どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

周りに合わせるのが、疲れた人に読んでもらいたい1冊

朝。猫の鳴き声で起きることがある。ご飯をちょうだいと鳴く。起きて猫にご飯をあげる時もあるし、めんどくさくて、無視することもある。ある日、私は起きて寝室を出ると、猫が寝室の前でしゃがんでいた。猫の体が冷たくなっていて、ごめんね、と思った。

 

朝、読みかけの『非属の才能』を読み終わった。さわや書店フェザン店では、ブックカバーに、こう書いて売っている。

あなたではない人にこそ、この本を薦めたい。それで、こんな売り方を考えました。表に出せない心の叫びを癒すこの本を本当に必要としている人は、世の中に大勢いるはずです。でも、そういう人はこの本を自分では決して買わないでしょう。あなたの大切な人が、切実にこの本を必要としています。そう信じて、あなたの家にこの本を置いておいて欲しい。今すぐではないかもしれませんが、きっと役に立つ日がきます。書店員X。

 

第5章の非属の扉をこじ開ける方法からおもしろくなった。

 

第一歩は「サボる」こと。ガッツンときた。読みながら、8:2の法則だったか、2:8の法則だったかを思い出した。思い出したというか、最近、考えていた。どんなに優秀な人を集めても、2割は怠けるって話。たぶん。ただ、その2割は、普段、怠けているんだけど、ある時、今までの方法よりも、良い方法を見つけるらしい。

 

選択肢を広げるための読書のところも良かった。

 

読書を開始するのに二つのことに注意してほしい。一つは、ドフトエスキーや芥川龍之介太宰治川端康成三島由紀夫といった、いわゆる文豪の作品は敷居が高いから・・・などといって安易に避けないことだ。山田玲司『非属の才能』

 

まさしく、私。著者がいうように、私も時代を超えて、読み継がれるものは、何かがあるのだと思う。だから、私も、気になった時には手にとって開いた。開いて、読んでも頭に入ってこないから、本を閉じた。太宰治の『人間失格』はあまりにも悲しい話だ、と、途中で読むのを辞めた。だけど、私は、再び、挑戦しようと思っている。日本のものも、海外のものも。阿久津隆『読書の日記』を読んでいて、海外文学を読んでいない私は、もったいないことをしているかもと思った。

 

そしてもう一つは、その作品が書かれた時代背景や作者についての解説を読むことである。・・・時代背景まで理解して作品と向かい合うことで、その時代と現代の二つの視点から重層的にものごとを考えることができるようになるのである。山田玲司『非属の才能』

 

そういえば、NHKの深夜にやっていたあの番組おもしろかったなあ。なんという番組だっただろう、と思って、ブログを書く手を止めて、インターネットで検索したら、わかった。「知恵泉」。私が観た時は、たまたま太宰治を取り上げていたんだけど、太宰治を読みたくなった。

 

とにかく、思いついた表現方法すべてを試すことだ。ここで重要なのは、人には見せないことだ。・・・見せるだけならまだいい。もし見た人の意見を聞き入れ、作品そのものに手を加えようとするなら、それは限りなく駄作に近くなってしまう。山田玲司『非属の才能』

 

ここの箇所が良いなあと思った。一方、第7章では、その表現について、こんな記述があった。

 

人に認められないとか、友人に恵まれないと嘆いているあなた。あなたの話は相手を喜ばせるものですか?それとも自分だけを喜ばせるものですか?山田玲司『非属の才能』

 

この本が良いと思ったのは、和をもって属さない。群れずにつながるということ。こう書いていると、つまりは、自立せよということか。周りに合わせなくて良い。そこに才能が眠っている、という一方、その状態でも人とうまくつきあうことはできるよ、とバランスが良い。

 

大人になって良かったと思うのは、小学生や、中学生、高校生の世界は狭いと気づいたこと。世の中にはいろんな人がいるということ。会おう、会おうと思って、会ったわけではないけれど、おもしろい人に何人かあった。そして、私がおもしろいと思う人は、この非属の才能がある人たちのような気がしている。

 

 

非属の才能 (光文社新書)

非属の才能 (光文社新書)