どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

インタビュー

センバツ甲子園が久々に開催されると何日前かに知ったので、テレビをつけた。

 

いつしかのプロ野球を見た時にも感じたけれど、やはり鳴り物がないと、どこか練習試合を見ているような気持ちになる。応援が試合を盛り上げる上で、いかに大切かということを、鳴り物がなくなって気づく。

 

一週間後にある研修の打ち合わせをした。発表者は私を含めて2人。仲が良いと思ったので、お二人にしましたと、企画した者は言っていたけれど、いや、私たちは、特別、仲が良いというわけではない。どんな感じにしようか決まらぬまま、もう一度、発表者2人で会うことになり、打ち合わせが終わった。

 

打ち合わせをしたあとに、ふと、NHKのSwitchインタビューを思い出し、あんな感じで、お互いに知りたいことをインタビューすれば良いのではないか、と思った。思いついたら、わくわくして、すぐに連絡をしようと思ったけれど、21時を回っていたので、明日にすることにした。

 

わくわくといえば、部下にある宿題を出した。文章で、部下の提案を読んだのだけど、どうもわくわくせず、却下することにした。

 

仕事は、わくわくよりも、どこか義務的で、やらなければならないことが多いのかもしれないけれど、私は、わくわく的要素を大切にしている。

 

なんか、辛く、苦しく、努力することが、やって感が出るけれど、それは、私たちが、学校教育で、受験というものを経験する中で、身についたことで、働いていく上での勉強というか、学びは、辛く、苦しく、努力するものであるならば、方法が間違っているのではないか、と思う。

 

わくわくとまではいかなくても、自分なりの問題意識というか、アンテナに意識的になり、そこから、ものごとの考えを深めていくことが社会人には求められる。