どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

今の自分は、出会った人や読んできた本によって、できあがっている

 あの小冊子は、新聞の付録だったのか、記憶が曖昧で定かではないのだが、1ヶ月に1回程度の頻度で届いていた気がする。オールカラーで内容もさまざまだった気がする。その中には、プロ野球の選手名鑑もあって、私は、母から受け取り、大切にしていた記憶がある。母は、料理の小冊子を保管していて、何年にもわたり保管していたから、かなりの量になっていた。その小冊子を見ながら、私たちの料理を作ってくれていたのだろう。母のことだから、今も、その小冊子は残っているかもしれない。今度、実家に帰省したら聞いてみよう。

 無料の小冊子やクリスマス時期のおもちゃ屋のチラシを目を輝かして読んでいた。読んでいたというより見ていたというほうが正確かもしれない。本を買ってもらう機会は滅多になく、本を読むのは、図書館の本で、気に入った本は、何度も、何度も、図書館で借りていた。その一冊は、学研の『漢字のひみつ』で、漢字がどのようにできあがったかが書かれている本だった。その本を親戚のおばさんの家に泊まりに行ったときに買ってもらった。欲しいものを手にすると枕元に置いて寝ていた時期があるから、漢字のひみつも、枕元に置いて寝ていたのかもしれない。あれほど欲していて、大切にしていた本は、今後、現れないと言い切れる。

 今のように本を読むようになったのは、社会人になってからだ。社会人になりたての頃、仕事が辛くて、週末に本屋に行き、自分を救ってくれる本を探した。主にビジネス書だったり、自己啓発を読んでいた。読んだあとは、何か自分もできる気がして、月曜日を迎えるんだけど、その気持ちはすぐに萎えて、週末にまた本屋に行くことを繰り返していた。

 その頃の習慣からか、いつしか小説も、エッセイも、日記も読むようになって、今に至る。本に私を救う答えはなかったけれど、今の私は、出会った人や、読んできた本によって、できあがっているのと、最近、度々、思う。

 実家に帰ってもよく本を読んでいる私を見た母は、小さい頃、本が好きになるように、よく本の読み聞かせのようなことをしてくれていたということを教えてくれた。それは3歳以下で、私は、その記憶が全くない。自宅の壁にあいうえおの表みたいなのが貼ってあった記憶はある。

 島田潤一郎『長い読書』を読みながら思い出した。『長い読書』には、望月ミネタロウ『ちいさこべえ』のことが書かれていて、自宅の本棚に読まずに置いてあった『ちいさこべえ』を読みたくなった。『ちいさこべえ』の最終巻が刊行されたときのトークイベントの言葉が書かれていて、良いな、と思った。

 

 「見ての通り、僕は生き辛い人間です。人に物事を上手く伝えることができません。けれど、その努力をしようと思ってここにいます。新年度になって新しいことがあるといろいろ壁にぶつかるだろうし、いやなことが多いのが社会ですが、僕の作品が、少しでもそんな皆さんの支えになればと思います」

島田潤一郎『長い読書』p166