北の凡

いろいろあるけれど、それでいい

読書と仕事

 柿内正午『プルーストを読む生活』も200頁を超えた。『プルーストを読む生活』に限った話ではないが、読書をしながら、頭のなかに浮かんでくるのは仕事のことが多い。年を重ねると、変わるのだろうか。仕事を辞めたら、そりゃあ変わるだろう。そんなことを考えながら、眠りについた。

 文体について考える。真似したくなる文体とは、どういうものか?語尾か?人間性が語尾に現れると言った倉本聰の言葉を思い出した。映画なり、ドラマのことかもしれないが、それは文体にも同じことが言えるのではないか。そのテレビ番組で、倉本聰は、父から宮澤賢治の本を読むと良いと言われたと言っていた。宮澤賢治の文章にはリズムがあるからということらしい。リズムが良い文章を書くには、書いて、読んで、書き直すの繰り返しか。『プルーストを読む生活』に、プルーストが、原稿を、何度も、何度も書き直していたということが書かれていて、なぜか、その場面が好きで、頭のなかに、ふと思い出す。あと、どういう言葉を使うか、か。人が真似をしたくなるような文体を身につけたい。

 柿内正午『プルーストを読む生活』を置き、ふとテレビを見ると、政治家が映っていた。人の批判ではなく、あなたのやりたいことは何なんだ?編集の過程で、人の批判をしているところが切り取られるから、そのように見えるのだろうか。心が動かされるのは、後ろ向きな発言ではなく、前向きな発言ではないのか。

 柿内正午『プルーストを読む生活』に、あとがきや解説を読まなくなったというようなことが書かれていて、映画のエンドロールのことが頭のなかに浮かんだ。映画館で映画を観ると、私はエンドロールを観るときと観ないときがある。エンドロールを観るときは、余韻に浸っていたいときである。私が、あとがきや解説を読むのも、余韻に浸っていたいときかもしれない。いや、違うかもしれない。たまたま読んでいるのか。ほとんどの場合、解説は読まない。

 先日、考えていた問いに、一筋の答えが見えた。

 選べるということ、一つの価値観が押しつけられないことが必要条件。定年制を撤廃した方が良いと思った理由は?父は、もう働かなくても良い年齢だが、いまだに働いている。多分、冬は仕事をしていない。うらやましい。一年に一度、長い休暇があるなんて。私なら、旅行に行くだろう。今年は、読書三昧の年にするかなとか考えただけでうらやましい。それはさておき、父は、これまで何十年と働いていた知識、経験が活きる場所で、再就職している。ここがポイントではないか。必要とされているか?頼られているか?という視点。祖母と花見に行きたいと思った時のこと。祖母に、場所を教えてというと、一緒に行ってくれた。つまり、その場所に、自分が求められているか、どうかということ。であるならば、認知症のかたや、障害があるかたも同じではないか。何も、認知症、障害者と分ける必要はなく、配慮と方法を考えることが大切なのではないか。

プルーストを読む生活

プルーストを読む生活

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