どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

すべては、生き抜くために。

 休日の朝、コメダに行ったあとは、作品展を観に行こうか、妻が朝、話していた喫茶店に行こうか、考えていたのだが、コメダを出る頃には、自宅に帰りたい気持ちになっていた。

 インスタントラーメンを茹でながら、iPadAmazon primeで『市子』を流した。映画を観るのは、久々だった。2分が経過し、『市子』を観ながら、インスタントラーメンを啜り、いつしか持ってきた『市子』のフライヤーを手に取り眺めた。

 

 市子(杉咲花)は、恋人の長谷川義則(若葉竜也)から、プロポーズを受けた翌日に、突然失踪。長谷川が行方を追い、これまで彼女と関わりがあった人々から証言を得ていくと、切なくも衝撃的な事実が次々と浮かび上がる・・・。市子の人生を狂わせた悲しき宿命。名前を変え、人を欺き、社会から逃れるように生きてきた。なぜ、彼女はこのような人生を歩まなければならなかったのか。

 

 憂鬱で仕方なかった。今日は、自宅でゴロゴロすることにした。野村克也野村克也全語録』を読んだり、凪良ゆう『汝、星のごとく』を読んだり、昼寝をした。

 寒さで目が覚め、起きてからも憂鬱で、こんな日は鍋焼きうどんが食べたい、と思った。妻を職場に迎えに行き、夕食は、どうするかという話になり、鍋焼きうどんを食べたいと伝えた。大きいスーパーに行くのがめんどくさくて、そんなに大きくないスーパーで鍋焼きうどんの材料を買った。

 鍋焼きうどんを食べながら、日ハム対楽天戦を観た。日ハムは、エスコンフィールドで、投手は、オリックスから移籍した山崎福也だった。楽天リードのまま野球中継が終わり、チャンネルを変え、巨人対中日戦をつけながら、凪良ゆう『汝、星のごとく』の続きを読んだ。高校の時に、つきあっていた彼女が自宅に来たのを思い出した。巨人対中日は、延長戦に入り、12回に、中日がホームランを打って、中日が買った。  

 

 

人間のいちばん美しい姿はなんだ?

 夫婦共々、資格試験に無事、合格し、使っていた教科書、参考書の類を売りにいこうと、久々にブックオフに向かった。会計を待つ間、店内を眺めていると、野村克也野村克也全語録 語れ継がれる人生哲学』が目に止まった。以前、目にした時に欲しかった本である。売ったお金より、買うお金の方が高くつくのも、ブックオフあるあるだなと思いながら、帰路に着いた。

 組織、チームを運営するにあたり、野球から学ぶことが多く、ノムさんの言葉は、参考になることが多い。

 『野村克也全語録』を読みながら、弱者の武器は、謙虚であること、素直であること、不器用であること、とあり、まさしく思い当たる節がある。思い当たる職員がいる。

 

 真の個性とは、いうなれば、世のため人のために役立ってこそ祝福される個人の「特性」のことを指すのである。そこははき違えてはいけない。

 野村克也野村克也全語録 語れるがれる人生哲学』p20

 

 職員がやりたいことのために、自己実現するために会社があるのか、と思うことがある。金銭が発生しているのである。であるならば、優先されるべきは、そのサービスを利用してくれている人、顧客にあるのではないか、そこが一番である。利用してくれる人がいるから会社が存在し、会社が存在するから、職員がいるのである。だから、そのいち、職員がやりたいことが利用してくれている人に喜ばれるものであるかは問い続けなければならず、自己満足に陥っていないかをチェックする必要がある。結果的に、職員がやりたいこと、自己実現につながれば、なおのこと良い。職員がやりたいこと、自己実現は、一番、最後にある。

 

 儒教の始祖であり、春秋時代の中国の思想家・哲学者である孔子は、才智や能力が極端にいき過ぎている者も才知が劣っている者も、いずれもバランスが崩れていてよくないと考えていた。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」である。自分らしく生きることは大切だが、ときに「自分らしさ」は「わがままな自己満足」に過ぎず、虚飾によって内面の稚拙さや幼さを覆い隠していることがある。

 野村克也野村克也全語録 語れるがれる人生哲学』p21

 

 「人間のいちばん美しい姿はなんだ?」という問いに、私ならこう答える。「一生懸命な姿に勝る美しさはない。人はその姿に感動する」と。

 野村克也野村克也全語録 語れるがれる人生哲学』p22

 

