どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

ターニングポイント

同年代が、三ツ星レストランを経営しているというのをテレビで知ったためか、自分は何も成し遂げていない、何者にもなっていない、まだまだこれでは足りないという気持ちが湧いてくる。

 

というわけではないが、眠れない。昼寝をしたためか。隣では猫が気持ちよさそうに眠っている。

 

この前テレビで見て考えたことが頭の中で浮かぶ。ターミングポイントという言葉が浮かぶ。

 

ターニングポイントは、いつも、苦しい日々の後にやってきた。

 

何度か繰り返すと、苦しい日々の渦中でも、このあとターニングポイントがやってくる、と言い聞かせることができる。だから、なんとか、苦しい日々もやり過ごせる。

 

ターニングポイントを振り返ると、そこには人との出会いがあった。私は、人見知りで、初対面の人が苦手なんだけど、その時、会いたいと思う人に、メールをして、会えることになり会うことができた。

 

この経験は、後々も、活きることになる。だめで、もともと、会いたい人に会いたいと伝えよう、と。20代後半のこと。あれから、そんな機会はないけれど、今の自分があるのは、あの20代後半の経験があるからだと思っている。

 

そういえば、この前、大学生と話しをする機会があって、なんで教師になるのを諦めたんですか?と質問をされた。かっこつけることもないので、北海道で初めて甲子園で優勝した監督になりたかったんだけど、社会人3年目くらいの時に、駒大苫小牧が全国制覇をして、それで、教師は、もういいやってなった、と答えた。もしかしたら、その頃には、教師になることに興味を持っていなかったのかもしれないけれど。

 

今は、その時の決断というか、そこまで決断したというわけではないけれど、なんら、後悔はしていない。教師にならなくて良かったとさえ思っている。教育実習の時に出会った生徒たちと約束したことを果たせないのは、後ろめたいけど。

 

人の出会いや出会った出来事がその後の人生を決めてきたような気がする。20代の頃、全然、将来を想像できていなかったけど、というか、今も想像できていないけど、それは、これから出会う人や出来事が想像できないからで、それで良いのではないかと思ってる。

 

何かを成し遂げた人というのは、想像しているのだろうか。なりたい自分みたいなものをはっきりもって、そこを目指すための努力を惜しまないのだろうか。