どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

直感

後輩と直感について話をした。言葉に出して気づいたことがある。言葉が浮かび上がってくるような感じ、とその時は言ったんだけど、どうもかっこつけすぎている。人の話を聞き、なんとなく気になる言葉、ひっかかるキーワードに出会うことがある。また別な場所で、人の話を聞き、同じ、キーワードを聞いたら、あっ、これ、この前も聞いたな、何か必要な言葉なのかもしれない、と思えてくる。最近、ひっかかるキーワードは『伴走』。たぶん、当分の間、伴走について考えるだろう。伴走とはどういうことか?伴走の前は、『対話』。キーワードのような語句から、頭の中で思考が勝手に再生することもあり、それが思わぬアイディアを生むことがある。点と点がつながり、直感となって、ぽっと、出てくる、そんな感じかなあ。直感とひらめきは、どう違うのだろう?別々な言葉があるから、違うのだろうけど。

 

パチンコ屋の灯りが灯っていた。日常が戻った、気持ちになった。

 

ロスト・イン・スペース・シーズン2

キーン、コーン、カーン、コーン。学校のチャイムが聞こえた。今日から学校が再開したのだろうか。朝、早くに起き、Netflixで、ロスト・イン・スペース・シーズン2をひたすら観る。一気に観る。SF。ロボット型の異星人と心通わせる少年、海軍の父、科学者の母、医者なのか、医者の卵なのかの姉、小説家の姉。家族5人の物語。シーズン2は、前作のシーズン1より好き。おもしろかった。相変わらず、絶体絶命になって、ハラハラしながら、観ることになった。そして、今は、東京喰種を見ようかと思っているところ。

 


『ロスト・イン・スペース』特別映像 30秒

 

エヴァンゲリオン旧劇場版

やる気がみなぎらないため、そそくさと退勤。6月1日から北海道では休業要請が全面解除となる。札幌との不要不急の往来は6月18日まで慎重にとのこと。6月公開予定のヱヴァンゲリヲンは、延期になるのだろうか。ネットで調べると、延期で、日程は未定だと知った。

 

www.evangelion.co.jp

 

Netflixエヴァンゲリオンを視聴。久々のNetflix。『新世紀エヴァンゲリオン劇場版Air/まごころを君に』と『EVANGERION:DEATH(TRUE)2』を観る。テレビアニメ版の時も思ったけれど、最後がなあ、最後が、と思ってしまう。新劇場版の最後は、どうなるのだろうか。早く見たい。エヴァンゲリオンの中で、有名なセリフのひとつに、シンジの「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ・・・」というのがある。逃げれば良いのに、と思う。

なりたいとありたい

コロナで変えざるを得なかったもので、こっちの方が良いと思ったのは、オンラインによる研修。その場所に行く時間もお金も節約できるし、運営する側からは、会場費がかからない。デメリットは、会場の空気を感じられないことか。

 

ここ最近のこのブログの注目記事第1位は、『仕事が辛い時に読む本9冊』。2017年に書いた記事。仕事が辛いと思って過ごしている人が多いのだろうか。コロナで仕事を失った人がネットに、仕事、辛いと検索しているのだろうか。

 

rakuunanzyuku.hatenablog.com

 

山口周『世界のエリートはなぜ、「美意識」を鍛えるのか?経営における「アート」と「サイエンス」』を読んだからなのか、なりたい姿とありたい姿について考えていた。なりたいとありたいは重なりあっている部分もあるけど、重なっていない部分がある。そういえば、以前も、そんなことを考えた気がすると、探したら、2018年1月に書いていた。今から2年も前。

 

rakuunanzyuku.hatenablog.com

 

あの時は、ピンとこなかったけれど、今ならわかる。理想がなりたい姿。なりたい姿はなかなか到達できないけど、ありたい姿は、今、現在からでもできる。ありたい姿で自分自身を見つければ、理想と現実のギャップを生まないのではないか。

 

論理、法律、市場調査(ニーズ)などの「客観的なものさし」から、真(直感)、善(倫理・道徳)、美(審美感性)の「主観的な内部のものさし」への比重の転換。主観的な内部のものさしは、時に上から目線となると、山口周『世界のエリートはなぜ、「美意識」を鍛えるのか?経営における「アート」と「サイエンス」』には書いてある。最終章では、絵や、哲学、詩、文学がビジネスにどう影響するかと話が続く。ここ、ここと思って、食い入るように読んだ。

 

 

高校3年生

甲子園の中止が決定したというのを知って、戦わずして負けるのが、一番、辛いよなあ、と何度となく思った。確かに、人生は、失敗の連続だし、負けっぱなしだし、自分の思いどおりになることはほどんどない。だけど、そんなことは頭のどこかでわかっていて、わかっているけど、なぜ、今なんだ。なぜ、自分たちの世代なんだ、と何度となく思うだろう。私も、何か、代替するものはないか、と考えているけど、思いつかない。代え難いものが失われたから悲しいし、せつない。

 

