どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

ターニングポイント

同年代が、三ツ星レストランを経営しているというのをテレビで知ったためか、自分は何も成し遂げていない、何者にもなっていない、まだまだこれでは足りないという気持ちが湧いてくる。

 

というわけではないが、眠れない。昼寝をしたためか。隣では猫が気持ちよさそうに眠っている。

 

この前テレビで見て考えたことが頭の中で浮かぶ。ターミングポイントという言葉が浮かぶ。

 

ターニングポイントは、いつも、苦しい日々の後にやってきた。

 

何度か繰り返すと、苦しい日々の渦中でも、このあとターニングポイントがやってくる、と言い聞かせることができる。だから、なんとか、苦しい日々もやり過ごせる。

 

ターニングポイントを振り返ると、そこには人との出会いがあった。私は、人見知りで、初対面の人が苦手なんだけど、その時、会いたいと思う人に、メールをして、会えることになり会うことができた。

 

この経験は、後々も、活きることになる。だめで、もともと、会いたい人に会いたいと伝えよう、と。20代後半のこと。あれから、そんな機会はないけれど、今の自分があるのは、あの20代後半の経験があるからだと思っている。

 

そういえば、この前、大学生と話しをする機会があって、なんで教師になるのを諦めたんですか?と質問をされた。かっこつけることもないので、北海道で初めて甲子園で優勝した監督になりたかったんだけど、社会人3年目くらいの時に、駒大苫小牧が全国制覇をして、それで、教師は、もういいやってなった、と答えた。もしかしたら、その頃には、教師になることに興味を持っていなかったのかもしれないけれど。

 

今は、その時の決断というか、そこまで決断したというわけではないけれど、なんら、後悔はしていない。教師にならなくて良かったとさえ思っている。教育実習の時に出会った生徒たちと約束したことを果たせないのは、後ろめたいけど。

 

人の出会いや出会った出来事がその後の人生を決めてきたような気がする。20代の頃、全然、将来を想像できていなかったけど、というか、今も想像できていないけど、それは、これから出会う人や出来事が想像できないからで、それで良いのではないかと思ってる。

 

何かを成し遂げた人というのは、想像しているのだろうか。なりたい自分みたいなものをはっきりもって、そこを目指すための努力を惜しまないのだろうか。

コロナウィルス

春の陽気。ニュースで、今日の札幌の気温は11℃と知った。猫は、窓の桟でひなたぼっこ。ひなたぼっこを終えた猫を撫でると、温かい。

 

コロナウィルスの収束が見えない。ここまで長引くと、もう考えるのがめんどくさくなってきて、不要な外出というか、そもそも外出は不要なものばかりだけど、外出したいな、という気持ちむくむくと湧いてくる。春の陽気だからなおのこと。

 

北海道の感染者は100人を超えたが、回復した人と差し引くと60人くらいか。感染した総計で表示されると、すごい多く感じるけど、治っている人もいるわけで、表示は、これまで感染した人の総計と、回復した人を表示した方が良いような気もする。

 

ネットのニュースなんかで、海外に旅行に行っている、もしくは、住んでいる日本人が、コロナ、と呼ばれたり、差別的な発言をされていると知り、いつの時代も、差別的な発言ってなくならないんだなあと思ったり、外国にいる友達は、大丈夫だろうか、と心配している。外国では、日本のことがどう報じられているのだろうか。

 

プロ野球も開幕が延期された。大相撲は無観客で取り組みをしていて、その様子をニュースで見たが、なんか、本番という感じがしない。観客って重要なんだな。会場の雰囲気を作るためには。

 

政府の専門家委員も、引き続き、警戒をするようにとのことだった。

 

学校は、春休みまで休校。春休みを合わせると、1ヶ月くらいの休みになるらしい。卒業式がなくなったり、修学旅行がなくなったりしていると耳にし、気の毒だな、と思った。

 

というか、コロナのことばかりだな。たまあに本を開くが、全然、活字が頭の中に入ってこない。だけど、本は買う。阿久津隆の最新作『読書の日記 本作り スープとパン 重力の虹』を注文した。

 

読書の日記 本づくり スープとパン 重力の虹

読書の日記 本づくり スープとパン 重力の虹

  • 作者:阿久津隆
  • 発売日: 2020/03/11
  • メディア: 単行本
 

 

SWITCHインタビュー達人達

NHKのSWITCHインタビュー達人達がおもしろい。

 

録画していた鈴木おさむ×中邑賢龍の回がおもしろくて、2日連続、同じものを観た。今も観ているから3回目。

 

大切にしたい言葉が散りばめられていた。

 

企画は日常にあるもの。目の前にヒントがある。

 

面白くないものをみると思いつく。自分に興味のないものを見たり、自分が選んでないものを見るのが、いかに大事か。見ながら、いろんなことを考えるから。

 

勉強と学びの違い。勉強はやりたくないことを努力してやること。学びは好きなことを自らやっていくこと。

 

ネガティブなことも付加価値になる。

 

その状況でしか書けないものがある。

 

内輪だけでやっているとマイノリティになってしまう。

 

言葉の知識ではなく、体でわかる。

 

企画ありきで人をあてこめるよりも、人に合わせて企画を考える。

 

偶然こそ学びのチャンス。

 

