北の凡

いろいろあるけれど、それでいい

ふと

 20代の頃は朝が辛くて、出勤時間ギリギリに出勤していた。朝が辛いというか、仕事が辛かった。

 今は、朝、起きるのが苦ではなく(年齢を重ねた良かったことの一つ)、出勤時間の1時間前には職場に着き、仕事をすることもあれば、車の中で読書をすることもあって、今日はというか、今日も、滝口悠生『長い一日』を読んでいた。

 初めの頃は、滝口さん目線で、滝口さんの妻の目線になり、気づけば、窓目くん目線で物語が語られ、こんな小説の書き方もおもしろい、と思いながら、読みながら、別なことが頭を過ぎって、本を閉じた。

 別なことというのは、本を読む前に見ていたツイッターの一文で、”お互い背負っているものがあるから話がおもしろい”というもので、背負っているものかあ。俺、背負っているものないなあ。お気楽なポジションだもんな。と、思った。

 仕事を終えて、自宅に帰ってきて、テレビをつけると、当然のように東京オリンピックが流れていて、池江璃花子がリレーに登場するところだった。池江璃花子を観るたびに、良かったな、と思う。見入ってしまう。

 水泳を見ながら、ロシアオリンピック委員会って何?と思った。ずっと気にはなっていた。とうとう携帯で調べる。

 組織的なドーピング問題でロシアは2022年12月まで主要国際大会から除外されており、ROCロシアオリンピック委員会)として違反歴や疑惑がない選手のみ、個人資格で五輪出場が認められているとのことで、ああ、そんなことあった気がすると思った。

 オリンピックやニュースを見ながら、滝口悠生『長い一日』の続きを読んだ。

 窓目くんは、一度行った美容室に二度と行かない考えで、それに従うならば、草壁さんが窓目くんの髪の毛を切るのは今日を限りに最初で最後だ。毎日何人ものひとの髪の毛を切って、一年に何百人もの髪の毛を切る草壁さんは、一度しか切らなかったひとの髪の毛を忘れてしまうのか。それとも、名前も顔もなく、ふと一度しか出会わなかった髪の毛のことを思い出すこともあるのだろうか。あるよ、と草壁さんは言った。滝口悠生『長い一日』P149

 ここの場面、具体的には、最後のあるよ、の草壁さんの一言が、キュンとしてしまった。草壁さんに、恋をしてしまいそうになった。

 実際のところどうなんだろう。美容師さんだけではなく、客商売をしている職業は、この一度きりしか会わない出会いというのがあると思うんだけど、ふと思い出すことがあるのだろうか。

 思い出す人もいれば、思い出さない人もいるというのが正しいところか。

 窓目くんにしてもそうだ。一度行った美容室に二度と行かないということは、毎回、毎回、美容師さんが変わるわけで、草壁さんのように印象深い人もいれば、当然、顔すら思い出せない美容師さんもいるのだろう。客側と店員側でまた違うのか。では、その印象とはどのように与えるものだろう。と思った時点で、そもそもそんなことを考える必要もないことだと思った。ここで大切なことは、草壁さんのように、一度きりしか出会っていないにもかかわらず、思い出してくれることがあるというだけで十分ではないか。一度きりとかじゃなくて、友人でもなんでも良いんだけど、自分のことをふとした時に思い出してくれることがあるとしたら、それは、それは嬉しいことだよな、と思ったが、ふと思い出してるよ、と聞く機会はない。