どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

悲しむのは悲しみがやってきたときでいい

 仕事の帰り、昨年まで一緒に働いていた後輩に電話をした。北海道から、千葉だったかに引っ越しをして半年くらいが経つので、仕事どう?と訊いた。順調です、声も順調そうで、良かったと思った。時間が経てば、その元後輩の良さは周りの人もわかってくれるとは思っていたけれど、案外、私よりも新しい環境に慣れるのが早いのかもしれないな、と思った。WBCの時に東京に来たんですよね?もう東京には来ないんですか?と訊くので、予定がないとなかなか行かないよね、実家に帰ってこないの?ただ、北海道だと、他に会いたい人もいるだろうから、会えても数時間か?と私が話すと、僕、そんなに友達いないんで。260件あった電話帳を断捨離したら、13件になりました。笑。それは、思い切りすぎだろ、と思った。友達あんまりいないんですと言う人にたまあに会うが、なんだか好感を持てる。なぜだろう。SNSとかに、たくさんのフォロワーがいたりするのを見ると、羨ましいという気持ちの裏返しなのか。私も友達があまりいないからだろうか。

 例年になく、桜の開花が早く、北海道は、今が満開だ。ただ、寒い。ストーブを時々、つけるほど、寒い。阿久津隆『読書の日記』を開く。正しく生きること、自分なりに正しく生きることという言葉が良いな、と思った。自分なりに正しく生きるというのは、どういうことだろうか。自分に素直に生きるということだろうか、それとも自分なりに、必死に生きているということだろうか。読書の日記で紹介されていた濱口竜介の映画を見れば、その意味もわかるのだろうか。

 昼は、スパカツを食べたくなり、Googleマップに、スパカツだったり、カツスパと入力して調べた。そういえば、たまあに通る道沿いにあった店にスパカツの店があったと思って、その店に行った。店内は、喫煙ができる店で、私の席の隣に吸い殻を入れるバケツが置いてあり、なんか、嫌だな、と思った。スパカツが出てきるまでの間も『読書の日記』を開いた。

 悲しむのは悲しみがやってきたときでいい、悲しむモードに自分を浸しておく必要はない、悲しくなったら素直に悲しもう、悲しみがもし、この週末にやってこなくても構わない、悲しい顔をして過ごすことだけはやめよう、そういう気分がなんだか強くあった。真面目であろうと思った。ここで今、僕が神妙な顔をしてみせたとしたら、それこそ不真面目だった。僕はおばあちゃんを好きだった、先々週、最後に会えて良かった、それでもう完全に十分で、そのままでいよう、と思っていた。阿久津隆『読書の日記』p285

 阿久津さんの祖母が亡くなり、葬儀の記述を読みながら、自分の祖母が亡くなった時のことや、友人が亡くなった時のことを思い出していた。

 昨年、友人が亡くなった。友人と言っても、年上だから友人という表現は正しくないような気もするけれど、何と呼べば良いかわからないので、友人と書く。その日は、妻の誕生日祝いで旅館に泊まりに行くという日で、出発前に、たまたま、facebookを開き、えっ、と言葉を失った。友人の妻が、代わりに投稿し、友人が亡くなったと知った。私は、その友人の妻とは会ったことがないし、共通の知り合いは、一人しかいない。よって、その友人がfacebookやブログの更新が途絶えても、当然、何があったかまではわからない。だからというか、facebookをやめようかな、と今も時々、思うけど、やってて良かったと、その時は思った。妻との旅行は旅行で、楽しんだ。旅行中も、ふと、友人のことを思い出して、なんか信じられないと思った。友人の妻の投稿に、コメントが更新されていった。私のように、救われたと思った人って、こんなにたくさんいるんだ、と思った。私も、何か書こうと思って、友人のことを思い出していた。思い出したのが、友人が、結婚について語っている場面で、友人と初めて、東京で会った時のことだった。友人が、大学を卒業し、仕事を転々としたこと。結婚してすぐに仕事をやめたこと。仕事を辞めたことを妻にお好み焼き屋で報告したこと。印象深い話だったから、ブログに書いたような気がして、過去の記事を読んでいったけど、なぜか見つからなかった。友人は、結婚は良いもんだよ、と言った。バンドやっている周りの友人(友人も音楽をやっていた時期がある)は、家族を大切にしないのが、かっこいいみたいな勘違いをしている奴も結構いたけど、俺は、かっこいいとは思わない。結婚は人生の墓場という言葉もあるけれど、俺は、全否定する。というような内容で、こんな大人がいるんだ、と私は思った。こうして思い出したのは、友人が、自分の妻に伝えてほしいからなのかもしれないな、と何となく思ってというか、それを読んだら、奥さんは余計、悲しむだろうかとかも考えたけれど、コメントに、奥さんと出会って、自分は救われた、奥さんのことを天使だと言っていたということを書いた。自分のブログにも、何か書こうかとも思ったけれど、どう言葉にして良いかわからずに、書けないままでいた。今は、地に足がついていない、神妙な言葉を残さなくて良かったと思っている。いや、ぐちゃぐちゃの、後で読んで恥ずかしくなるような言葉を残すのは、それはそれで、真面目かもしれない。