どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

読むことと思い出すこと

 地元は嫌いではないけれど、地元に帰りたいと思ったことはない。一言で言うと、近すぎる。近すぎると煩わしい。たまあに帰るくらいがちょうど良い。そう書くと、家族みたいだな、と思う。

 地元を離れたのは、高校を卒業した年で、札幌で一年間、浪人し、大学進学とともに、北海道を離れた。一度、北海道を離れて生活してみたいと思った。今なら、東京に住むのも良かったかな、と思うけど、田舎出身の私からすると、東京で生活していけるイメージが湧かず、北海道は離れたいけれど、東京の大学はやめておこうと早い段階から決めた。いくつかの理由で仙台にある大学にしたのだが、その理由の一つは、調べもしていないが、街の規模が、札幌と仙台は同じくらいなかなと思ったのもある。

 三宅香帆『それを読むたびに思い出す』を読みながら、地元のことを思い出していた。この本も、先日、紹介した「読む贅沢 私は本と旅に出る 6社合同フェア」で購入した一冊で、タイトルに惹かれた。私も、本を読みながら、何かを思い出し、それをブログに綴っている。

 場所がどこであっても、結果的に、あまり変わらない人生を送っていたりするのだろうか。いやそんなことはない、人は環境に左右されるものだ。そう思う自分もいる。自分と環境はどれくらい切り離せるものなのだろう。三宅香帆『それを読むたびに思い出す』p48

 仙台にある大学を卒業し、就職で私は、新潟に引っ越した。そこで、私は、ギャラリーを営んでいる友人やレコードショップを営んでいる友人と出会った。これまで出会ったことのないタイプの人たちで、その人たちから、これまで聞いたことのない絵の話や音楽の話なんかを聞いていて、いろんなものに触れられる環境で子ども生活を送れるということは羨ましいな、と思った。
 今の自分が出来上がったのは、環境に依るところが大きいとは思うけど、遅かれ早かれ、結果的に、今の自分が出来上がるような気もする。三つ子の魂百までとはよく言ったもので、私の基礎みたいなものが出来上がったのは、やはり地元での18年間だったのだろう。