どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

蕎麦と餅

 正月には餅を食べないと、正月という感じがしないと妻が言った。それは、私でいうところの12月31日には、 蕎麦を食べないと、大晦日って感じがしないというのと同じことだと思った。結婚して10年以上になるのに、妻が、そこまで正月に餅を食べたいと思っていたことを初めて知った。聞いていたのに、聞き流していたのかもしれない。というわけで、朝食はお汁粉とお雑煮を食べた。

 その後、初詣。朝が早いということもあって、年配の人たちが多かった。どんと焼きの受付も1月1日からしていて、昨年まで使用していたお札や何やらを持参した。そのお札なんかを置く場所には、小屋があって、小屋の中には、80代と思われる女性が見守るために座っていて、今日は、いつもより寒いね、と私たちに話しかけてくれたので、寒いですね、と返した。あとで、妻と、あの役割は必要なのだろうか、座った状態でずっといるのは寒いのではないか、と話をした。

 初詣の後は、祖父母は亡くなっているのだが、祖母宅に親戚一同で集まるために、高速道路を走った。祖父母宅に着くと、親戚のおじさんが、屋根の雪を下ろしていて、私も少しばかり、除雪を手伝った。

 自宅に入り、まもなく、他の親戚や、父母や、妹家族も到着した。

 妹家族と会うのは、一年ぶりだろうか。義弟と話をすると、数ヶ月前にコロナになり、後遺症で、しばらく咳が止まらなくなったとのことだった。姪は、気づけば中学1年生と小学5年生になっていた。中学1年生の姪はうっすらと化粧をしていた。部活は何をしているのか、勉強が苦手、体育も先生が嫌い、では、学校はつまらない、と訊くと、友達と話をするのは楽しいと姪は言っていた。小学5年生の姪は、私は化粧をしない、と宣言に近い形で、私に言った。確かに化粧をするには中学1年生は早すぎるかもね。いや、早いだろ。2人は、祖母宅の自宅内にいる蜘蛛やてんとう虫を発見して、騒いでいた。それにしても、よく笑う。

 親戚のおばさんは、夏以来に会ったのだが、夏に会った時、同様に太ったね、と言われた。いや、痩せたと、と言ったが、私はピーク時より痩せたと言ったのであって、親戚のおばさんからしたら、私のイメージよりも、まだまだ太っているのだろう。

 親戚一同で、お寿司や、おでんや、オードブルなんかを食べ、私は昼寝をして、暗くなるうちに帰ろうと、誰よりも先に、帰路についた。いつものように親戚一同で見送りをしてくれた。

 自宅に着く頃に、ナビで、津波注意という文字が出て、妻と、地震?と話をし、妻が携帯電話で調べると、能登半島震度7ということだった。正月とか関係ないけれど、正月なのに?と思った。自宅に入って、テレビをつけると、どこの番組も、能登半島地震について放送していて、切なくなるくらいに、緊急地震速報が表示された。しばらくの間、テレビをつけっぱなしにしていたけれど、同じようなことの繰り返しだった。

 新潟に住む友人の何人かに連絡をした。停電はしていないようだったが、高いところに避難をしました、という友人もいた。阿久津隆『読書の日記 予言/箱根/お味噌汁』の続きを読んでいたら、イ・ランを聴いてみたくなって、Spotifyで流した。気づいたら、新潟に住む友人からLINEで返信があり、実は母が2週間前に急に亡くなったばかりで、色々なことがあって心臓に悪いです、と入ってきた。それは、寂しい年末年始だったのだろう、と想像しながら、まだ、若かっただろうに、と返した。お母さんに何もしてあげられなかったから、その分お父さんを大事にしようと思います、とさらに返信があった。存在、そのものが母にとっては欠けがいなかったのではないか、とは思ったけれど、そんな慰めの言葉もな、と打つのをやめて、体力も落ちているだろうから、体調を崩さないようにね、と返しながら、新潟で一緒に働いていた時期のことを少しばかり思い出した。