 先日、入社式で、職員の前で話をする機会があり、私は、こう言った。「ここ何年かで、アルバイトの学生の姿勢が一番、良いと感じています。それは、若い職員の働いている姿勢をみているからだと思っています。これから新卒の職員が新たに加わりますが、新卒の職員に恥じない働き方をここにいる職員は見せてくれると思っています」と。

 私は、普段、職員を意識的に褒めることはない。褒めるにしても、少しだけ工夫がいると思っていて、その一つが、今回のような機会の時に話すことだと思っている。

 

 技術を習得する段階を3つに分類すると、「基礎」「基本」「応用」となる。基礎は理論や理屈ではなく、例えば打者なら、バットを振って、振って、振りまくって体に覚え込ませる段階。そういう地道な努力で身につくのが基礎である。ただ残念なことに、素振りのような基礎練習はすぐに効果が表れない。しかも、ひたすらバットを振るという単純で苦しい反復練習だ。ようやく成果が表れはじめるのは、2〜3年後ということもある。

 野村克也野村克也全語録 語れるがれる人生哲学』p27

 

 私は、職員に自分の担っている仕事が、どれほど意義あるものか、価値があるものかを知り、誇りを持って欲しいと思っている。そう思って、言葉で伝え、そのような経験ができるよう考えてきたが、まだ足りていない。身を持って知るためには、体感する必要がある。

 

 気づけば、11時。コメダを後にし、自宅で昼食にしよう。北海道にもまもなく春が訪れる。道路の雪は一気に溶け、道路はアスファルトが顔をだしたが、凸凹して修理が必要です。 

 

野村克也全語録

野村克也全語録

Amazon

 

光と影

 辞令交付式は15時からだったので、コメダに寄り、宮島未奈『成瀬は信じた道をいく』の続きを読んだ。あっという間に読み終わった。読み終わってしまったという表現のほうが近い。成瀬が、フィクション上の人物だとは思えない。成瀬の幸せを願わずにはいられない。成瀬、最高。

 辞令交付式、懇親会、2次会に参加して、帰宅し、シャワーを浴び、0時を跨いでいたか定かではないが、あっという間に眠くなって寝た。

 カーテン越しから漏れる光で目が覚めて、高校野球を観るために、テレビをつけ、番組表を表示し、今日が、決勝の日だと気づいた。早坂大輔『いつも本ばかり読んでいるわけではないけれど。』の続きを読んだ。

 

 生きること、生活することを「芸術」だなんて考えたこともなかったが、彼の家に行く前に読んでいた宮沢賢治の『農民芸術概論』の一節をふと思い出して、おそらく賢治はこういうことを言いたかったのではないかと、彼の暮らしぶりを眺めながら思った。土を耕し作物を生み出すことも、何もないところからギターを爪弾き音楽を作るのも、彼に取っては同じ芸術なのであって、その毎日の集積、流れている時間、過去と未来、生活が組み合わさって四次元となり、一つの巨きな芸術になる。

 早坂大輔『いつも本ばかり読んでいるわけではないけれど。』p47

 

 宮沢賢治『農民芸術概論』を読んでみたい、と思って、読書メーターに登録しようと思って、アプリを開いたら、宮沢賢治全集が目にはいって、全集でも良いかも、と思った。奥山淳志『動物たちの家』も読んでみたい。水木しげる河童の三平』も。光と影のエッセイの最後に書かれていた文章も良かった。

 

 犬が眠っている窓の外では立派なトマトの葉が茂っている。午後になると少し日が陰り、うっすらとベランダに影ができ、大きな葉が陰影を作る。その傍で老犬は深く深く眠る。私たちはいつまでも光の側でばかり生き続けることはできないのだ、という大きな矛盾のなかで生きている。光ばかりだとわれわれは困憊してしまうからだ。やがて光を影が覆い、その光と影が生命の循環なのだとわたしたちはいつか理解し、前に進む。ぼくはいずれ老犬を大きな影が覆ってしまうことを知っている。だがいっぽうで、どうしてもその事実を認められない自分がいる。永遠などありはしないのに。

 早坂大輔『いつも本ばかり読んでいるわけではないけれど。』p51

 

 センバツ高校野球決勝は、健大高崎報徳学園だった。気づいたら、寝ていて、起きたら、9回表、報徳学園の攻撃だった。1点差を追う二死から盗塁を決めた。WBCで鳥谷が盗塁したのと同じだった。勝ちたい、という気持ちが、その盗塁からも、試合が終わった後も、画面上から伝わってきた。夏の報徳学園に注目したい。

 

 

