どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

最高です

 ホテルのベッド上で伊野尾書店で買ったNumberを開いた。WBC特集。WBC第一回大会が開催されたのが2006年。野球の国際大会が開催されると知った時は、それは、それは嬉しかった。小学生の頃、もし、野球の国際大会が開催されるとしたら、と、一人、夢想しながら、ノートに綴った。考えるだけで楽しかった。

 それが現実のものとなった2006年、私は、社会人になっていた。仕事どころではなかった。しかも、記念すべき第一回大会で、世界一に輝く。私は、自宅のアパートで一人、ビールかけをおこなった。今大会出場している大谷や吉田正尚は、小学生や中学生で、WBCを観て、自分たちも、日本代表に憧れたと、Numberに書かれていた。一野球ファンとしても嬉しい言葉で、今、WBCを観ている小学生や中学生にも確実に受け継がれていくだろう。

 準々決勝の試合開始は19時だったけど、Numberを鞄に入れ、3時間前に東京ドームに着いた。東京ドームは人で溢れかえっていた。球場に入り、カレーと焼きそばを買って、三塁側外野席にほど近い内野席に座り、イタリア代表のバッティング練習を観ながら、Numberの続きを読み、試合開始を待った。

 大谷がグランドに登場する。球場がどよめく。センターまでゆっくりと歩いた大谷は、歓声の中、ウォーミングアップをする。ここまで注目される中で、プレーをするのは、どんな気持ちなのだろう。私は、高校球児だった頃を思い出していた。バッターボックスに立つと、足が震えた。

 試合前のセレモニーが始まる頃には、私の周りの席も埋まった。国歌斉唱を致しますので、観客の皆様は、ご脱帽の上、ご起立ください、というアナウンスが流れる頃に、お腹が痛くなった。隣にいる人に、すみません、出ます、と言いづらくて、お腹が痛いのを我慢した。試合序盤も、何度となく、トイレに行きたい波が押し寄せるが、トイレに行くタイミングが見当たらない。もう、無理だ、大丈夫を繰り返した3回裏。近藤健介が四球で出塁すると、3番大谷が、セフティーバント。えっ、と声が出たかは定かではないが、一瞬、球場が静寂に包まれた。観客の私が、そうであるなら、プレーしているイタリア選手も意表をつかれただろう。一塁に悪送球。大谷という一選手が試合を支配しているようだった。ここから試合が動き出す。続く、4番吉田正尚の内野ゴロの間に1点先制し、6番岡本が打った打球は、ゆっくりとした放物線を描く。私は、その放物線につられて立ち上がり、レフトスタンドにボールが飛び込んだか飛ぶこまないかで、両手を突き上げ、雄叫びを上げた。ワンストライクごとに拍手をし、点数が入るたびに立ち上がり、拍手を送る。いつしか、私のお腹の痛さはおさまっていた。岡本はヒーローインタビューで最高です、と繰り返した。