どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

季節外れの紫陽花が北海道ではまだ咲いている。全体的に枯れてはきているけれど

 とんぼのつがいを目にして、夏が終わる、終わってしまう、と思った。と、ほぼ同時に甲子園が開幕した。札幌日大は負けたのか、新潟産大府は勝ったのか、と結果だけニュースで見ることはあれど、甲子園が始まったというのに、一試合も観れていない。オリンピックは、テレビをつけて、やっている競技を観ることはある。今日は、自宅に帰ってきて、妻が作ってくれた冷やし中華を食べながら、女子ボルダー&リード決勝の森秋彩を観て、実家から届いたブルーベリータルトを食べながら、今週分の『虎に翼』を観た。お守りの中に優三さんの手紙が入っていて、それを読む回で泣いた。今は、卓球女子団体決勝を観ている。卓球を観ながら、一球、一球、ガッツポーズを取っていたら、体力が奪われるのではないか、と思うのだが、あまりにも早いから、息つく暇がなく、息を吸うのと同時にガッツポーズという形になるのだろうか。息つぎといえば、アーティスティックスイミングの息継ぎのしなさは、すごいな、とそんなところが目に行ってしまう。卓球女子のスカートを履いている人と短パンを履いている人がいるけれど、どちらを選んでも良いのだろうか。

 いつもなら、寝ている時間で、起きていたいと思うけれど、閉店でシャッターが降りるように瞼が降りてくる。今日は、珍しく、眠気が来ない。来ないので、このまま卓球女子団体決勝を観て、読みかけの『哲学対話日記』を読みながら、眠たくなったら寝ようと思っている。いや、『はだしのゲン』かもしれない。私の記憶にもっとも残っていた原子爆弾が広島に投下され、家族が自宅の下敷きになってしまう場面は、父と姉と弟だった。小学生の頃の私は、なぜ、この場面をもっとも記憶していたのだろうか。この後の物語以降、読んだ記憶がない。なぜ、読むのをやめたのだろうか。

 『哲学対話日記』を読みながら、哲学対話の場面というより、なぜか、細部の部分から、そういえば、ミスドで、何時間も大橋さんと話していたけれど、そんなに何の話をしていたのだろうか、大橋さんは元気だろうか、連絡してみようか、と思いながら、結局、何の連絡もしなかったり、『虎に翼』の寅子の娘である優未が、学校に友達はいないと言う回を思い出した。寅子が、娘に、自分から話しかけなよ、という場面があり、のちに、優未が、同級生に、先生に声をかけるように言われたから話をしたりそんなんで友達になれないと思うから、無理しなくて良いよ、と同級生に言う場面があり、その場面をたまたま、寅子が目撃していて、娘に、友達を作るために、自分から声をかけた方が良い、と言ったことを謝る場面がある。優未が、私たち夫婦の姪に顔が似ていることもあり、どうしても、気になってしまい、これで、いじめられている場面とかが出たら、耐えられないと思っていたが、優未は、もっとたくましく、私も、子どもと話すときは、自分の価値観を押しつけないようにしなければ、と思った。

 キーボードを打つ手を止めて、パソコンの時計を確認したら、0時を過ぎていた。卓球女子団体決勝は、まだ続いているけれど、明日も早いし、本も読まずに、眠ることにしよう。眠れるかはわからないけれど。