大切な人。そして信じるということ。
「私がはたを織っている間は、決して部屋をのぞかないでください」
トントンカラリン。トンカラリン。
トントンカラリン。トンカラリン。
娘は、そりゃあ、そりゃあ、きれいな布を織りました。
その布は高く売れました。
またまた、娘ははたを織ってくれました。
トントンカラリン。トンカラリン。
トントンカラリン。トンカラリン。
おじいさんとおばあさんは、どうも、どうも、その部屋をのぞきたくてたまりません。
見るなと言われたら、見てみたい。
それもまた人間の心理というもの。
どうも、どうも我慢ならなく、のぞいてしまったわけです。
「決してのぞかないでくださいと言ったのに・・・。そう。私はあの時、助けてもらった鶴です」
そうして、鶴は去ってしまったのです。
そう。鶴の恩返しです。
みなさんは、恋人の携帯電話をのぞいてしまったことはありませんか?
のぞいてしまって、けんかになったことはありませんか?
俺はこんなことを想像した。
ある知らない人が、俺の前に現れ、ボソっとこう言った。
「あなたの恋人は浮気をしています」
果たして、その知らない人の言葉を信じるのか?
それとも、恋人を信じるのか?
また、想像してみた。
それが、友達の言葉だった場合はどうか?
なぜかはわからないけれど、その知らない人、はたまた友達の言葉は、
真実かどうかとは関係なく、説得力があるはずだ。
なぜだ?
人を信じることは難しい。
今までも、何度か詐欺にあいそうになった。
「あなたは、ラッキーなことに当選しました。つきましては3日以内に、こちらに連絡ください」
危なく、電話をしそうになった。
疑うことも時として、必要なこともあるだろう。
しかしだ。
しかし、ここでは恋人。
大切な人を信じれるかという話。
もしかしたら、裏切られるかもしれないし、
もしかしたら、信じて馬鹿をみるということもある。
しかしだ。
しかし、裏切られる前に、
信じて馬鹿をみる前に、
自分は信じることができたのか?
俺の愛読書のマンガ「WORST」に、こんなくだりがある。
「バカをみた自分より先に約束を守った自分を誇りに思え」
しびれた。
こんな男には到底、到達はしていないが、こんな男でありたいと想った。
人を信じる時、
「どんな人間でありたいか?」と自分に問う。
「大切な人さえ、信じられないのか?」と自分に問う。
トントンカラリン。トンカラリン。
トントンカラリン。トンカラリン。