1998年8月19日、私は甲子園球場の観客席にいた。
記憶というものは曖昧で、準々決勝を観たつもりだったけど、よくよく調べると3回戦だった。3回戦の4試合。(智弁和歌山6-7豊田大谷、横浜5-0星稜、PL学園5-1佐賀学園、帝京2-3浜田)。
この年代は、のちに松坂世代と呼ばれる。私は、未だに、この大会ほどおもしろかった大会はないと思っている。
号外は、横浜×PL学園の一戦が、延長に入ったというもの。観たいと何度となく思いながら、私は泣く泣く空の上。
そう。私の甲子園ベストゲームは、第80回大会の準々決勝の横浜×PL学園である。
試合を観ていないのにだ。
のちにドキュメント番組などで観ることになるが、あんな凄まじい試合を未だかつて観たことがない。延長17回の死闘。
あの当時の横浜および松坂のすごいところは、延長17回を戦った翌日の21日、準決勝の明徳義塾戦。0-6で負けていたにもかかわらず、8回、9回で逆転をし、22日、決勝の京都成章戦でノーヒットノーランをしてしまうという、これマンガ?と言っても過言ではない。
先日も、NHKBSで、「あの日からの贈り物〜横浜×PL学園「延長17回」から20年という番組していた。もう20年も経ったのか。
20年前も横浜×PL学園延長17回のドキュメンタリーをやっていて、それを観た私は、取り憑かれたように、当時、つきあっていた彼女に、えいえんと野球の話をし、話している途中でビンタをされた。我にかえって時計を見ると、2時間ぶっとおしで話をしていた。