どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

一方通行

綿野恵太『「差別はいけないと」とみんないうけれど。』を読みながら、日本国憲法第14条法の下の平等を思い出した。

 

第14条 すべて国民は法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

 

あらゆる差別はいけない。だけど、差別はなくならない。なぜ?そう思いながら読んでいるけれど、まだ理解できない。理解でないからなのか、別な事柄が頭の中に浮かんできて、本を閉じ、こうしてブログを書いている。

 

Netflix『ロスト・イン・スペース』に登場する主人公的位置にいる少年が、「友達は一方通行ではいけない」と言った。自分の欲していることを要求するだけではなく、友達の言っていることに耳を傾け、友達のために動くことも必要だと。当たり前だけど、それがなかなかできない。というか、忘れてしまう。

 

一方通行というキーワードが頭の中で残像を残し、『ロスト・イン・スペース』を見た後も、時々、一方通行について考えていた。

 

映画を見ることは、こんな意味もある。物語を楽しむだけではなく、ひっかかったキーワードから考えを深める。

 

一方通行から発展して考えたのが、会話と対話の違いについて。会話も対話も双方向のコミュニケーションに思えるけど、何が違うのだろうか。

 

ウィキぺディアによると、会話は、2人もしくはそれ以上の主体が、主として言語の発声、手話、ジェスチャーによる意思表示によって共通の話題をやりとりするコミュニケーションや、あるいは話をする行為全般のこと、とある。

 

では、対話は?とネットで検索していると、会話と対話の違いみたいなページがあって、それらを読むと、会話と対話の違いは、意味を共有できるかにある、という言葉と出会った。

 

自分の言いたいことが伝わらないなあ、となる段階は会話。対話はお互いの意味の違いをすり合わせ、共有するためのプロセス。

 

コミュニケーションがすれ違ったり、意見が違うと思った時に、その背景にある、その人がなぜそう思ったかということを聞く必要がある。それが対話する上での第一歩。聞いて、考えて、話す。自分が賛成できない意見でも、理解することがポイント。

 

そこで、議論というコミュニケーションを思い出す。賛成か反対か。対話は、場合によっては、賛成と反対だけにとどまらず、第3の答えを導く作業も含まれる。

 

会話と対話と議論の違いについて、やっと自分なりに理解できた。

 

シンプル

Netflixで『ハンドレッド・シーズン7』を見る。シーズン6からの繋がりが思い出せなくて、シーズン6を復習するように、もう一度、1話から見ていく。二度、見ると気づくこともあるが、途中で諦める。このままだと一日がNetflixで終わる。最新話が何曜日に更新されるのかはわからないけれど、更新されるのを楽しみにしながら、1ヶ月程度を過ごす。

 

眼鏡の修理で札幌。カーディガンを着ていたが暑い。額には汗。晴れていたと思ったら雨。眼鏡屋に着くと、アルコール消毒を依頼される。こういったデパートは、1店舗でもコロナウィルスを発症すると、他の店舗に迷惑をかけてしまうのだろうな。眼鏡の一つにひびが入ったため、交換を依頼。在庫を確認してもらっている間に、店内の眼鏡を見る。眼鏡は4年に1度、新しいものが欲しい。ただ、欲しい眼鏡がない。

 

山頭火で久しぶりにラーメンを食べたあとは、Anarakcity Store。店員さんにすすめされたパンツを履いてみる。服屋で店員さんに声をかけられることを好まないが、Anarakcity Storeの店員さんとは自然に話をする。店員さんの話を聞きながら、直感というか衝動的にパンツを買う。服の買い物は楽しい。最近は、よりシンプルなものを好む。

 

パソコンを開き、明日の予定を確認していたら、ついつい仕事のメールを開いてしまい、いやな気持ちになる。明日、文句を言おうか、どうかで迷う。

 

自宅に帰ってきて、期間限定の楽天ポイントとドコモポイントを本に使おうと思って調べていたら、『三体』の続編が出版されるのを知って購入した。

 

三体Ⅱ 黒暗森林(上)

三体Ⅱ 黒暗森林(上)

 
三体Ⅱ 黒暗森林(下)

三体Ⅱ 黒暗森林(下)

 

 

黒人差別

ブログを更新するために、Netflixを開いたら、楽しみにしていた『ハンドレッド・シーズン7』が更新されていて心が踊った。明後日、休みだから、明後日、ゆっくりみよう。

 

で、この前、Netflixで見た映画は何だったっけなあと調べると、『家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています』だった。タイトルのとおりで、家に帰ると妻が必ず死んだふりをしているという映画。家に帰ると、妻が、ワニに噛まれていたり、矢が頭に刺さっていたり。

 