中邑賢竜さんのROCKETという企画もすごい。

rocket.tokyo

 

まじめはマイナスではなくプラス

真面目はマイナスではなくプラス。私は、20代の若者に、そう言った。真面目さが、その人の生きづらさになっていることもあって、マイナスとして捉えている人もいるけれど、真面目さは、信頼につながる。だから、プラス。圧倒的にプラス。真面目な人は、自分に厳しいから、自罰的になり、負のスパイラルに陥りがち。そうなるとマイナス。思考の癖に意識的になり、負のスパイラルに陥らないようにする必要はある。

評価なんてどうでもいい

うとうとと居間で寝ていて、起きて時計を確認すると深夜の1時になっていた。布団に入ったが寝付けず、こうしてブログを書くことにした。

 

北海道ではコロナウイルスの影響で、先週の金曜日に、知事から非常事態宣言が発せられた。職場と自宅の往復以外、外出を自粛している。私が住む街でもコロナウィルスを発症した人がいて、いつ職場で発症者が出てもおかしくない状況。こんなに感染症が流行ったのは生まれて初めてのことだと思いながら日々、過ごしている。なんかよくないことが続いていて、気持ちが何かそわそわしてきたから、こういう時は、気を引き締めようとかおもっているけど、この前の休みの日は、何年かぶりに、プロ野球の順位予想をノートに綴る。小学生の時、以来ではないだろうか。順位をつけて、なんか、順当な順位でつまらんな、とノートを閉じた。

 

今日は、というか、昨日になるのか、携帯電話で、sportivaの記事を読んだ。平石監督の特集記事。新リーダー論〜青年監督が目指す究極の組織。

 

sportiva.shueisha.co.jp

 

昨シーズン。3位になったのに、1年という短さで楽天の監督を退任した。注目していただけに、残念だ。ただ、これからの長い野球生活で、今シーズンからのソフトバンクのコーチ生活は、今後に活きる感じがする、とsportivaの記事を読んでいて思ったので、これはこれでよかったのかもしれない。また、いつか平石監督が監督にグランドに戻ってきてほしい。

 

平石監督が言っていた言葉で印象的なのが、『評価なんてどうでもいい』。そうなんだよね。評価されたいという気持ちはありながら、評価なんてどうでもいいと言い聞かせる。やるべきことに集中する。やるべきことに集中したあとに、評価がついてくる。そんな感じ。仮に評価されなくても、やるべきことに集中したら受け入れられるのかもしれない。

自己紹介

ストーブと猫の間に割って入り、立ちながら、ジョン・マグレガー『奇跡も語る者がいなければ』を読む。

カーテン越しに、カラカラと、除雪している音が聞こえる。カラスの鳴き声も聞こえる。うちの猫はカラスが好きだけど、微動だにしない。アパートの中では衣類乾燥機が、衣類乾燥機だけが、夜通し、働いている音がする。

ジョン・マグレガー『奇跡も語る者がいなければ』の中に、人見知りの人が登場し、先日の飲み会を思い出した。

私は、初対面の人が苦手で、まあ昔よりはよくなったが、そんな初対面の人と会う場で、久しぶりに自己紹介をした。

私は、仕事と仕事をとおして目指していることなんかの話をししたんだけど、どうも、話していて、おもしろくなくて、うまく自己紹介できなかったなあ、と帰ってきた。

まずは発信すること。そして、うまく話せなかったら、どう話せば良くなるかを考えること。その繰り返ししかないなと思う。

とか、考えていたら、バタンと衣類乾燥機の方から音がして、見に行くと、突っ張り棒が落ちていた。黄土色のダウンジャケットをかけていたのが重かったのだろう。

黄土色のダウンジャケットを持って、書斎に置きに行き、居間に戻るところで、玄関の上にある窓から、空が白く、薄紫色になっているのに気づいた。

 

奇跡も語る者がいなければ (新潮クレスト・ブックス)

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街は眠っている

街は眠っている。私は尿意と共にうっすらと目が覚める。携帯電話で時間を確認する。尿意を我慢する。徐々に覚醒し、トイレを済まし、携帯電話でゲームをする。ストーブを点け、黄土色のダウンジャケットを羽織り、外に出る。

街は眠っている。どの家の灯りも消えている。黄緑色のスコップと赤色のダンプを使い、除雪する。雨が降り、雨が降った後に雪が降って、雪が重い。綺麗に除雪できず、除雪した後なのに、駐車場は、でこぼこしている。隣の住人は除雪をしない。まるで除雪しないということを信念としているように。逆の隣の会社の雪山は私の駐車場のスペースを徐々に占拠している。

アパートに入ると、ストーブの前で猫が目を開けている。おはよう、と声をかける。歯を磨き、アイスコーヒーをコップに入れて、チーズ蒸しパンの袋を開ける。ジョン・マクレガー『奇跡も語る者がいなければ』を開く。詩のようで、音楽のような小説。

耳をすませば聞こえてくる。

ジョン・マクレガー『奇跡も語る者がいなければ』は、そう始まる。私は、再び、黄土色のダウンジャケットを羽織り、外に出る。

街はまだ眠っている。耳をすますと、除雪車が動いている音が聞こえてくる。街が起きる前に、除雪車は、道路を綺麗にしてくれる。

奇跡も語る者がいなければ (新潮クレスト・ブックス)

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