どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

さいはて

 伊野尾書店をあとにした私は、中井駅から大江戸線に乗り、本屋・生活綴方に向かった。

 伊野尾書店で購入した金原みわ『さいはて紀行』を開く。シカク出版という、これまで手にしたことがない出版社であること、都築響一さんのメールマガジン『ROADSIDERs weekly』で連載されていることから購入した。帯には、こう書かれている。日本最高齢ストリッパー、刑務所美容室、タイのセックスショー、キリスト看板総本部・・・遠いようで日常のすぐそばにある「さいはて」を巡る旅の記憶。

 その中でも、印象深かったのが、「食のさいはて」。ゴキブリを食べるエピソードを読んでいて、子どもの頃に、祭りで買ってもらった、たこ焼きのことを思い出した。

 家族で地元の祭りに行き、初めてたこ焼きを買ってもらった。そもそも地元に、たこ焼き屋がなく、たこ焼きを食べること自体が珍しい我が家にとっては、たこ焼きを食べれるということだけで、テンションがあがった。

 自宅に着いて、待ちきれないとばかりに、たこ焼きを家族が囲む。黒く焦げているのが、たこ焼きが目に止まった。爪楊枝でつっつくと、たこ焼きの感触ではない。思いのほか固い。おかしいなと、たこ焼きを分解していると、中から焦げた黄金虫が出てきた。私たち家族は、悲鳴をあげ、焦げた黄金虫から離れたたこ焼きを食べようかと思案したが、泣く泣く、たこ焼きの全てを捨てることにした。それ以来、我が家では、祭りで、たこ焼きを買うことは無くなった。買おうという話すらならない。幸い、たこ焼き自体にトラウマはなく、たこ焼きは好きで、時々、食べたくなり、たこ焼き自体は食べている。

 「食のさいはて」にはゴキブリを食したエピソードともう一つ、犬を食べたというエピソードがある。朝鮮半島で犬を食べる文化があるということは知っていた。金原みわさんは、実家で犬を飼っていた。私は、犬は飼ったことはないが、猫は、飼っていた。金原みわさんにとっての犬を食べるということは、私にとっての猫を食べると同等であるとしたら、私には、とても猫を食べることはできない。想像すらしたくないレベル。金原みわさんは、泣く泣く犬を食べた。なぜ、そこまでするのか。

 私たちが食べるのは、犬でも牛でも豚でも鳥でも全て同じ命である。牛や豚なら食べてもよくて、犬やネコは駄目なのか、アジやマグロは食べてもよくて、イルカやクジラは駄目なのか。そんなことはなくて、今までも自然の摂理として、生物は生きていくために他の生物を食べてきた。命は平等に与えられるが、生存のために命は不平等になる、それは仕方のないことだ。ただ、その命はどれも軽いものではない。食卓に並ぶ肉片のひとつひとつを辿っていくと、それはただの食材ではなくて、胸焼けを起こすほどの重たい命なのである。金原みわ『さいはて紀行』p125

 本当に、その通りである。