじめて買ったんですよー。そしたら、うまっ?と思って」

石川直樹『地上に星座をつくる』p216

 

 冒頭の会話でぼくが絶句したのは、はじめて生茶を飲んだ時のことなんて忘れてしまっていたからだ。そんな記憶に残っていない、新しい何かとの遭遇を繰り返して人はおとなになっていく。歳をとればとるほど、新しい何かは少しずつ減っていき、知っているつもりのことが多くなる。彼ら彼女らの会話や反応を間近で見ていると、自分が未知の世界と出会った瞬間の新鮮な感覚がわさわさと思い起こされた。

石川直樹『地上に星座をつくる』p218-219

 

 石川直樹が醸し出している雰囲気によるところなのか、中学生の返答が自然体で良いな、と思った。私だったら、他所行きの言葉を話してしまうかもしれない。自分をよく見せようと無意識に言葉を発しているような気がする。

 それにしても生茶という回答が良い。私がはじめて食べて、うまっ、と思った、山頭火のしおラーメンを思い出した。

 こうして日記を公開していると、私がこの文章はよく書けた、力作だと思う文章と読者の方の反応が一致しない。案外、自然体の、何気ない日常が良かったりするのかもしれない。

 石川直樹『地上に星座をつくる』も終わりにさしかかった。コメダの隣の席に座る女性3名は、何気ない日常の、夫婦のやり取りを話していた。

 私が居間で寝ているところに夫が帰宅して、夫は、私が死んでいると思ったのか、必死で起こしたと笑っていた。

 私は、聞くとは何にそんな話を聞きながら、気づいたら、コメダで眠っていた。

 

 

 

やっちゃえ

 店長が料金については他言しないようお願いします、と言い、営業を担当した課長とともに、私たち夫婦に丁重に挨拶をして見送った。

 すでに時間は20時近くになっていて、ディーラーを出る頃には、辺りは暗くなっていた。

 帰りの車の中で、私は、お得感を出すために、店長が、ああ言ったかもしれないね、と妻に話した。妻は、妻で、その日、訪れたいくつかのディーラーに断る言葉を考えていた。

 私たち夫婦は、その日、新しい車を購入するために、三軒のディーラーに足を運んだ。

 一軒あたり2時間在籍し、何度となく、飲み物を飲み、持参した本をそれぞれ読んだ。

 どの営業マンも、感じのよう人ばかりだったのだが、名刺を、私たちそれぞれに渡す営業マンと私だけに渡す営業マンがいて、名刺は、それぞれに渡したほうが良いね、今度から、自分もそうするわ、と妻に話すと、妻も、そう思ったとのことだった。

小冊子の方が良いんじゃない?

 妻が、1冊の本を作るより、『生活改善運動』みたいに、最初は、小冊子のようなZINEが何冊かあったほうが良いんじゃない?小冊子を後々、1冊の本にすれば良いのに、と言ったので、いや、いや、本にしたいんだよ、と返した。

 そのやりとりの後も、妻が言った言葉が頭の中に浮かび、買う側からすると、そうなのかもしれないな、と思うようになっていた。本は本で出したいという気持ちは変わらないが、それと同時に、ZINEを作るのもおもしろいかも、と車を運転しながら、ZINEの構想が次から次に浮かんできた。

 デザインができる幼馴染とZINEを作るのがおもしろそうだなとか、第1号の特集は名前だなとか、Tシャツもまた作ろうかなと思ったり。

 自宅にMacbookAirが届き、セキュリティソフトを入れようとするが、IDとパスワードを求められ、何度打ち込んでもインストール画面に進めず、インターネットで同じ状況の人がいないか検索し、やっと、やっとインストールできた。

 Adobe In Designも入れた。In Designを使用するのは初めてで、適当に操作しながら、早速、文字を打ち込んでいる。もっと効率の良い使い方があるのかもしれないが、わからないながら、打ち込み、気づけば、11時を過ぎており、私は、コメダを後にした。

 

 

 

阪神タイガースの謎の老人監督

 妻が、ニュースを観ながら、「大谷のニュースばっかりで、日本のプロ野球はやらないね」と呟いているのを聞いてからというものの、今日も、大谷の情報だけだ、と思うようになった。私たちは、大谷ファンではあるが、ここまで日本のプロ野球をニュースで流さないのも、いかがなものなのか、と思ってしまう。

