どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

阪神タイガースの謎の老人監督

 妻が、ニュースを観ながら、「大谷のニュースばっかりで、日本のプロ野球はやらないね」と呟いているのを聞いてからというものの、今日も、大谷の情報だけだ、と思うようになった。私たちは、大谷ファンではあるが、ここまで日本のプロ野球をニュースで流さないのも、いかがなものなのか、と思ってしまう。

 3月6日、7日には、京セラドーム大阪で、侍ジャパンが欧州代表との強化試合があり、3月18日には、センバツ高校野球が開幕する。まもなく球春が到来する。

 球春が到来するまでの間、書籍で野球を楽しむのも、また良い。

 村瀬秀信さんの新刊『虎の血 阪神タイガース、謎の老人監督』を読んでいる。伊野尾書店で購入したサイン本である。

 村瀬秀信さんといえば、『4522敗の記憶 ホエールズベイスターズ涙の球団史』、『止めたバットでツーベース 村瀬秀信 野球短編自選集』、『ドラフト最下位』と、どれもがおもしろく、『虎の血 阪神タイガース、謎の老人監督』を読むのを楽しみにしていた。

 プロ野球経験なしの老人が、阪神タイガースの監督になる、という物語。

 私は、ストッパー毒島に登場する老人監督を思い出し、本棚に並ぶ、ストッパー毒島を引っ張り出して老人監督を探した。ストッパー毒島3巻に、老人監督である三木源三郎が初めて登場する。そこには、こう書かれている。三木源三郎。二軍監督・・・。のびのび野球を提唱する昭和一ケタ生まれ。しばしば試合中に居眠りをする。彼のことを“恍惚の人“と二軍選手たちは呼ぶ。三木源三郎のモデルが、岸一郎ではないかとも思ったが、『虎の血 阪神タイガース、謎の老人監督』に登場する老人監督である岸一郎とは、背格好も違い、どうも三木源三郎とは違う。

 岸一郎が、大阪タイガース(現阪神タイガース)の監督になったのが1955年。巨人の川上哲治が、吉田義男が現役の時代である。本著で、たびたび登場する藤村富美男を知ったのは最近のことで、プロスピAというゲームがきっかけだったが、藤村富美男が、当時、大阪タイガースの顔だったというのも本著で知った。阪神ファンだと当たり前の知識なのだろうか。巨人がV9を達成するのが、1965年から1973年までであり、王、長嶋以前のプロ野球については、全くもって、知る機会もなかった。

 で、岸一郎である。岸一郎が、代走だと言っているのに、選手が代走を拒否し、やっぱり代走なしで、と采配を取り下げてしまう場面がある。これは辛い、と思いながら、ふと、自分の高校時代のことを思い出した。高校3年の時に、野球をあまり知らない監督が野球部に就任するのだが、私は、試合の後に、「なぜ、あの場面で4番の私にバントなのですか」と喰ってかかったことがある。監督は、ただ黙って、私の主張を聞いていた。

 選手たちから馬鹿にされることも辛いが、輪をかけて、プロ野球の場合、ここにファンもいて、マスコミもいて、フロントもいることになる。プロ野球選手としてある程度の成績を残して監督になった者でさえも、結果が伴わなければ、外野は容赦がない。結果が全てのプロの世界といえば、プロの世界かもしれないが、どんな精神状態になるのだろう。岸一郎が監督になり、33試合、二ヶ月弱で、監督を辞任する。

 本著も半分過ぎた頃、ここからおもしろい展開になるような雰囲気を感じないと思いながら読み進めると、阪神の監督は、いかに難しいかを知ることになる。確かに、思い起こせば、ノムさんも、矢野も、大変そうだった記憶が薄らと蘇る。いかに、昨シーズンの阪神の日本一が凄かったかがわかる。強い阪神が続くのだろうか。本著を読み終わった今、俄然、今後の阪神の動向に目が離せない。

 なぜ、阪神ファンは、あれほど熱狂的になれるのか、思いを馳せる。阪神ファンだけではなく、選手も、監督も、なぜ、そこまで阪神を愛せるのだろうか。そんな大変な想いをしているのに。