死んだふりをする妻が素敵だった。榮倉奈々が演じている。榮倉奈々が出演している映画もドラマも見たことがなく、『家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています』が初めてで、素敵だなあ、と、榮倉奈々をネットで調べた。女優は、こんなところでも人気につながるのですね。

 

そのことが頭にあったからなのか、自宅の本棚を眺めながら、次の読む本を選んでいたら、ケイト・ザンブレノ『ヒロインズ』が目に止まった。

ヒロインズ

ヒロインズ

 

100ページを過ぎたあたりでも、本の世界に入り込めない。ヒステリックな女性のことが書かれているのかなあ、とか思いながら読んでいる。

 

夕飯を食べながら、アメリカで警察官が黒人を殺したニュースを見た。もっと差別について知らないといけないなあと思っていたら、読みかけだった綿野恵太『差別はいけないとみんないうけれど。』を先に読むべきだと思った。

 

これから、寝るまでの間、『差別はいけないとみんないうけれど。』を読むことにした。

 

「差別はいけない」とみんないうけれど。

「差別はいけない」とみんないうけれど。

  • 作者:綿野 恵太
  • 発売日: 2019/07/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

考え方が取り組み方になる

やり残した仕事を朝に片付けて、あとは、自宅で猫とゴロゴロと過ごし、『野村ノート』を読んで過ごした。そして、読み終わった。

 

野村ノート (小学館文庫)

野村ノート (小学館文庫)

  • 作者:野村 克也
  • 発売日: 2009/11/19
  • メディア: 文庫
 

 

高校野球も、強豪校の監督は、野球を通してた人間形成、人格形成が大切だということは耳にしていたんだけど、ピンとこなくて、綺麗事のように聞こえていた。 

 

人として生きる以上、人生と仕事は切っても切り離せないものとなる。人間は仕事でもって人生を生き抜いていき、仕事のなかで人間形成がなされる。裏を返せば人格が仕事の成否を左右するのである。人間形成、人格形成。そういうことは仕事をしていくうえでいちばんの基本になる。だから昔から、世のため人のために一生懸命に頑張れ、といわれてきた。それが結果的には全部自分に返ってくるのだからと。だが自己愛に生きている人間は、なかなかそこまで人格者にはなれない。野村克也『野村ノート』p98

 

『野村ノート』を読みながら、あながち、野球を通した人間形成、人格形成は間違いではないな、と思った。自己愛、自己中心的な仕事をする人は大成しない。プレイヤーであれば、まだ誤魔化せるかもしれないが、チームの中心となり、管理職になればなおのこと、自己愛、自己中心的な人に誰もついてこない。よって、仕事を通した人間形成、人格形成が大切。

 

ただ、私は、野村監督のように、部下の考え方を変えようだとか、育てようという意識がない。そういった意識を持つと失敗するし、実際、失敗してきた。

 

ただ、仕事における姿勢は、できるだけ伝えたいと思っている。技術、知識よりも、仕事をしていく上での土台となると思うから。技術や知識は、誰か彼かが教えてくれるけど、姿勢を伝える人は少ないような気もする。

 

考え方が取り組み方になる。

 

『野村ノート』に出てきた言葉。取り組み方は、仕事の仕方と読み替えても良い。意識の持ち方が仕事の仕方になると言い換えても良いかもしれない。

 

『野村ノート』に紹介されていた中曽根元首相の『結縁、尊縁、随縁』という言葉も良かった。人生というのは縁である。縁を結び、縁を尊び、縁に従うという意味。ネットで調べると、中曽根元首相の造語らしい。

 

デザイナー思考

録画していた『デザインミュージアムをデザインする』というテレビ番組を見た。おもしろくて、ネットで調べると、私が見た『デザインミュージアムをデザインする』は第2回のものだった。

 

デザイナーの方達が、デザインとは?デザインミュージアムをつくるとしたら?展示したいものは?を語っていく番組で、その番組を見ながら、デザイナーの人たちの思考って、全く、デザインと関係がないような私の業種でも学ぶべきところがあるな、と思った。

 

山口周『世界のエリートはなぜ、「美意識」を鍛えるのか?経営における「アート」と「サイエンス」』を読んでから、「アート」について考える機会が多くて、「アート」というより、「デザイン」なのではないか、と『デザインミュージアムをデザインする』を見ながら、思ったくらいデザイナーの思考は学ぶべきことがある。アイディアの出し方とか、課題の設定の仕方とか。

 

番組に登場していたデザイナーの佐藤卓さんが、製品を消費者へ届けるためのプロセスすべてをデザインしていく、と言っていたけど、製品をサービスと置き換えることもできて、デザインは、建築物やファッションだけでなく、仕組みもデザインであり、うまくいくような仕組みを考えるのであれば、あらゆる業種に適用できるような気さえする。デザイナーが書いた書籍を読みたくなった。