目標設定の極意

 若い職員に、目標を教えてくださいと訊かれたことがあり、「現状維持」と応えたことがある。今も、その答えは変わらない。現状維持をするためには、変化を起こし続ける必要があると思っているけれど、そのことを付け加えたかどうかは定かではない。職員に、変化が激しすぎると言われたこともあり、それも私にとっては、現状を維持するために必要なことで、その時は、職員にも伝えた。

 そんなわけで、私は目標設定とかに今は興味がないのだけど、Numberの表紙がイチローだということで、Numberを購入し読んでいる。

 イチローは、「目標」という言葉について、「自らを高めていくために不可欠なものと捉えています。基本的には遠くに設定するものと、近くに設定するものの2つがあり、日々意識するのは近くにある目標で、それをクリアしていくことで遠くにある目標に近づいていく、そんなイメージです。これってよく耳にする話ですよね。でもやってみると結構難しいんですよ。ひとつ言えるのは、遠くの目標だけを見ているといずれは挫折します。難しいけど頑張ればできる距離感を大事に、僕は形にしてきました。」と答えている。

 私の場合は、目標を設定しているわけではないけれど、その時の自分の状態に応じて、自分自身にかける言葉を変えてはいる。私は、それを遠目と近目と呼んでいて、遠くを見ていて楽になることもあれば、足元の近くを見ているほうが楽な時もある。と、書いていて、基本は、自分に甘いのではないだろうかという気もしてきた。いや、甘いのは自覚している。甘くて良いのではないか、とも。

 ここ最近、ある職員のことを考えていて、その職員が、何度となく心が折るのは、目標設定が遠いからなのではないか、とイチローの言葉を何度か読んでいるうちに思うに至る。今度、提案してみよう。

 イチローへのインタビューは続く。今の高校生はどんな目標設定を提示すれば前へ進めると思いますかという問いに、「.(中略)。年々、厳しい指導ができなくなっているということ。実際、監督に話を聞くと以前にも増してその傾向は強く、萎縮してしまっているというんです。...多くの人が『時代だから』と枕詞のように表現する昨今ですが、果たしてその時は穏やかに見える時間を過ごしたところで、社会に出てからの耐性は育めるのでしょうか。(中略)。今の環境では甘えが出てしまうから、厳しさが必要だということは多くの子どもが理解しているんです。(中略)。高校生たちには『もっと厳しくしてほしい』という想いが潜在的に眠っているように感じます。それをくすぐるのも僕の役目。眠っているんものが目覚めるきっかけになればいいですね」

 高校生はどうすれば自分に厳しくなれるのでしょう。イチロー曰く、「だから、日々、自分の限界を迎えることが大事なんです。人と比較して『アイツよりも頑張った、頑張っていない』じゃ、基準がバラバラでわかりにくい。そもそも人の頑張りは秤にならない。秤にするのはその日の自分がいいんです。『あと一本走らなきゃいけないけど、もう今日はつらいし明日にしよう』ってこと、きっと多いです。そこでもうひと踏ん張りできたかどうかは、人にはわからないけど、自分にだけははっきりとわかる。人の力を借りず、自分でそこを超えていくのが大事なのはわかっているのに、行動するのは実はとても厳しいんです」

 再び、ある職員のことを考える。イチローのいう秤が、他者にあるから苦しくなるというのは、私から見ると、わかるのだが、果たして、本人が自分でその答えを導き出していくために、私は、どんな言葉をかけるのが良いのだろう、と考えている。

 

 

 

 

阪神タイガースの謎の老人監督

 妻が、ニュースを観ながら、「大谷のニュースばっかりで、日本のプロ野球はやらないね」と呟いているのを聞いてからというものの、今日も、大谷の情報だけだ、と思うようになった。私たちは、大谷ファンではあるが、ここまで日本のプロ野球をニュースで流さないのも、いかがなものなのか、と思ってしまう。

 3月6日、7日には、京セラドーム大阪で、侍ジャパンが欧州代表との強化試合があり、3月18日には、センバツ高校野球が開幕する。まもなく球春が到来する。

 球春が到来するまでの間、書籍で野球を楽しむのも、また良い。

 村瀬秀信さんの新刊『虎の血 阪神タイガース、謎の老人監督』を読んでいる。伊野尾書店で購入したサイン本である。

 村瀬秀信さんといえば、『4522敗の記憶 ホエールズベイスターズ涙の球団史』、『止めたバットでツーベース 村瀬秀信 野球短編自選集』、『ドラフト最下位』と、どれもがおもしろく、『虎の血 阪神タイガース、謎の老人監督』を読むのを楽しみにしていた。

