どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

他力本願

 小川哲『君が手にするはずだった黄金について』を置き、時計を見ると、10時になっていた。コメダに入ったのが8時過ぎで、気づけば2時間近くが経っていた。

 『君が手にするはずだった黄金について』の場面、場面で、この場面好きだという気持ちが湧き起こり、本を閉じ、思考を巡らし、こうして言葉を綴っている。

 例えば、彼女の父と食事をした時のこと。彼女の父は、自分の娘の彼氏に、「君は、何かやりたいことはあるのか?」と訊く。困ったときは正直に答えるべきである。これも誰かの箴言ではない。自分で考えたことだ、と主人公の男性は考える。読者である私は、大事なことだ、と頷き、頁をめくり、私が、数日後に、向き合うべき部下の顔が浮かんだ。

 「じゃあ、やりたくないことはあるか?」と彼女の父は、質問を続ける。主人公は、「それならたくさんあります」と答える。「たとえば?」と彼女の父は続ける。仕事において、やりたいことが思い浮かばなれば、やりたくないことを考えることも、一つの手段だということを、どこかで訊いたか、どこかで読んだことだと私は読みながら思い出した。

 じゃあ、やりたくないことってなんだろう?と本を読みながら、自分自身に問う。パッと、頭に浮かんだことが、若者に、がっかりさせる大人になりたくないこと。

 ここ最近、よく浮かぶ言葉。なぜ、そう思うのかというと、私が20代の時に出会った大人の影響だろう。こんな大人になりたくないという大人に出会ったわけではなくて、思い出すのは、こんな大人になりたいという人に、出会ったこと。20代前半の社会人3年目くらいだった私が、その一人の大人の言葉や存在に救われ、私も、こんな大人になりたいと思った。ふとした時に、思い出している。当時、出会ったその人は30代だったが、その人の年齢も超えた今、私は、その人に近づけただろうか、と思ったりする。

 今日の朝、起きて、携帯電話を開いて、なんとはなしにfacebookを開き、リンクからYouTubeを開いたら、その人の追悼展の様子が、動画になっていたので見た。動画には、その人がfacebookで綴っていた日記が、文字で流れた。コメダに向かうまでの間も、こうして弱っている時に、この人の言葉を聞きたくなっなあ、と20代の頃を思い出していた。

 なぜ、その人の言葉を読みたくなっていたのだろう。それは、ポジティブで、強い言葉なのではなったような気がする。では、今の私は、若者たちに、ただ、ポジティブで、強い言葉ばかりを伝えているのではないかと問う。どのような言葉が、若者を救うのだろうか。瑞穂さん。瑞穂さんに訊いてみたいよ。

 自分で考えることが大切だよね。自分で考えて、自分で決める。その結果がどうであれ。瑞穂さんなら、そんな感じのことをいうような気がする。

 弱っている時って、他力本願というか、他の人が何とかしてくれという気持ちが湧きおこる。他力本願や、他の人に頼るのがよくないということではないのだけど、ここは、結果がどうあれ、自分が何とかしないといけないという姿勢というか、やり切る気持ちというかがなければならない時というのがある。

 そんなことを考え、コメダを後にした。