 3月6日、7日には、京セラドーム大阪で、侍ジャパンが欧州代表との強化試合があり、3月18日には、センバツ高校野球が開幕する。まもなく球春が到来する。

 球春が到来するまでの間、書籍で野球を楽しむのも、また良い。

 村瀬秀信さんの新刊『虎の血 阪神タイガース、謎の老人監督』を読んでいる。伊野尾書店で購入したサイン本である。

 村瀬秀信さんといえば、『4522敗の記憶 ホエールズベイスターズ涙の球団史』、『止めたバットでツーベース 村瀬秀信 野球短編自選集』、『ドラフト最下位』と、どれもがおもしろく、『虎の血 阪神タイガース、謎の老人監督』を読むのを楽しみにしていた。

 プロ野球経験なしの老人が、阪神タイガースの監督になる、という物語。

 私は、ストッパー毒島に登場する老人監督を思い出し、本棚に並ぶ、ストッパー毒島を引っ張り出して老人監督を探した。ストッパー毒島3巻に、老人監督である三木源三郎が初めて登場する。そこには、こう書かれている。三木源三郎。二軍監督・・・。のびのび野球を提唱する昭和一ケタ生まれ。しばしば試合中に居眠りをする。彼のことを“恍惚の人“と二軍選手たちは呼ぶ。三木源三郎のモデルが、岸一郎ではないかとも思ったが、『虎の血 阪神タイガース、謎の老人監督』に登場する老人監督である岸一郎とは、背格好も違い、どうも三木源三郎とは違う。

 岸一郎が、大阪タイガース(現阪神タイガース)の監督になったのが1955年。巨人の川上哲治が、吉田義男が現役の時代である。本著で、たびたび登場する藤村富美男を知ったのは最近のことで、プロスピAというゲームがきっかけだったが、藤村富美男が、当時、大阪タイガースの顔だったというのも本著で知った。阪神ファンだと当たり前の知識なのだろうか。巨人がV9を達成するのが、1965年から1973年までであり、王、長嶋以前のプロ野球については、全くもって、知る機会もなかった。

 で、岸一郎である。岸一郎が、代走だと言っているのに、選手が代走を拒否し、やっぱり代走なしで、と采配を取り下げてしまう場面がある。これは辛い、と思いながら、ふと、自分の高校時代のことを思い出した。高校3年の時に、野球をあまり知らない監督が野球部に就任するのだが、私は、試合の後に、「なぜ、あの場面で4番の私にバントなのですか」と喰ってかかったことがある。監督は、ただ黙って、私の主張を聞いていた。

 選手たちから馬鹿にされることも辛いが、輪をかけて、プロ野球の場合、ここにファンもいて、マスコミもいて、フロントもいることになる。プロ野球選手としてある程度の成績を残して監督になった者でさえも、結果が伴わなければ、外野は容赦がない。結果が全てのプロの世界といえば、プロの世界かもしれないが、どんな精神状態になるのだろう。岸一郎が監督になり、33試合、二ヶ月弱で、監督を辞任する。

 本著も半分過ぎた頃、ここからおもしろい展開になるような雰囲気を感じないと思いながら読み進めると、阪神の監督は、いかに難しいかを知ることになる。確かに、思い起こせば、ノムさんも、矢野も、大変そうだった記憶が薄らと蘇る。いかに、昨シーズンの阪神の日本一が凄かったかがわかる。強い阪神が続くのだろうか。本著を読み終わった今、俄然、今後の阪神の動向に目が離せない。

 なぜ、阪神ファンは、あれほど熱狂的になれるのか、思いを馳せる。阪神ファンだけではなく、選手も、監督も、なぜ、そこまで阪神を愛せるのだろうか。そんな大変な想いをしているのに。

 

つぶらな瞳

 コメダにて、鞄に詰め込んできたいくつかの本から、『ODD  ZINE vol.2』を取り出した。

 

 どんな犬でもいいんですけど、トイプードルがいい。人の悲しみに寄り添う速度が一番速い犬種なので。『ODD ZINE vol.2』p10

 

 そうなんだ、と、あるお宅で飼っているトイプードルを思い出した。いや、トイプードルなのか、と不安になったので携帯電話で検索して画像で確認すると、ぬいぐるみのような犬の写真が出てきて、やっぱりトイプードルなんだ、と思った。

 人の悲しみに寄り添う速度が一番速いのか。

 私が仕事で訪問する何軒かのお宅では、犬を飼っていて、私は、猫派なので、その犬たちをかわいいとか、好意的な感情を抱くことはないのだが、そのトイプードルだけは、かわいいと思っているし、かわいがっている。

