どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

当たり前の価値観

 キャンプ場の夜は長い。本を読めるだけの明るさかが、ランタンを選ぶ基準だった。

 キャンプ場で、滝口悠生『長い一日』の続きを読んだ。

 妻が自分のことを小説に書いたのが許せないと怒り、講談社へ抗議に行くという場面がある。読者の私からすると、そんな怒るような書き方ではないけどなあと思うけれど、書かれること自体が嫌な人もいれば、それ、私じゃないし、と自分が思っている自分とのズレに腹が立つこともあるのだろう。フィクションだけど、近しい人が読めば、フィクションに感じないということもあるのだろうし、難しいところだ。

 これまで読んだ本の中には、よくここまで赤裸々に、私生活を書くなあという著者もいて、近しい人を傷つけてまで書くことなのだろうか、と考えたりする。私は、人を傷つけてまで何かを書きたいとは思わない。結局、それだと、誰かに何かを伝える言葉を綴ることは難しいのだろうか。

 

ネガティブなことをわざわざ書き立てたり、他人に話さないだけで、他人にはわからないことなのだ。滝口悠生『長い一日』p190

 

 キャンプを終えた帰り道に本屋に寄った。心の琴線に触れた本を片っ端から買ったら9,000円を超えた。店員さんは、どちらからいらっしゃったんですか?と私に声をかけた。店員さんがブックカバーをつけてくれている間、少し雑談した。

 

 今日は、その一冊、吉川トリコ『余命一年、男をかう』を読んでいる。この本の最初の方に、主人公の女性が同僚と話す場面があり、そこにで主人公の女性から発せられる言葉と出会うだけで、この本を読む価値があると思う。同じような言葉を、以前に、友達が言っていて、久々に思い出した。当たり前だと思っていた価値観に一石を投じられる感じ。

 本を読んでいたら、Switchインタビューに石川直樹さんが出演することを知り、本を閉じ。テレビを見た。石川直樹さんが対談相手として選んだのは、画家の大竹伸朗さんで、大竹伸朗さんの好きな言葉の一つが、たこ八郎さんが言っていた「迷惑かけてありがとう」で、こいつ、いなきゃ良かったのに、と言われるくらい、これからも作品を作るというようなことを言っていた。大竹伸朗さんは、若い時よりも、今の顔のほうが、カッコよく見えるのは、そういう考え方というのもあるような気がした。あっ、これも当たり前だと思っていた価値観に一石を投じる言葉だと思った。当たり前だと思っていた価値観を逆側から見てみるのも良いかもしれない。