どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

田中俊之・山田ルイ53世『中年男ルネッサンス』/諦めているのが、かっこよくさえ見えてくる。

田中俊之・山田ルイ53世『中年男ルネッサンス』を読み終わった後、山田ルイ53世が気になって、Twitterなんかを見ていたら、『一発屋芸人列伝』を読んで、一発屋にリスペクトを抱くようになったとか、『一発屋芸人の不本意な日常』を読んで、この人は、奥深いと思う、と感想を述べている人がいて、『一発屋芸人列伝』や『一発屋芸人の不本意な日常』を読んでみたくなった。

 

今日は、職場の飲み会があって、『中年男ルネッサンス』を読んだ話をした。

 

というのは、この前、20代前半の若者4人と飲み会をして、その一人の女の子が40歳の人とデートをしたという話をしていて、笑うポイントが違うのが年の差を感じるという言った。俺、40歳なんだけど・・・と呟いた。

 

『中年ルネッサンス』にも、みんな「俺は若い」と思ってしまうんですよね、という記述があって、あっ、これ、私だ、と思った。私は違う、と思っているところが、この中年あるあるに当てはまってしまうのだろう、と読みながら、もう一人の自分が、現実を見よ、と呟いた。私は、『中年男ルネッサンス』で、このあたりが、一番、心に突き刺さった。

 

実年齢と気持ちの年齢が合致しないところに、この問題があるのではないだろうか。40歳と35歳では5年違うけど、気持ちはさほど変わらないし、いや、40歳と30歳の気持ちもさほど変わらない。だから、私はまだ若いと思ってしまう。

 

山田ルイ53世の言葉を読んでいると、諦めている言葉が良い。その諦めの言葉は、等身大の言葉というか、自分を客観的に見ている感じがする。

 

私は、うだつのあがらない男たちの話が、映画でも、本でも、好きだ。漫画でいえば、のりつけ雅春アフロ田中』であり、花沢健吾ボーイズ・オン・ザ・ラン』。

 

伊野尾書店の一万円選書に同封されていたコメントペーパーには、みうらじゅんや、花沢健吾ボーイズ・オン・ザ・ラン』が好きと言うのを見て、爪切男『死にたい夜にかぎって』を迷わず入れました、と書いてあった。

 

読む前から、たぶん、どストライクだろうな、と次なる一冊を開いた。