どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

自分が知らないだけ

一度、発熱して、治ったと思ったら、発熱し、つい先日も、この喉の痛みは、発熱するやつだな、と思って、病院に行った。扁桃腺は繰り返すと言うが、ここまで繰り返すのか、発熱と隣り合わせじゃないか。こんな世の中にと思った。以前、扁桃腺をとれば良いよ、と言われたが、人間の体には不要なものはついていないと思うし、ましてや、痛そうだから、扁桃腺を取ろうとは思わない。それにしても、ここ数年で、一番、体調を崩している。

 

そういえば、病院にいった時に、ちょうど新型コロナウィルスのワクチン摂取の日だったようで、高齢者が列を作っていた。これまたワクチン摂取ではなく、ただの通院で来ていた高齢者のひとりが、列に並んでいる高齢者に向かって、予約とれたの?ネット?と訊いていた。どうも、電話で予約しようと思ったがつながらず、5月のワクチン摂取はできなくて、いつのことになるのやら、とぼやいていた。

 

私は、ふと、自分の両親も、ワクチン摂取の予約が取れないと、せつない思いをしているのではないか、と思った。迷惑をかけたくないと思っているのか、私に頼りたくないのかはわからないが、一切、私に助けを求めてこない。電話をしてみようか。

 

ここのところ沢木耕太郎『人の砂漠』を読んでいた。もう少しで読み終わりそうだ。

 

本の裏表紙には、一体のミイラと英語まじりの奇妙なノートを残して、ひとりの老女が餓死した。老女の隠された過去を追って、人の生き方を見つめた「おばあさんが死んだ」、元売春婦たちの養護施設に取材した「棄てられた女たちのユートピア」をはじめ、ルポタージュ全8編。陽の当たらない場所で人知れず生きる人々や人生の敗残者たちを、ニュージャーナリズムの若き担い手が暖かく描き出す、と書かれていて、それを読みながら、敗残者という言葉は、どこか少し、違うような気がするな、と思った。

 

うん。負けて生き残った者というのは違う。そもそも何に負けた?それぞれの事情があるから一概には言えないが、運悪くだったり、仕方なくだったり、そうならざるを得なかったりした人たちを負けて生き残った者というのは、違うと思う。

 

敗残者はさておき、自分が知らないだけで、いろいろな事情を抱えながら、生きている人たちがいる。そのことを知ると、ニュースで流れる痛ましい事件のいくつかは、ただ、単純に、悪だ、と弾劾できるものではなく、自分にできることは何か、何が必要だったかを考える。そう考えると、見えかたが変わる。

 

沢木耕太郎の光のあてかたがすばらしいと思う。

 

人の砂漠 (新潮文庫)

人の砂漠 (新潮文庫)