 プロ野球経験なしの老人が、阪神タイガースの監督になる、という物語。

 私は、ストッパー毒島に登場する老人監督を思い出し、本棚に並ぶ、ストッパー毒島を引っ張り出して老人監督を探した。ストッパー毒島3巻に、老人監督である三木源三郎が初めて登場する。そこには、こう書かれている。三木源三郎。二軍監督・・・。のびのび野球を提唱する昭和一ケタ生まれ。しばしば試合中に居眠りをする。彼のことを“恍惚の人“と二軍選手たちは呼ぶ。三木源三郎のモデルが、岸一郎ではないかとも思ったが、『虎の血 阪神タイガース、謎の老人監督』に登場する老人監督である岸一郎とは、背格好も違い、どうも三木源三郎とは違う。

 岸一郎が、大阪タイガース(現阪神タイガース)の監督になったのが1955年。巨人の川上哲治が、吉田義男が現役の時代である。本著で、たびたび登場する藤村富美男を知ったのは最近のことで、プロスピAというゲームがきっかけだったが、藤村富美男が、当時、大阪タイガースの顔だったというのも本著で知った。阪神ファンだと当たり前の知識なのだろうか。巨人がV9を達成するのが、1965年から1973年までであり、王、長嶋以前のプロ野球については、全くもって、知る機会もなかった。

 で、岸一郎である。岸一郎が、代走だと言っているのに、選手が代走を拒否し、やっぱり代走なしで、と采配を取り下げてしまう場面がある。これは辛い、と思いながら、ふと、自分の高校時代のことを思い出した。高校3年の時に、野球をあまり知らない監督が野球部に就任するのだが、私は、試合の後に、「なぜ、あの場面で4番の私にバントなのですか」と喰ってかかったことがある。監督は、ただ黙って、私の主張を聞いていた。

 選手たちから馬鹿にされることも辛いが、輪をかけて、プロ野球の場合、ここにファンもいて、マスコミもいて、フロントもいることになる。プロ野球選手としてある程度の成績を残して監督になった者でさえも、結果が伴わなければ、外野は容赦がない。結果が全てのプロの世界といえば、プロの世界かもしれないが、どんな精神状態になるのだろう。岸一郎が監督になり、33試合、二ヶ月弱で、監督を辞任する。

 本著も半分過ぎた頃、ここからおもしろい展開になるような雰囲気を感じないと思いながら読み進めると、阪神の監督は、いかに難しいかを知ることになる。確かに、思い起こせば、ノムさんも、矢野も、大変そうだった記憶が薄らと蘇る。いかに、昨シーズンの阪神の日本一が凄かったかがわかる。強い阪神が続くのだろうか。本著を読み終わった今、俄然、今後の阪神の動向に目が離せない。

 なぜ、阪神ファンは、あれほど熱狂的になれるのか、思いを馳せる。阪神ファンだけではなく、選手も、監督も、なぜ、そこまで阪神を愛せるのだろうか。そんな大変な想いをしているのに。

 

センバツ21世紀枠

 20代の頃に同じ職場だった友達から、元気にしているかなと思ってLINEしました、とLINEが来た。その人から連絡が来るのは、だいたいが甲子園の時期で、なぜ、甲子園の時期かというと、私が野球が好きだからで、その友達が甲子園を見ながら、たまあに私を思い出してくれて、何年かに一度、こうして連絡が来る。いろいろあるけれど、元気だよ、今年度は、仕事運が著しく低下している、と私が返すと、私はいつも低下しているから感覚麻痺しているよ笑。でも、今年度は、プライベートでロードレースで年間2本出れたことなど自分なりに頑張れたかな、と返ってきた。ロードレースって何キロ走るんだろう、と思って送ったら、10kmということだった。高校のマラソン大会を思い出した。確か、10km。野球部の時は、冬期間、毎日、10km走っていたっけ。この年齢ではとてもじゃないけど、無理だなと思って、すごい...。と返した。一緒に走る仲間を募集しているけど、なかなか見つからない、と返ってきて、俺なら走るね、と軽い返したら、えーじゃあ9月のニセコラソンに出ようよ、と返ってきた。9月は、オーストラリアに旅行に行きたいと思っていたから、仕事そんなに休めるかな、と思ったけど、走りたいというか、久しぶりに、その人に会いたいということもあって、前向きに考える、とLINEが終了した。

 

