どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

白河の関

 パチンコ店のテレビの前で、私は甲子園決勝を見ていた。仙台育英が先制したところだった。甲子園決勝をこうしてテレビで観られることは、そうそうあることではなく、ましてや、今日は、東北勢初優勝がかかっている歴史的な日でもあった。外野席も満席になっている甲子園球場をテレビで観ながら、できることならば、毎年、足を運びたいものだ、と思った。それにしてもパチンコ店は必要以上にクーラーがかかっており、耐え難く、仙台育英の打者が満塁本塁打を打った後に、私はパチンコ店を後にして、コインランドリーの駐車場、車のなかで試合の続きを見た。

 この喜びを誰に伝えたいですか、とインタビューを受けた仙台育英の先発投手は、アルプススタンドにいる仲間に、と言った。私だったら、そう言えただろうか、と思った。スタンドにいた仲間もさぞ嬉しかったことだろう。

 翌日、喫茶店で、アイスコーヒーを飲みながら、スポーツ新聞を開き、甲子園決勝の記事を食い入るように読んだ。下関国際の監督が、子どもたちがかわいくて、本当にかわいくて。そんなかわいい子どもたちが泣いている姿を見て泣いてしまいました。すみません。という記事を読みながら、私は、会社の部下の顔が浮かんだ。かわいくて、かわいくて、という感情とは違うけれど、近い感覚はある。

 甲子園の時期に、メールもしくはLINEを送ってくれる友人がいる。毎年というわけでなく、私は私で、今年は送られてくるだろうか、とその友人のことを思い出す。今年は送られてきた。

 滝口悠生『水平線』を読んでいたら、同じような場面があった。

 なにか前触れとか、用件らしい用件はなくて、おそらく私のことをふと思い出したときに送られてくる、私も近況を簡単に知らせたり、今度ご飯でもとメールを返すのが常だったけれど、いつも具体的な約束をするには至らず結局もう何年も会っていない。最後に会ったのはいつだったかすぐには思い出せないけれど、考えてみると高校を出てからずっと、あまり近づきもしないけど遠ざかりもしないみたいな関係が保たれていて、そういう相手はほかにはおらず、これは結局仲がいいということなのかも知れなかった。滝口悠生『水平線』p270

 最近は、特に月日の流れが早く、気づけば、あの友達にもう何年も連絡をしていない。昔はよく会っていたのに、という友人がいて、連絡しようかなと思うけれど、何となく気軽にメールも送れなくて、気づけば、また月日だけが流れているということが、ままある。思い出した時が連絡をする時、そんなことを考えていたら、連絡をしてみようかな、と思ってきた。