どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

男に二言はない

 第42回ニセコラソンフェスティバルに参加する前日、仮に最下位になったとしても完走することが目標という私の言葉を聞いて、目標低っ!と妻が笑った。

 最近、マラソンに参加すると至る所で話をしていて気づいたのだが、皆さん、42.195キロを想起されるらしく、3キロだけどね、と私が続けると、何だ、という感じになっている、その空気も楽しんでいる。

 マラソンを走るきっかけをくれた友達からも、いよいよ明日ニセコラソンだね、体調は万全ですか?私はトレーニング不足でやや不安ですが楽しんで走ろうと思います、とLINEが来た。この1ヶ月練習をした。3キロをなめてた、と返し、私が参加することで、(友達が)仲間募集の意味をなしていたかを問い続けながら練習した、と続けると、迷惑じゃなかったら意味を成していると思うけど。参加してみて感想を聞かせてください、と返ってきて、それなら良かった、と返した。

 昨年、友達からLINEが来て、マラソンをする仲間を募集してるけど、一緒に走ってくれる人がいない、という話を聞いて、私が近くにいたら一緒に走るけどね、と返すと、それなら、一緒に走ろうよ、という話になり参加することになった第42回ニセコラソンフェスティバル。

 

 私は、スタートラインに立ち、スタートまで4分です、というアナウンスを聞きながら、この緊張感良いかも、と思った。出場者は、1000人を超える。こんなにもマラソンを楽しんでいる人がいることに驚く。

 ゆっくりと走り出し、思いのほか走れるかもしれない、と、ずんずん前に進み、早々に歩いているランナーもいて、もはや目標は、完走ではなく、3キロを走り切ることに切りかえて、走る。走る。走る。沿道では見学者が、頑張れー、と声をかけてくれ、声をかけられることがこんなに嬉しいことなんだ、と思いながら、私は、走る。そろそろ折り返しかと思いながら走っていると、1キロメートル地点という標識があり、えっ、まだ1キロ、この感じを3倍?と思いながら、走っていると、後ろのランナーから、1キロってわかると、心が折れる、というようなことを呟いていて、わかる、と思った。2キロメートルの標識がある場所に、おばあさんが座っていて、あと半分だよ、とランナーに声をかける。いや、あと3分の1だと、私は、苦しい表情を浮かべ、角を曲がる。ここまで歩くことなく、走り抜けてはきたが、最後の1キロが坂で、私の足は止まった。もう歩きたいと思った瞬間に歩いた。ゴール地点が見えてきたところで、再び、走る。ゴール前で、妻が携帯電話のカメラを私に向け、私は、手を振る。また歩きたくなったが、走る。そしてゴール。

 妻は、私の姿を見て、私も来年、走ると言っていた。10キロを走ると言っている。3キロは短すぎる、と。10キロは、この3倍か、と思うと、とてもじゃないけど、無理だ、と思った。

 私がゴールしてまもなく、10キロのランナーがスタートラインに着き、私は友達を探した。友達と会うのは何年ぶりだろう。ランナーの体型だった。痩せすぎだな、と声をかけた。

 友達は6位入賞した。私は66位だったので、今日のラッキーナンバーは6だね、と言った。帰りに、友達から、なんか付き合わせてしまったみたいでごめんね、とLINEが来たので、やりたくなかったから、やらない、そこははっきりしている、と返した。来年は10キロ走る、と続けたら、それなら今から準備しなきゃだよ〜と返ってきたので、今から準備は無理だわ、と返した。

 体が痛い。痛すぎる。