どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

同窓会には参加しない

 携帯電話に登録していない電話番号から着信があり、いつもなら、電話に出ないのだが、着信のあった電話番号が、携帯電話からということもあり電話に出た。

 電話越しの相手は、かしこまった言葉遣いで名を名乗り、私は、すぐに高校時代の同級生だとわかり、「はっせか?」と伝えると、電話越しの同級生も、緊張が解けていくのが伝わった。ただ、仕事中だから、その旨を伝えると、また夜に電話をするということになり、電話を切った。

 高校の同窓会をするという話は、別の友達から聞き、その友達には参加しない、と伝えていた。何人かの同級生に会いたくないというのがその理由だった。

 私たちの高校は、幾つもの中学の出身者が集まる高校で、8クラスあった。田舎の高校なのだが、その中でも大きい中学出身者が、幅を利かせるというか、一言で言えば、偉そうで、私は、偉そうな奴が嫌いだった。偉そうな奴が嫌いというのは、今も変わらないのだが、何故にそこまで偉そうな奴が嫌いからと考えてみると、そういう部分が自分にもなくはない。いや、そうなのだろう、ということが、高校を卒業してから気づいた。

 高校の同級生の何人かとは、卒業した後も会っていたのだが、偉そうな態度を見せられると、もう、こいつと付き合わなくて良いや、と距離をとることにした。

 社会人になって生きやすくなったのは、気が合わない奴とは、会う必要がなくなったこと。職場では、気が合わなくても、一緒に仕事をしていかなければならないが、学生の頃に比べると、断然、気が楽だ。仕事は仕事と割り切れるから。

 今、思えば、それほど、大したこともなく、同じ場所で、同じ時間を共有していれば、仲直りをした可能性が高いが、一度、距離をとると、それぞれの生活の場があるから、会わなくなり、何年も、何十年も時が経つと、もはや修復が不可能になる。

 仕事中も、電話をかけてきた同級生は、私に同窓会に参加して欲しい旨を電話してきたのだろうか、私、一人、参加しなくても、何ら影響がないだろう、と伝えているのを想像し、いや、参加してよ、と粘られ、私は、同窓会に参加して、友達と会い、今の仕事の話や、これまでの話をしている姿が頭の中で勝手に再生され、同窓会に参加しても良いかな、という気持ちにすらなっていた。

 夜、再び、同級生から電話がかかってきた。用件は、野球部の一人と連絡がつかないので、私が、連絡先を知っているかと思って、とのことだった。私が、妄想気味に想像していた、同窓会に参加して欲しいということではなく、ああ、そういうこと、と思った。話の流れから、私が参加しない理由を告げると、そういうこともあるよね、参加は、強要するものではないから、とあっさりとしたものだった。その同級生が今、住んでいる住所は、私いつものよく行くコメダと同じ住所だった。

 次の日、私は、いつものように、コメダに行き、届いた『ODD  ZINE』を読んだ。その一冊に、「好きなこと、嫌いなこと」で記事を書くという特集を組んでいるものがあり、私も、嫌いなことで書いてみようと、iPadで言葉を綴った。