北の凡

いろいろあるけれど、それでいい

令和3年2月13日

令和3年2月13日、祖母が亡くなった。享年100歳だった。

 

お通夜の日、住職が、おばさんは、穏やかだったから、長生きできたと思うと言っていた。ちなみに、住職は、祖母のことをおばさん、おばさんと、以前から、言っている。

 

確かに、祖母が怒っているのを見たことがない。祖父に対してだけ怒っていたというか、小言を言っていた。

 

祖父が亡くなって10年。祖父は迎えに来てくれただろうか。

 

家族葬と言っていたけれど、たくさんの人が参列してくれていた。祖母は、11人きょうだいだそうだから、全て、親戚なのだろうか。

 

たぶん、違う。私がそうであるように、祖母にも、家族が知らない人付き合いがあって、もしかしたら、そんな人が参列してくれていたのかもしれなくて、私は、お線香や、お焼香をしている人を眺めながら、祖母とは、どんな思い出があるのだろうかと眺めた。

 

火葬場に向かう途中、祖母が住んでいた自宅を通ったのだけど、近所の人たちが霊柩車に向かって手を合わせてくれていて、あたたかい気持ちと共に、祖母が、どんな近所付き合いをしていたかもわかったような気がした。

 

祖母と最後にあったのは、昨年の11月のこと。新型コロナウィルスの影響で、祖母が生活している特別養護老人ホームには、なかなか行けず、これまでにないほど間隔があいていた。

 

感染防止のため、玄関で2メートルほどあけて数十分、話すというものだった。話すといっても、耳が遠い祖母との会話は、ちぐはぐなものだった。顔を見られただけで良い。

 

ここのところは、会いにいくたびに、自分の家に帰りたいと言っていて、暖かくなったらと思っていたけれど、思っていただけで、私が実行したためしはなく、口だけになってしまったなあ、と申し訳ない気持ちになった。

 

お盆やお正月になると、祖母の家に親戚が集まった。私と同様、いとこも祖母を大切にしていて、新型コロナウィルス の影響で、神奈川県に住んでいるいとこが葬式に参加できないのは、さぞ、無念だろう、と思った。

 

そのいとこのにいちゃんから弔電が届いていて、会場で読まれた。最初は、定型のお悔やみの言葉が、途中から、手紙のような言葉になり、心がこもっていて、私は、泣いた。

 

大切にしてくれてありがとう。ささやかな幸せをありがとう。

 

確かに、祖母に大切にされていた。祖母に送る言葉として、ささやかな幸せというのは、適切な言葉なのだろうか、たくさんの幸せをありがとうのほうが適切ではないか、いや、たくさんの幸せをありがとうは、どこか嘘くさい。確かに、ささやかといえばささやかな幸せだった。その時は、気づかないほどあたりまえのような時間なのだけど、もう、戻ってこない時間となった今、あれを幸せと呼ぶのだろう、と思う。