どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

もう一度猫と暮らしたい

 週末は勤務調整ありがとうございました。と、部下が言った。犬が体調が悪いと言うだけで仕事を休むのは気が引けて、と言うことだった。家族に、かわりはないからね、と私は伝えた。

 私も新潟に住んでいた頃、北海道の実家で飼っていた猫が危篤になり、職場には、親戚が危篤なので休みをください、と嘘を言ったことがある。猫を飼っている人にしか、この気持ちはわからないよ、と、当時は思っていた。

 私のiPadには、数年前まで一緒に暮らしていた猫の写真がランダムに表示される機能みたいなのがあり、タイトルは、ペットのお友達と表示される。最初、猫の友達ということで、妻が表示されているのかと思っていたが、どうも、ペットのお友達というのは、猫のことを言っているようだった。写真は、猫以外もあるはずで、猫以外の方が多いはずなのに、ほぼ毎日のように、猫が表示される。

 InstagramYouTubeでも、猫の動画をバカだなと微笑みながら、ついつい見てしまう。猫が登場する小説やエッセイ、絵本もよく購入する。良いタイトルだなあ、と手に取ったのが、見汐麻衣『もう一度猫と暮らしたい』だった。

 どこかで、想像しているような猫についてのエッセイではありません、と読んだ記憶があるとおり、猫って登場したっけというほど、猫は登場しない。まだ、読んでいる途中だから、これから猫が登場してくるのだろうか。

 『もう一度猫と暮らしたい』に、さみしさは常に情緒が伴うものだ、という一節があり、何か良いな、と引っかかり、情緒ってわかっているようで説明ができない言葉だなあ、とネットで調べた。

 事に触れて起こるさまざまな微妙な感情。またその感情を起こさせる特殊な雰囲気と書いてあった。このエッセイも、そんな感じなのかもしれない。このエッセイの良さを、うまく言語化できないのは、微妙な感情が入り混じっているからなのかもしれない。

 私が好きなエッセイは、『昼に』というタイトルのもので、インターフォン越しにセールスマンとやりとりする内容で、なんでもないようなやりとりなのだけど、よくぞ、切り取ってくれた場面だな、とも思う。

 私は本を閉じ、仕事から帰ってくる妻の分の焼きそばも作り、一人、焼きそばを食べた。水を入れすぎたようで、麺がやわすぎて、おいしくない。焼きそばも、おいしく作れないのか、と、悲しい気持ちになりながら食べた。