どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

ぼくは鬱だった

 ただ、聞いて欲しい、ただ、共感して欲しいという類の話というものが存在し、その話を聞いている者は、頭の中に反論のような一般論が浮かんだとしても、それは決して、言葉にしてはいけない。できれば、相手がスッキリするくらい共感する、いや、わざとらしくなるなら、せめて、頷く。「でも」から始まる反論のような一般論は、この場合、必要ない。その人自身が、向き合える心の状態を作ることが先決で、反論のような一般論は、その人をさらに頑なにしてしまうのではないか。そこを意識しないと、ついつい反論のような一般論を言ってしまう。私の話したいことなんて、この場合はどうでも良いのに。私がスッキリするところではないのに。今年の私のテーマは、鼓舞するだから。

 毎年、テーマなんて決めてないのだが、今年は鼓舞するだな、と思ったのが、今年度が始まって間もなくのことだった。たまたまYouTubeで、お笑いのティモンディの動画を見たのがきっかけだった。

 何年前だったか、たまたま私のYouTubeのホーム画面に、プロ野球の始球式で、ティモンディ高岸が、マウンドに立ち、何度も何度も涙を拭う動画が掲載されていて少しばかり見た。始球式でこんなに喜ぶんだと思った。しばらくの時間が流れ、今年度が始まってまもなく、YouTubeで、しくじり先生を見ていたら、ティモンディの回があって、あ、あの時の始球式の人だと思って、そのしくじり先生を見た。ティモンディ高岸は、プロ野球選手を目指し、大学に進学したところで故障し、プロ野球選手を断念したこと。東日本大震災サンドイッチマンの復興支援を見て、自分も、鼓舞する人になりたいと芸人を目指したこと。芸人になるためには相方が必要だとなり、同じ野球部だった前田を誘ったこと。前田は、大学院まで行っていたにも関わらず、高岸の誘いを受けたこと。前田が、いつか、高岸を始球式ができるくらいティモンディを有名にしたいと思っていたこと。だから、あの始球式であんなに涙を拭っていたのか、と何年かが経ち繋がり、私は、ティモンディが好きになった。好きなお笑い芸人は?と聞かれたら、ティモンディと答えよう。

 今日は、坂口恭平『躁鬱大学』と與那覇潤『知性は死なない 平成の鬱をこえて』を読んでいた。2冊の共通点は、鬱で、坂口恭平も、輿那覇潤も鬱経験者。鬱についてもっと知りたくなって、自宅に読まずに置いてあった2冊を行ったり来たりしながら読んでいた。『躁鬱大学』を読みながら、社会人1年目のことを思い出した。坂口恭平は、いのっちの電話という活動をしている。自分の携帯電話を公開し、死にたくなったら、電話をくださいと発信している。そのいのっちの電話に電話をかけてきた人すべてに共通することは、人は、人からどう見られているかだけを悩んでいるということらしい。社会人1年目の私だ、と思った。私は、こんなに人の目を気にしているんだとも思った。しばらく経ってから振り返ると、人の目を気にしするのが、調子が悪くなった原因だったと思っている。坂口恭平は、それは本能で、排泄するのと同じだから、人の目を気にするなと言っても仕方ない。排泄と同じであるならば、トイレが増えれば良い。いのっちの電話で吐き出せば良いということらしく、なるほどな、と思った。いのっちの電話に電話するまでもないけど、定期的に吐き出すためには、どうすれば良いのか。私の場合だと、母や恋人や友人に話していたが、その鬱々とした日々が続き、後ろ向きな言葉かり話しているのも嫌になって、話するのもやめるようになった。どのように吐き出すのが良いのだろう。やはり、聞いてくれる誰かが必要な気もする。

 輿那覇潤『知性は死なない 平成の鬱をこえて』に、鬱になると能力低下が起こると書いてあって、ああ、ここも当てはまっていたと思った。具体的には、頭がぼんやりして、話しかけられても要領を得ない返事しかできず、複雑なことは考えられない状態。それが恒常的に続く。仕事を終え、自宅に帰ってきてからも、常に頭が疲れているのに、考えごとをやめないみたいな感じだった。

 自分が経験したことがなく、身体が鉛のように重いとは、どういったことか理解するのが難しかったが、『知性は死なない』を読み理解できた。

 本人の主観では自分の身体が鉛になったかのように重くなり、自分の意思ではどうしても動かせない。動かないから仕事はおろか、食事にも洗顔・入浴にも行きたくない、という状態がうつ病における「からだの重さ」です。「そんなのは身体を鍛えていないからだ」「そうはいってもトイレには行くじゃないか」と言う人には、私が病棟で同室だったラグビー部の男子大学生の「うつ状態が激しいときに、尿瓶を買おうか本気で悩みました」ということばを紹介しておきたいと思います。輿那覇潤『知性は死なない 平成の鬱をこえて』p62