どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

美しく枯れる

 下北沢の朝、コンビニに向かうのに環七道路沿いを歩いた。東京は、こんなに朝早いのに交通量が多いんだな、と思った。コンビニで買い物をして、ホテルに戻り、朝早くから開いている喫茶店を探したり、上林暁傑作小説集『星を撒いた街』を読んだ。

 世田谷代田駅近くの喫茶店で、ホットドッグとアイスコーヒーを飲みながら『星を撒いた街』の続きを読んだ。昔、ピクルスが嫌いだったのに、ピクルスが入っていると美味しいな、と思いながら、ホットドッグを食べた。犬を連れた外国人が店内に入ってきた。

 小田急線に乗って、新宿駅大江戸線に乗り換え、中井駅で降りた。伊野尾書店にトランクケースを引きずり、店の前にいた店主の伊野尾さんに、挨拶をして、入口にトランクケースを置かせていただき、店内の本を眺めた。

 伊野尾さんから、野球で東京に来たんですか?と訊かれた。東京に来る前に、千葉県に住む友人からも、今回の東京は野球ですか?と訊かれたので、私は野球で東京に来るイメージがあるのかな、と思った。一年に一度は東京を訪れたいと思っているが、確かに、野球だったり、イベントがあると、訪れるきっかけになるし、東京に来るのは、大抵、野球絡みだった。

 好きな本屋さんは、いくつかあれど、こうして店主と会話を交わせるのは、ありがたいことで、会話を交わすと、買う本も増えるる。伊野尾さんは恐縮した感じのことを言っていたけれど、一年に一度しか来れないので、と私は返し、買った本をトランクケースに詰め込んで、伊野尾書店を後にした。

 落合駅まで、トランクケースを引きずり、柏駅に向かった。

 『星を撒いた街』の続きを読んだ。妻の名前が違って、あれ?再婚しているのかな、と思い、ネットで上林暁のことを調べた。

 妻は、精神科に入院していたことを知り、上林暁は、自身と妻をモデルにした私小説を書き続けたことを知った。私がエッセイだと思って読んでいるのは、私小説だった。妻が、病気になったのが、1939年で、昭和だと何年だろうと調べると、昭和14年のことで、当時の精神障害に対する社会は、どのようなものだったのだろうか、と想像した。

 柏駅を訪れるのは初めてのことで、柏駅周辺も東京みたいに大きな街だった。柏レイソルを応援しているのがわかるのぼりだったりが、そこかしこで目にし、車のナンバーは柏で、柏ってナンバーを見たのは初めてかもしれない、と思った。昼食はラーメンで、それほどおいしくなかった。

 伊野尾書店で買った玉袋筋太郎『美しく枯れる。』を読んだ。50代の人生論。読みながら、少し前、40代は、ゴールデンタイムみたいなことを60代の人に言われたことがあるのを思い出した。50代は大変なんだろうか。

 『美しく枯れる』に、『猪木詩集「馬鹿になれ」』の詩が載っていて、読ませたいアルバイトの顔を思い浮かべた。

 

かいてかいて恥かいて

裸になったら

見えてくる

本当の自分が

見えてくる

 

 強さ一辺倒より、弱いとか、情けないとかに、最近はかっこよさを感じる。

 

 世の中のものごとや出来事がすべて、「まったく無駄のない効率的なもの」ばかりとなったら、それはそれで息苦しくじゃない?というか、そもそも「完全に無駄なのないもの」「100パーセント効率的なもの」なんて、この世に存在するはずがない。中略。無駄に見えるようなことにも、意外なお宝が埋まっていることはよくあるし、たとえそれが失敗だとしても、それによって引き出しも増えるし、深みも増す。

玉袋筋太郎『美しく枯れる。』p92

 

 余白。無駄。遊び。一見、無駄なもの、一見、なくても良いもの、一見、どうでも良いことが、実は、大切なことが潜んでいるんじゃないのかって、ここのところ、ずっと考えているけれど、誰かが言った言葉をそのまま受け入れているだけなのか、うまく言葉にできない。

 夜は、以前、一緒に働いていた後輩2人と焼鳥屋で会った。ホテルも近いことから、久しぶりに梅酒を飲んだ。1杯だけで、あっという間に酔った。

 その後輩の1人とは一緒に働いている時も、時々、食事をしていた仲で、よく仕事の話だったり、漫画の話を何時間も何時間も話をした。気を使わなくて良いからなのか、馬が合うのか。今、近くにそんな仲の人はいなかったから、久しぶりに話して、やっぱり、この後輩と話をするのはおもしろいなあ、手加減なく、意見を言い合えるもんな、と思った。思ったけど、その後輩には後輩の生活があり、これからも北海道に戻ってくる感じはないので、北海道に帰ってきてからも、思い出し、寂しさが何度となく去来した。