 

『デザインミュージアムをデザインする』に登場したデザイナーの中で、一番、気になったのが三澤遥さん。話し方だったり、佇まいだったり、素敵な人だな、と思った。

 

高校一年生の時に、両親から誕生日プレゼントで糸のこをプレゼントしてもらったというエピソードで、一気に鷲掴みにされた。糸のこってプレゼントできるの?学校の技術室で使うものじゃないの?なぜ、両親は糸のこをプレゼントしたのだろう?糸のこを欲しいと両親にお願いしたのだろうか?そこのところをもっと聞きたい。

 

というわけでもないが、三澤遥さんに惹かれ、もっと知りたくて、ネットで、記事を探して読んだ。

 

misawa.ndc.co.jp

 

6mirai.tokyo-midtown.com

 

www.slash-m.jp

 

個展を見てみたい。

ミルメーク

美容室で美容師さんに髪を切ってもらいながら話をした。

 

コロナで酪農家の方達が大変だというのを聞き、牛乳を飲んでいること。牛乳を飲もうと思って、ラッシーを作り、ミルクセーキを作って飲んだこと。ただ、手間がかかり、結局、飲まなくなったことを話した。

 

美容師さんは、ミルメークを買えば良い、と言った。懐かしいですね。ミルメーク。給食で出てきましたねえ。というか、給食でしか飲んだことありませんと、私が言うと、牛乳のコーナーの近くに売っていると思いますと、美容師さんが言った。本当だろうか。スーパーで買うまでもなくamazonに売っていた。

 

そんな話をしたからなのか、私はカルピスの原液を購入し、ここのところ、毎日、カルピスの原液に牛乳を入れて飲んでいる。濃厚カルピスのできあがり。まるで、原液をそのまま飲んでいるかのよう。

 

外出自粛が、外出は慎重に、になり、外出するようになって思ったのは、コロナで当たり前の生活が当たり前ではなくなり、そのことによって、当たり前にできていたことに感謝をしなおすということ。

 

また、当たり前になると、感謝もしなくなるのかもしれないけれど。直接、会って、話をするというのもそうかもしれない。その当たり前の大切さに気づくことができたということも良かったことかもしれない。

エモーショナルとロジック

Number999を読んだ。野村監督の特集記事。雑誌では珍しく、野村監督の記事を隅々まで読んだ。

ヤクルトの黄金時代の1番センター飯田の記事が目に止まった。「ベンチの指示に従うだけでなく、自分の経験に基づいた直感でプレーすることも大事だぞ」野村監督が飯田に言った言葉。直感。山口周『世界のエリートはなぜ、「美意識」を鍛えるのか?経営における「アート」と「サイエンス」』を読んでからというものの、直感という言葉が私のアンテナにひっかかる。野村監督といえば、ID野球と呼ばれるように、データに基づいた野球が有名で、直感とは正反対に位置する論理的な野球。科学的な野球。その野村監督が、飯田に言った言葉が、直感でプレーすることも大事。私が学んできたのは、経験に基づいた勘で仕事をするのは素人。科学的、論理的な根拠に基づいた仕事をするのが玄人。当たり前だと思っていた価値観が瓦解する。ここ最近、思うのは、思うのはというか、山口周『世界のエリートはなぜ、「美意識」を鍛えるのか?経営における「アート」と「サイエンス」』によれば、どちらかに偏ってはいけないということ。論理的に考えることも必要だし、直感、感性も必要。魅力的な仕事をしていく上で。

 

Number999を読み進める。『理屈を語って理屈におぼれず。感性を語って感性にもたれず。もちろん情に引っ張られてばかりではない。細かな理論の解説にうんうんうなずく。すると、決まって人生ってやつが顔を出す。野村克也は理の人でも情の人でも理と情の人でもなく野村克也なのである』何度も読むと、野村克也野村克也である、ということなのだろうが、前述の飯田のインタビュー記事にもあるように、データに基づいた根拠も大事にしているが、情だったり直感だったりを大事にしている人でもある。エモーショナルな部分とロジックな部分のバランス。感情的な部分と論理的な部分。アリストテレスの弁論術か。ロゴス、エトス、パトス。論理的な部分だけでは人は動かない。感情的な部分と論理的な部分が野村監督にあったから、人が動き、野村監督に影響を受けた人がここまで多くいたのだろう。

 

Number999に紹介されていた野村克也『野村ノート』を読んでみたいと思った。そういえば、自宅の本棚に何冊か野村克也の本があって、どれかを読もうと思って本棚を眺めたら、『野村ノート』があって、小躍りした。

 

『野村ノート』を開いた。

 

野村ノート

野村ノート