どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

たわいもない時間

 新千歳空港にある喫茶店でアイスコーヒーを飲みながら、iPadの電源を入れ、フリーWi-Fiに接続した。ここ数日、書きたいことがいくつかあって、なのに、自宅に着き、シャワーを浴びて、夕飯を食べ、妻とお互いの話したいことを話したり、聞いていたりしていたら、眠くなってしまい、書きかけの文章は、保存したまま、気づけば、数日間が過ぎていた。

 新千歳空港に向かうまでの間も、先日、会った大学の友人であるヒロと会ったことが、頭の中に何度となく浮かんだ。

 名前は平山なのに、あだ名が「ヒロ」。ヒロは、初めて会ってまもなく、「ヒラ」だと、平社員みたいだから、「ヒロ」と呼んでくれ、と自分から申し出て、ヒロになった。妻なんかに、そのエピソードを話しながら、平山なのにヒロって、と、私は、話しながら一人で笑ってしまう。

 そのヒロとすすきので再会し、近況や、大学の思い出話をいつものようにした。20年も前のことになると、記憶が朧げになってくる。ヒロは、PHSを持ってすぐに、私からPメールが届いた話を始めた。Pメールは、数十文字という文字数制限があり、そのPメールに、私は、文字数ギリギリまで、うんこうんこうんこと、ただうんこと送ったらしい。送られてきた時、ちょうどうんこをしていたんだ、とヒロは話したが、ヒロの作り話の可能性はある。

 大学2年生の春、サークルに新入生を勧誘するというのが、私にとっては嫌で、嫌で仕方なく、滅多に食欲がなくなることはないのだが、食欲がなくなるほど苦痛で、ヒロに、俺、初対面の人に話しかけるのが嫌で嫌で仕方ない、ということを勇気を出して言ってみたところ、ヒロは、俺もだよ、と一言、言った。その言葉が、私にとって救いの言葉となり、それから、私は、ヒロとよく遊ぶようになった。妻にその話をすると、10回以上聞いたと言われた。

 そのヒロは、大学を卒業して何年経ったかは忘れたが、ある年末に、大学時代からつきあっていた彼女にふられた。電話越しに私は、今から迎えに行くわ、と新潟から福島に迎えに行った。たまたま、真之介というもう一人の大学の友人が、私の自宅に遊びに来ていたこともあり、せっかくなら、一緒に遊ぼうよくらいのノリで、雪道の高速道路を走った。ヒロは、その時の話を何度となくする。今回も。それこそ10回以上。迎えに来てくれなかったら、もしかしたら死んでいたかもしれないと、ヒロを言っていた。ふられたヒロに、これと言って、何か言葉をかけた記憶はない。この年になって思うのだが、言葉よりも、ただ、ただ、そこにいて、たわいもない、いつもの時間が、誰かを救うこともあると今ならわかる。

 何の話からなのか、私の記憶では初めて、ヒロは、私を褒めた。お前の生き方は筋が通っているよ、と。えっ、どういうところで、そんなことを感じるの?と訊き、ずっと迷いながら生きてるよ、と続けた。一貫性があるというか、自分のルールがある。だから、話しやすい。私は、目を合わせるのが恥ずかしくて、まあ、20代の頃は、今より、寛容ではなかった気はするよ、と言った。

 ふと、ブログを書いている手を止めて、時計を見ると、出発時刻30分前になっていて、ダッシュしたが、搭乗手続きは終わっていて、スタッフに確認するも、虚しく、無情に、飛行機に乗り遅れた。私は、項垂れながら、この文字を書き終える。