 朝、出かける準備をしながら、NHKのニュースで、センバツ21世紀枠に別海高校が候補として選ばれているという特集をしているのを目にした。監督が就任した当時は部員が5人だったかで、道具も、お古を練習試合をした相手校からもらい、監督が就任して8年が経過し、昨年の秋の北海道大会でベスト4になったということだった。冬で外の練習ができないので、町営の施設を借りる交渉を監督がして、別海町の人たちがネットを整備したりしている映像を見ながら、こういう町の盛り上がり方って良いな、と思った。コメダに移動して、別海高校野球部のことをもっと知りたくて、コメダにあったスポーツ新聞を読んだり、ネットの記事を読んだりした。優勝した北海高校に準決勝で6−1で敗れたと知った。これで21世紀枠に選出されたら、別海は、数十年に一度の祭りになるだろうな、そうなって欲しいな、と思った。

 阿久津隆『読書の日記 皮算用/ストレッチ/屋上』も終盤に差しかかり、阿久津さんがiPadを購入する過程を読みながら、2月になったら、私もMacbookを買おう、と思っていることを思い出したり、阿久津さんがシフト調整をしている箇所を読めば、私もシフト管理が、何かソフトみたいなので、もっと時間短縮できないものか、と思ったりした。

 美しさみたいなものへのこだわりが小さい会社なのかもしれないと思った。美しくなくていい人たちというのが僕は怖い。阿久津隆『読書の日記 皮算用/ストレッチ/屋上』p575

 美しさ。何か大切なキーワードのように感じた。野球でも、守備が美しく見えるのは、すなわち正しいキャッチングや、正しいスローイングができているということだと、高校野球をしている時に監督が言っていた言葉を思い出した。働いてからも、上司が女性にモテるような仕事の仕方をしろ、と言っていたのも、この美しさに通ずるのだろうな、と考えながら読んでいた。11時を周り、喫茶店の梯子をしようかと思っていたけれど、自宅に帰ることにした。

 21世紀枠は、どうなったのだろう、とネットで検索したら、別海高校が選ばれていた。

 

アジアプロ野球チャンピオンシップ2023

 用事があるので、早く帰ります。というような内容を職場の人たちに伝えたけれど、早く帰りたいだけで、特に用事はなかった。

 ただ、用事という用事ではないが、アジアプロ野球チャンピオンシップ決勝の日ではあった。テレビをつけ、番組表を見ると、19時からだった。決勝の相手は韓国だった。

 WBCに比べ、緊張感はなく、プロ野球を見るように、ダラダラと、ピザを食べながらだったり、本を読みながら、見ていた。

 韓国に2点リードされた5回の表からマウンドに上がるのは、根本悠楓。根本?今シーズン、あまりプロ野球を見れなかったから知らない選手だった。テレビ画面には道産子サウスポーと書かれているが、どこのチームで、どこの高校なのだろうか。ネットで調べたら、日ハムだった。その根本が、キャッチャーのサインに首を降り、堂々のピッチングを続ける。

 ストーブの前、睡魔に襲われ、記憶が定かではないが、起きたら9回で、2−2の同点のまま、延長タイブレークに突入した。

 マウンドは、吉村貢司郎。初めて聞いた。タイブレークは、緊張感がある。韓国の先頭打者がダブルプレーとなり、無失点で切り抜けられるかと思いきや、タイムリーを許す。

 10回裏。1点リードを許している中、バッターは三番森下から。タイブレークは難しい。まずは、バントで送りたいところ。であるならば代打か。お、代打、古賀になった。古賀?盗塁阻止率12球団No.1。捕手枠か。バントなら、この人、みたいな人は用意しているのだろうか。危ういバントではあったが、1球目から、送りバント成功。牧が申告敬遠。満塁策。5番坂倉。最低でも、犠牲フライと思っていたら1球目をセンターに大きな犠牲フライ。同点。万波も申告敬遠。そりゃそうだ。1点取られらば終了。バッターは門脇。門脇は私の中では注目の選手。そんなに門脇について知っているわけではないが、守備がうまい印象はあったけれど、実際、テレビで見ていると、打撃もよくて、今後の活躍が気になる。打ってくれる雰囲気がある、と書いていた1球目。三遊間を強いゴロが抜ける。やったあ、と私は、声をあげ、手を叩いた。もちろんWBCのような緊張感はないけれど、負けて良い試合なんてないような、とベンチを飛び出し、喜ぶ選手たちを見ながら、思った。テレビでは、井端監督が、マウンドで宙に舞う。

 読みたいと思っていた安達茉莉子『私の生活改善運動』を開く。読みながら、無性に部屋掃除をしたくなってきた。