 なぜ、かわいいのかと思い始めたというと、私が、そのお宅を訪問し始めた頃に遡る。

 信頼関係もままならず、不安を抱きながら、そのお宅に訪問していた頃、そのトイプードルは、毎回、私のところに来て、撫でてくれ、撫でてくれ、と私の足、膝の辺りに自分の顔を擦り付ける。かまってくれないと嫉妬をして、お粗相をしちゃったりする。私が帰る頃には、クッションで寝ていたはずなのに、玄関まで見送りに来てくれる。あのつぶらな瞳で。記憶が定かではないが、初めからそうしてくれていたのだろうか。

 私は、いつしか、この犬は、私を歓迎してくれているのか、応援してくれているのか、と思うようになり、心の中で、ありがとね、ありがとね、と、会うのを楽しみにし、私たち夫婦の会話に登場するようになった、唯一の犬である。

 

 『ODD ZINE』を手に取ったのは、私が好きな作家の一人である滝口悠生が参加しているからでもあり、ODD ZINE vol.2に『近所のハッケン伝』という短編小説が掲載されていた。

 ある夫婦が、近所で出会う犬たちとの物語で、その短編小説を読みながら、読後感を言葉にするのは難しいのだが、滝口悠生は、変わらず滝口悠生だな、と思った。ODD ZINEを手にしなけらば、この短編小説は、読めなかったであろう。読みながら、私は、一人の職員のことを思い出していた。時代が変わっても、誰と接しても、その職員は、変わらない。流されないというか。まだ20代なのだが、その職員と、この前、久しぶりに話をしたのだが、私はパワーをもらった。

 北海道も、この前まで春まっしぐらだな、と思うほど暖かく、雪が一気に溶け、道路が顔を出したというのに、今日は、雪が一気に降りそそぎ、冬に逆戻り。

同窓会には参加しない

 携帯電話に登録していない電話番号から着信があり、いつもなら、電話に出ないのだが、着信のあった電話番号が、携帯電話からということもあり電話に出た。

 電話越しの相手は、かしこまった言葉遣いで名を名乗り、私は、すぐに高校時代の同級生だとわかり、「はっせか?」と伝えると、電話越しの同級生も、緊張が解けていくのが伝わった。ただ、仕事中だから、その旨を伝えると、また夜に電話をするということになり、電話を切った。

 高校の同窓会をするという話は、別の友達から聞き、その友達には参加しない、と伝えていた。何人かの同級生に会いたくないというのがその理由だった。

 私たちの高校は、幾つもの中学の出身者が集まる高校で、8クラスあった。田舎の高校なのだが、その中でも大きい中学出身者が、幅を利かせるというか、一言で言えば、偉そうで、私は、偉そうな奴が嫌いだった。偉そうな奴が嫌いというのは、今も変わらないのだが、何故にそこまで偉そうな奴が嫌いからと考えてみると、そういう部分が自分にもなくはない。いや、そうなのだろう、ということが、高校を卒業してから気づいた。

 高校の同級生の何人かとは、卒業した後も会っていたのだが、偉そうな態度を見せられると、もう、こいつと付き合わなくて良いや、と距離をとることにした。

 社会人になって生きやすくなったのは、気が合わない奴とは、会う必要がなくなったこと。職場では、気が合わなくても、一緒に仕事をしていかなければならないが、学生の頃に比べると、断然、気が楽だ。仕事は仕事と割り切れるから。

 今、思えば、それほど、大したこともなく、同じ場所で、同じ時間を共有していれば、仲直りをした可能性が高いが、一度、距離をとると、それぞれの生活の場があるから、会わなくなり、何年も、何十年も時が経つと、もはや修復が不可能になる。

 仕事中も、電話をかけてきた同級生は、私に同窓会に参加して欲しい旨を電話してきたのだろうか、私、一人、参加しなくても、何ら影響がないだろう、と伝えているのを想像し、いや、参加してよ、と粘られ、私は、同窓会に参加して、友達と会い、今の仕事の話や、これまでの話をしている姿が頭の中で勝手に再生され、同窓会に参加しても良いかな、という気持ちにすらなっていた。

 夜、再び、同級生から電話がかかってきた。用件は、野球部の一人と連絡がつかないので、私が、連絡先を知っているかと思って、とのことだった。私が、妄想気味に想像していた、同窓会に参加して欲しいということではなく、ああ、そういうこと、と思った。話の流れから、私が参加しない理由を告げると、そういうこともあるよね、参加は、強要するものではないから、とあっさりとしたものだった。その同級生が今、住んでいる住所は、私いつものよく行くコメダと同じ住所だった。

 次の日、私は、いつものように、コメダに行き、届いた『ODD  ZINE』を読んだ。その一冊に、「好きなこと、嫌いなこと」で記事を書くという特集を組んでいるものがあり、私も、嫌いなことで書いてみようと、iPadで言葉を綴った。