朝、ニュースを見ながら、全国大会が中止になった吹奏楽部の高校生が、今、できることを考え、動画を作成したというのを知った。聴きながら、泣きそうになった。せつないからなのか、できることを考えて、行動している姿に心打たれたからなのか。演奏しているのがひたむきで、楽しそうで。ここに悲壮感はない。動画を見終わった後、拍手を送った。

 

youtu.be

 

昨日は、高校生がマスクホルダーを作って、区役所に持っていったという記事を読んだ。今の若者はすごい。

 

www.asahi.com

仕事における美意識

かっこお、とどこからか鳥の鳴き声が聞こえ、草が風に揺られているのを見ながら、気持ちが良いな、と思う。

 

見て欲しいところを見ることが大切だよな、と思う。部下との関係において。部下が何をがんばり、何が大変で、何を大切にしているのかに注視し、何らかの言葉でわかってくれているという安心感を与える。

 

読書をしてきたことや、これまで経験してきたことが、仕事に活きている実感というか、実を結んできたな、と感じる。仕事に有益だから読書をしているわけではないのに。

 

読書や、映画や、演劇や、芸術鑑賞などが、魅力的な仕事に繋がるのではないか、と思っていたけれど、うまく言語化できなくて、山口周『世界のエリートはなぜ、「美意識」を鍛えるのか?経営における「アート」と「サイエンス」』を読んでいる。

 

論理的で科学的な根拠に基づく仕事の仕方は、私が社会人になって20年間くらいの間、よく聞いてきたし、疑う余地がなかったのだけれど、この本を読みながら、論理的で科学的な根拠に基づく仕事に偏重すると、時に不正につながることがあり、周りもコピー可能なもので、魅力的なものを生まない。だから、美意識だったり、直感で仕事をすることも大事なのではないか、と問う。

 

美意識は、ビジョン。ありたい姿。あるべき姿。自分の生き方を、働き方を一つの作品と考える。組織を一つの作品と考える。この前、自分の存在自体をアートにしたいというようなことを言っている人がいて、ピンとこなかったけれど、目指している自分に近きたいということに近いのかもしれない。最近、仕事をしていく上での課題を、ありたい姿、あるべき姿から意思決定するのを想像すると、クリアになる。

 

最近、かっこいいか、かっこ悪いかの判断基準は、自分にとって、これまで結構、重要な判断基準だったことを振り返っていたんだけど、もっと意識してみようかと本を読みながら思った。かっこいいか、かっこ悪いか、好きか、嫌いか、美しいか、美しくないか。自分のものさしで。私が思うかっこいいことも、美しいと思うことも、他人が思うものとは違う。その自分自身のものさしを作り上げていく作業も必要なのではないだろうか。

底から見上げることで見えてくることもある。

テレビで、コロナが終わった後に、成長する会社、しない会社みたいな話を聞いて、今、何かを得ないと損をするみたいな気持ちになっていたけれど、何年後か、何ヶ月後かに、あっ、ここの部分がコロナを経験して良かった部分かもしれないなと思えるくらいで良いのではないか、と思うようになった。いや、何も得なくても良いか。何かを得られたら良いなくらいでかまえたい。日本では、5月25日に緊急事態宣言が解除された。

 

モチベーションを高めるには?という質問を立て続けに聞いて思ったのは、モチベーションが高い人は、モチベーションを高めようと考えていないのではないか。

 

高いところから俯瞰する見方もあるけれど、底から俯瞰する見方もあるのではないか?空を見上げる感じで。高いところから見える景色もあれば、底からでしか見えない景色があるのではないか。そう考えている時に、以前、フレディみかこさんが言っていた、ミクロからマクロを考えるという発想の仕方も似ているのかもしれないな、と思った。

 

仕事をしていく上で大切なキーワードが対話で、昨年から対話を大切にしてきたつもりだったけれど、改めて、対話とは?と考えると、うまく答えられない自分がいることに気づく。で、インターネットで検索していると、湯浅誠教授インタビューというものを見つけた。興味深い。

 

article.researchmap.jp

 

湯浅さんは、コミュニケーションモードには、「会話」、「議論」、「対話」の3つがあって、会話モードしかないのは、服を一着しか持っていないようなもので、議論や対話という服も必要なときに使えるようにしておこうと言っている。コミュニケーションもデザインとコーディネートなので、と。その力が対人関係構築能力だと言っていて、人として生きている上で必要な力だと言っている。ちなみに、対話とは、お互いの内省を促し合ったり、気づきを与え合ったりするようなものとします、と書いてあった。会話が上っ面でのものだとしたら、対話というのは、相手の言わんとしていることをもっと掘り下げていく行為という意か。ならば、対話は、評価というか、ジャッジするような文言は必要ない。評価というか、ジャッジするような文言が入ったら、議論になるのだろうか。

 

社会問題を見出すための方法も興味深かった。社会問題を見出すために、自分の人生を振り変える作業をする。その延長線上に介護の問題、労働の問題といった社会問題があるんだというふうに考える。そうやって見つけたテーマに対して、自分なりにとりあえずこんなことがやれるんじゃないかという解決策を出してもらうんだって。湯浅さんの本を読んでみたくなった。