どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

日記とは

 あっという間に雪が溶けた。春が嬉しいのは、遺伝子レベルに刻まれているからかもしれない。春を感じながら車を運転し、コメダに行く。アイスコーヒーを飲みながら、ブログを書いたり、『ティンダー・レモンケーキ・エフェクト』を読む。

 『ティンダー・レモンケーキ・エフェクト』を読んでいると、著者に好きな人がいることを知る。好きな人にもTinder上で日記を送っていて、好きな人が日記を読んでくれているという前提ならば、嫌われるであろうことは書かないだろうな、と私は思うのだが、著者は、そうでもない(セフレの家に来たという日記も書いている)。

 このブログも日記のようなもので、今日、気づいたが、2024年になると、20年、ブログを書き続けていることになる。多分、ブログという形でなければ、ここまで続けられていない。誰かが見てくれていると思うから書いているところは確実にあるし、今日は、たくさん読んでくれていると知ると、やっぱり嬉しい。ただ、何年も続けていると、読まれている人数はさほど気にならなくなってくる。一日に0人は、悲しいが。『ティンダー・レモンケーキ・エフェクト』に、日記ということについて書かれている文章があるのだが、私にとって、日記とはなんだろう。書きながら、考えを整理していることはあるかも知れない。記録したいことを書いているというのもある。人に言いたくないことは、ブログにも書かないが、時々、読んでいる人からすると、そういう部分が逆に読みたいというか、共感したりするのだろうなとも思う。だけど、そういう時は、何かを書きたいという気分ではない時のほうが多い。

 夜、NHKクローズアップ現代を観ていたら、短歌が流行っていることを知った。歌人って名乗るのかっこいいな、と思う。詩人もそう。歌にする、詩にするという行為がかっこいいのだが、歌人だったり、詩人は、本名ではない名前を持つ人がいて、その名前もかっこよかったりする。私も、本名ではない名前をつけようと、最近、考えていたのだが、どうも、難しい。苦痛にすらなってきて、結局、まだ名前を決められないでいる。