北の凡

いろいろあるけれど、それでいい

2回目のワクチン接種

 ワクチンを早く打ちたいという積極的な姿勢ではなく、仕事柄、打たないといけないよね、仕方ない、と、1回目の接種が終わったのが8月下旬で、今日が2回目の接種の日だった。2回目の接種が本番みたいな感じだから憂鬱だった。

 接種会場で、案内係の女性が、私の持参したファイルを見て、このファイル、ドラえもん展のやつですよね、と声をかけてきた。声をかけずにはいられないと言った感じだった。通常なら、行きました?ドラえもん展。良かったですよね〜、とか返したあと、私も、そのしりあがり寿のファイル持ってます、くらいのキャッチボールがあるのだが、この時は、あ、はい、といつになく、愛想がなかったのは、ワクチン接種前で憂鬱だったから。

 待っている間、柿内正午『プルーストを読む生活』の続きを読む。

 エンパワメントなんていらねえ、バッドでもいいじゃねえか、という態度。自己肯定感なんかむりに高めなくていい、という最高度の肯定。苦しい辛いしんどいそれでも彼女たちはそこにいて、ここにいると記し続ける。読むこと、書くことによる連帯。自己陶酔と見紛う他者への没入、憑依、抗うこと。柿内正午『プルーストを読む生活』p272

 私のワクチン接種の順番がまもなくという刹那、本当に、ワクチンを打っていいのか?読書に逃げて思考停止になってんじゃないのか?という言葉が頭を過ぎるが、無となって、看護師の前に立った。

 辞書を持ち歩いているのですか?と看護師は、私に話しかけた。いいえ、辞書ではありません。日記です、と私は、応えた。柿内正午『プルーストを読む生活』は、700頁を超えるので、確かに辞書のような佇まいをしていた。これまで接種会場に来た人のなかで、一番、かっこいい持ち物です、と看護師は、キャッチボールを続ける。いいことがあったあとは、悪いことが来る、副反応が怖い、と頭を駆け巡った。

 ワクチン接種後、私は、『プルーストを読む生活』を読みながら、15分の待機時間を過ごした。私が読んできた本が何冊か登場して、いいよね、ケアをひらくシリーズと思ったり、『読書の日記』読んで、私も、その本を買ったと思ったりした。

 有能かどうかは、大学人かどうかでは決まらない、大事なのは知性的かどうかだろ?いま、その態度はむしろ大学人たちから反知性主義とそしられる側にある。しかし、「プロよりも有能なアマチュアたち」を単純に肯定することもできない。なぜなら、いま問わなければならないのはこの「有能」という価値に対する考え方自体をがらっと改めていかなきゃいけないんじゃないか、ということだからだ。柿内正午『プルーストを読む生活』p277    

 プロとアマチュアの相違。最近、少しばかり、考えていたこと。私のなかでの、プロフェッショナルの最新定義は、感動を与えられるかどうかということ。さらに深く考えるため、與那覇潤『知性は死なない 平成の鬱を超えて』を読みたくなった。與那覇潤って何て読むのだろう、とネットで検索したら、他の著書もあって、ケアをひらくシリーズでも本を出していることを知った。俄然、與那覇潤を読みたくなった。

 アナフィラキシーショックにならなくて、一安心した私は、パイプ椅子から立ち上がり、立ち上がった瞬間、昨日、針治療をした臀部が痛いことに気づいた。

 解熱剤を飲んだからなのか、今のところ、発熱もしていないので、『プルーストを読む生活』をゆっくり読もう。300頁を過ぎたところ。

プルーストを読む生活

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