どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

創作

 日記屋月日というお店のサイトを眺め、Instagramを眺めていた。

 そこに1冊の気になる本と出会った。作者不詳の『創作』というタイトルの本。

 日記屋月日には、こう紹介されている。この日記について分かっているのは、持ち主が文学者を目指す若者であるということと、1973年から1975年までにつけていたということのみ。無名の若者は、金を借りてはパチンコ店に行き、めしを食い、文学作品を読む。いつかこういう作品が書けたらなと、閃きを書き留めて悶々としている、まるで反復横とびのような日々。

 アマゾンでは買えない、今買わなければ、次、いつ出会うかもわからない類の本。反復横とびって、意味がピンとこないけど、なんか気になる、と思いつつ購入した。

 読んでいくと、若かりし頃の自分のことを思い出した。仕事で嫌なことがあると、パチンコ屋に行く。嫌なことがなくても、時間があればパチンコ屋に行こうかなとなる。負けが混むと、もうパチンコは、やめようと思う。数日後に、勝てる気がしてきて、またパチンコ屋に行く。そして、また負ける。暗澹たる気持ちで店を後にする。服も、髪の毛も煙草臭い。

 あの時だから書けた物語というものがあったのかもしれないな、と今更ながらに思う。そういう物語だからこそ、人を救うこともあるというのは分かっているけれど、自分のダメさ加減をリアルタイムで書くのは、なかなかしんどい作業。ということは、書いていないことを書くほうが読んでいる人の心に響くのだろうか。だけど、書きたくないものは書きたくないし、これからも書くことはないだろう。では、人に見せることを前提としない日記を綴っておけば良かったか。多分、この『創作』という日記を書いた人もそうなのだろう。人に見せることを前提としていないのではないだろうか。人に見せることを前提としていない日記が、こうして出版されるのは本望ではないかもしれない。

 この作者は、今も生きている可能性が高い。70代から80代だろうか。この日記から男性だということはわかる。一冊だけ、この世にこの人が書いた小説が残っていて、私は、その本を知らず知らずのうちに読んでいたら、おもしろいな。

 本を読み終わり、食器を洗いながら、職場で後輩と交わした会話を思い出していた。世の中には、買っても損というか、買っても意味のない喧嘩というものがあって、そういう類のものは買わないのが一番だよ、というものだった。よくよく考えたら、私は、買わなくても良い喧嘩ほど買っていたような気がする。というか、手当たり次第、買っていたというほうが正しいのかもしれない。余裕がなかったのだろう。で、むしゃくしゃして、あの頃の私は、パチンコ屋に向かっていたのだろう。穏やかに過ごしたいが口癖だった私は、やっと、わりと穏やかなに日々を手に入れた。ただ、あの頃、描いた本を出したいという夢は叶っていない。